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論文から知る学者的思考法

1.はじめに

大学で学んだり、各種の研究会などで発表したりするとき、論文やレポートを書くことがあります。このような学問的文書の作成には、学者間で共有されているが、しかも一般人には明確になっていない色々な取り決めがあります。このため、現場経験をしっかり積んだ有能な人財の成果が、発表できなかったり、発表しても相手にされなかったりして、貴重な成果が受け入れられないこともあります。

ここでは、そのような人たちに、学者世界の考え方の一端を示し、学者の世界でも発表でき、受け入れられる論文などの作成法についての考え方を説明します。特に、資格の更新のために、論文・レポートの提出を要求されている人の役に立てば幸いです。

2.学問的な姿勢

学問の理想は、ユークリッドの幾何学であり、ニュートンの物理学です。これらの特徴は、現実を簡単化し『理想化した世界』の上で、客観的な情報で考える方式です。

これは、物理学だけではなく、心理学などでも、一時は「刺激―反応」だけで理論を作るのが、『科学的』な考え方として、主流になっていました。現在は、認知心理学などで、少しは現実の人間の心の動きに寄り添うように改善しているが、基本的に学者の姿勢は以下のとおりです。

  • 学問的な検討は、その分野の研究者が共通認識として持っている、現実を理想化した、モデルの上で行うべき

  • 科学革命などの特別な場合を除き、学問的な成果は、上記モデルの上での議論による問題解決か、上記モデルに関する小規模な変更(多くは詳細化)の提案となる

  • なお、議論を進める論理展開は、決められたルールで行う

3.論文の段階

図2に示したように、多くの学術的な研究は、その分野の専門家たちが共有しているモデル上で議論します。大きく分けて、学問的な成果は、以下の3パターンに分かれます。

1.          先人の作ったモデルの上での問題解決
2.          先人の作ったモデルの小規模な改善(詳細化)
3.          画期的な新モデルの提案

この内、3.の画期的な新モデルを提案することは、理想的な大成果ですが、簡単にできません。しかも、そのようなモデルを世の中に理解してもらうためには、多くの努力が必要です。特に基礎的な概念などの道具立てが必要になり、短い論文では記述できず、一冊の本まで作る必要があります。この本は、基本的な教科書として扱われることが多いです。

一方、若手の研究者は、上記1.の先人が提起した問題を解くことで、論文の書き方などを学んでいきます。そして、ある程度力がつけば、先人が作ったモデルに小規模な変更を加える論文を書きます。この段階で、通常は一人前の研究者として認められます。

このような、練習的な論文作成を、ある人は

 「『アメリカで犬が鳴いた』という論文を見て、『東京で犬が鳴いた』と言う論文を書く。」

と例えています。しかしながら、解りきったことを、きちんとした手順で論証することは、学者の底力として重要です。ベストセラーとなった「21世紀の資本」も、「資本の蓄積があれば、それだけ有利になる」と、誰もが思っていることを、数値データを分析して、きちんと示したことが主要成果です。このような、論証の道具を使う能力が、学者の世界で話をする条件です。

4.論文の読み方

今までの論文の仕組みを理解すると、効率的な論文の読み方が解ってきます。アメリカの大学院生は、論文の速読法を初年時に訓練します。主要点は以下のとおりです。

1.      論文の使っているモデル世界を理解するため、標準的な教科書や基礎的な論文をしっかり読む
2.      上記1.の基礎論文以外の論文を読むときは、まず参考文献を調べる
3.      多くの論文の参考文献になっている論文は一通り読む
4.      1.3.の他の論文は、今までに読んだ論文や教科書の情報とどこが違うのかを知るために読む
(この場合、内容を予測して読み、違いが判れば、詳細に時間をかけずに、他の論文に移ることで時間節約になる。)

つまり、議論を行っている「モデルの世界」を理解し、その上で
「基本的な議論」
を知ります。その後は
「どのような付け加えが行われたか」
を知ります。このような考え方で、最初のモデル世界と、基本的な議論の理解ができれば、他の論文は内容を予測したり、既存文献との違いを見るだけにしたりして、速読することがますます。

5.論文で使う論理的な思考法

論文で使う、論理的思考法の基本は、ギリシャ哲学とユークリッドの幾何学を模範とする、演繹的思考法です。その他、基本的な心得として、事実と意見の分離、既存文献からの引用を正確に行う等の作法があります。関連して、使用している概念の抽象の度合いを意識して、使い分けも大切です。

5.1ユークリッド幾何学の論理性

 ユークリッドの幾何学は、まず「点」や「線」等の基本的な道具の定義を決めます。

 定義1.点とは部分のないものである
 定義2.線とは幅のない長さである
  以下略

このように定義を行った後、それらに間に無条件で成立する公理(本によっては公準)を記述します。

 公理1 任意の点より任意の点に直線をひくことができる
 公理2 直線は延長である
  以下略

これらの公理から段階的に導くことができるものだけを、命題として認めます。ユークリッド原論の第1章では、ピタゴラスの定理を、こうして導いた命題と公理を組み合、わせて証明しています。

このように、定義をきちんとし、誰もが同意するような公理から出発して、色々な命題を導くことで、正しいことを述べるというのが、ユークリッド幾何学の論理性です。

5.2ギリシャ哲学の三段論法

幾何学では、証明するときに、仮想的に線を引くなどと言う作業で、推論しています。しかし現実の状況で、色々な物事を議論するためには、もっと便利な道具が必要です。ソクラテス、プラトンそしてアリストテレス等の言うギリシャの哲学者は、以下のような三段論法を使うことで、一般論から具体的な物事を推論する方法を考え出しました。以下の三段論法の例を挙げます。

つまり一般論を大前提として示し、それに対して個別の対象が当てはまることを示すことで、結論を得る推論法です。このように一般論から、個別の事例を推論していく方法を、演繹的な推論と言います。 

5.3法律の階層構造と法的三段論法(補足)

少し、論文の話とは離れるが、西洋文明における論理の一つの展開事例として、法律の体系があります。これも文系の論理的な議論のためには、理解しておくとよいでしょう。

一般的な精神から、具体的な規則まで、階層的に展開する構造は

「有限の規則で現実の多様さ」

を制御しています。

そして、法律の条文を適用するときには、以下の図6で示す、法的三段論法を使います。
この図式では、まず一般論である、法律の条文を示します。次に個別の事柄について、その条文に当てはまるかを判断します。そして結論として、法律の定めた違反行為と決定します。このように三段階の議論を行うので、法的三段論法と言われています。

5.4事実と意見の分離

上記の法律適用の場合でも出てきますが、論理的な議論に於いては、事実と意見をきちんと区別する、必要があります。なお、意見については、自分の意見か、他人の意見かを、しっかり区別することも大切です。自分の理解していない受け売りは、学問的な議論としては、認められません。

但し、学術的な論文や著書で記述されている内容は、引用元をきちんと記述することで、「そのような記述がある」ことを事実として議論を行うことが一つのルールになっています。

学者の議論、法律家の議論に参加する一つの条件は、このような「事実」の切り出しを、きちんと行える人です。
「出来るだけ、事実を積み上げて、判断は相手が自主的に行わす」
これが、一つの学問的な説得手法です。

5.5帰納的推論

科学的な論議に於いて、上記のように自明な公理、つまり一般論から、具体的な話を引き出すだけなら、本当に新しいものが発見できるのかと言う議論があります。

この問題提起に対して、科学の方法論では、帰納的推論と言う手法を提案しています。これは、事実関係を連ねて、一般化した規則を見出す手法です。

また自然科学の場合には、実験結果を説明する理論を作る場合にも、帰納的な推論をすることがあります。

 ただし、帰納的推論に関しては、特殊な事例だけを集めての失敗

  「何時も柳の下に泥鰌はいない。」

と言う反論があります。そのため、多くの事実関係が見つかった後、一般論を作るときには、他の理論的な要素を検討して、その命題を補強すると、信頼性が増します。

上記の例では、人間の生物としての構造から、細胞の寿命などを考慮して、「死ぬ理由」を見出すなどの作業で補強します。

5.6根拠と理由

論理的な議論では、自分が主張することに対して、根拠か理由が必要です。根拠とは、自分が主張しようとすることの、具体的な事例です。理由は、その主張を導いた、推論の筋道を示すものです。共通的に認められている前提事項から、自分の主張を導き出すのが理由で、皆が知っている事例を示すか、自分の体験談を話す、あるいは実験データを示すこと、が根拠になります。

論争などになれば、相手の根拠が本当に正しいのか、例外事項はないのか、一般化しすぎていないのかを追求することは、有効な反論手段です。

 

5.7弁証法

今まで述べた、演繹・帰納法以外に、弁証法と言う議論法があります。特に第2次大戦後の日本では、マルクス主義の唯物論的弁証法が幅を利かしていましたが、弁証法自体は、古くからある議論の展開法で、マルクス主義と関係なく学ぶべきものです。特に図2で示した、議論を行うモデルの拡張や充実をする時に、相矛盾する命題を解決する方法として有効です。以下に弁証法の事例を示します。

問題を考えるとき、単にその問題を解く場合より、矛盾した二つの要求に向き合い悩み、新しい発想で物事を考えることで、両方を成立させるよう努力します。この作業ができれば、創造的な考え方ができるようになります。

5.8抽象の梯子

1930年代からアメリカで発達した一般意味論では、具体的な物事が抽象化する過程を、抽象の梯子と提案しています。例えば、一頭の牝牛ベッシ―を、以下のような階層で表現しています。

一般意味論の創始者、アルフレッド・コージブスキーは、戦争経験者の神経症の治療に、この考えを用いることを提唱しました。戦場で経験した、恐怖体験を、過度に一般化しないように、

「抽象の梯子を下る」

ことを推奨して効果を上げています。

論文作成や議論の場に於いて、抽象の段階を意識することは大切です。世の中には、自分の体験を過剰に一般化し、どこでも通用すると考える人がいます。彼等に、具体例を示し、現実にはこのような事例があると反論することは効果があります。また、現実体験の少ない、理論知識過剰の人間にも抽象の梯子を下りる、具体的な議論での反論が効果的です。

5.9比較による議論

自然科学の分野では、理論的な成果を、実験で確認することが可能となることがあります。しかしながら、社会科学や人文科学の分野では、社会現象など議論するため、実験を行うことは難しくなります。

そのために有効な手段として、歴史的・地理的に異なった状況の比較検討と言う方法があります。例えば、日本の文明は、中華文明圏に地理的に近接しながらも、独自の発展を遂げています。

これは、韓国と比較すれば、以下のような点で違いがあります。

1.      科挙の制度は韓国にあったが日本には存在しない
2.      日本の仮名文字は平安時代には確立したが、朝鮮半島でのハングル文字は15世紀半ばにようやく普及した

このように比較することで、なぜそのような現象が起こるか、要因を明確にして議論することは、人文・社会科学の論文の作成手法です。

なお、上記に関して

 「日本は島国だから」

と言う根拠を挙げる人もいるでしょうが、これだけで済ませず、さらに再反論を加えることで、議論は深まっていきます。

 再反論:「琉球王朝は科挙の制度を持っていた。従って島国は決定要因ではない。」

これに対して、空海が真言宗の八祖に、唐人を差し置いてなったことなどから、中華文明に対して独立するだけの地力が在った、と議論を展開することで、一歩踏み込んだ議論を展開できます。

なお、比較による議論を行うときには、抽象のレベルを合わせることが大切です。個人の体験談と、歴史的な一般論を比較することは、例外が多くなって失敗します。抽象の梯子を意識することは、このような失敗を免れるために大切です。

6.論文の書き方

ここでは、個別の論理性と言うより、論文全体の構成について説明します。なお、論文の構造には色々なものがあり、それだけで一冊の本が書ける程度の問題です。しかしながら、この部分を明確に書いた、教科書に巡り合えない人もいるので、一つの切り口を提示しておきます。

まず、論文の目的であるが、大きく分けて、二つの面があります。一つは、研究者が、新しいことや今まで無視されていたことを見出して、それを世の中に訴えたいという論文です。もう一つは、研究者自身の能力を認めてもらうための論文です。現実的に新しい意見を持っていても、世間で認められるためには、まず研究者としてしっかりしていると認められないと、相手にされないという状況もあるのです。従って、研究者として一人前と、評価を受ける論文を書くことは重要です。以下、論文の構成について一例を挙げます。

 

重要なことは2点です。一つは、自分の意見に対する反論を自ら考えることです。科学と信仰を分ける点は、「反証可能性」の概念です。「自分が正しい」とだけ主張するのは、信仰の世界であり、科学的な態度は、常に自ら間違う可能性を考慮しながら、検討を進めます。このような姿勢が身についているということを示すためにも、論文の中で反論を試みることは重要です。

次に、引用文献の扱いは、今までの研究を理解し、科学者の専門家の知識を持っていることを示す、重要な項目です。今までの先人の成果を明らかにし、その上に積み重ねる物を示します。このような姿勢が身についていることを、参考文献の扱いは示しています。

なお、図10の構造は、あくまで一例であり、これにこだわることはありません。

7.終わりに

学問世界は、論理的な思考法と言うことで、一般人との差別化を図っています。この世界で受け入れられるための条件として、必要な能力は、事実と意見をきちんと分離し、確かな根拠から、確実に議論を進める力です。このような能力の一部を今回は示しました。

参考文献

1.藤田哲也他2002 大学基礎講座 北大路書房

この本は、大学での基礎的なスキルを身につけるために必要なことが多く書かれている。小論の後に読んで実修してほしい本です。

2.伊藤笏康 1992 科学哲学 放送大学教材

 第2章の学問の姿勢は、この本を参考にしました。

3.吉田洋一・赤攝也 2013 数学序説 ちくま学芸文庫

論理的思考法に関しては、この本の1章幾何学的精神を参考にしました。なおこの本は、立教大学の文学部の教養課程の数学講義資料であった。文系でも、数学的な考え方をきちんと教えるべきと言う、著者たちの誠意を感じる本です。

4.伊勢田哲治 2005 哲学思考トレーニング ちくま新書

演繹的な思考法の訓練として参考にしました。

5.S.I.ハヤカワ 大久保忠利訳 思考と行動における言語 岩波書店

一般意味論の古典で、5.8の抽象の梯子に関し、この本を参考にしました。

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