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政治に対する怒りを音楽で表現してどこが悪い! 死んだケネディ大統領を名乗るカリフォルニアのバンドは1980年、カンボジアの休日を歌った。

どこの国とて政府は必ずしも国民の命を護ってはくれない。2020年以降のコロナとワクチンの時代にわれわれも学んだこと。しかも、2023年11月末、危険きわまりないレプリコンワクチンが日本で承認された。また、近く東アジア有事が起こることも懸念され、日本ではそのための法整備も着々と進められています。



さて、時まさにカリフォルニア州が、1960年代後半の、ロックンロールとLOVE & PEACEとマリファナのヒッピームーヴメント、意識の拡張と称してLSDでトリップをたしなみながらロックを楽しみ、ニューエイジ・サイエンス、エコロジー運動のメッカであったことを完全に過去のものにし、1980年を境に、隆盛するハリウッド映画と、半導体、軍需産業、宇宙開発先端の地シリコンヴァレーを擁する州に変貌する時期のこと。なお、アメリカ大統領はピーナツ農夫あがりのジミー・カーター大統領に替わって、1981年以降ロナルド・レーガンの時代を迎えます。日本ではYMOが大活躍し、翻訳に時差をともなうがゆえ、フリッチョフ・カプラの『タオ自然学』が翻訳され、ライアル・ワトソンの『生命潮流』が話題になり、テレビではマーシャル・マクルーハンの紹介者で親米派評論家の竹村健一が活躍していた時代です。





デッド・ケネディーズはサン・フランシスコのバンドだけあって、この腐った社会がどのように構造化されているかを見抜いています。アメリカは兵器産業をうるおすために世界中で無駄な戦争を起こして、そのカネでアメリカ人は快適な暮らしがいとなめる。しかもヴェトナム戦争においてはアメリカ兵を現地で戦わせてまでも!



そしてまたかれらは非難しているでしょう、60年代のヴェトナム反戦運動が結局はマリファナ吸ってLOVE & PEACEに退却し、自滅していったことをも。なお、カリフォルニアはヒッピームーヴメントの中心地でしたからね。また、マリファナはヴェトナム戦争で戦い、狂気すれすれに殺伐とした兵士たちの心を、わずかながらもピンク色に染め慰めもしたでしょう。なお、ヴェトナム戦争は1975年に終結したものの、その後多くの兵士が地獄で辛うじて生き延び、結果精神を病んで帰国しています。家庭で暗い顔してふさぎ込んでただひたすらバーボンを飲んでいる夫や父親の姿を想像してください。



なお、おそらくこの曲は、フランシスフォード・コッポラ(ソフィア・コッポラのおとうさん)監督の『地獄の黙示録』(1979年)に呼応しています。



しかもデッド・ケネディーズの演奏はめちゃめちゃ巧い! しかも圧倒的な熱量! なお、この曲はドラムスはエイトビート、ベースとギターは16ビートなんですね。ギターは巧みにこの曲の恐怖と地獄の世界を演出しています。



ヴォーカルのジェロ・ビアフラ(Jello Biafra 本名Eric Reed Boucher b.1958-。)はコロラド州の生まれで、図書館司書と精神科のソシアルワーカーのあいだに生まれた。かれは1979年から1986年までデッド・ケネディーズに在籍した。



かれはアメリカ緑の党のメンバーで、1979年カリフォルニア州知事選に立候補した。かれの公約は、市内でビジネスマンにピエロのスーツを着ることを強制すること。1978年にカリフォルニア市長、ジョージ・モスコーニとハーヴェイ・ミルクを暗殺したダン・ホワイトの彫像を市内のあちこちに建てること。公園局は人々が彫像にぶつけることのできる卵やトマトを販売することを許可すること。失業者を雇用し、市全体で自動車を禁止すること。とうぜんかれは選挙に落選した。



1983年デッド・ケネディーズは、ロック・アゲインスト・レーガン・フェスティバルのヘッドライナーを務めた。また、ジェロ・ビアフラは2000年の大統領選挙では党代表として立候補したが、2位となって落選した。


thanks to 湘南の宇宙さん

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