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ポルノとアナボリック・ステロイドが、松ちゃんを殺した?

2023年末からいまなお続く週刊文春の(執念深い)記事が真実なのか、虚偽なのか。性加害があったのか、なかったのか。はたまた合意の上でのことだったにもかかわらず、いまごろになって告発者の女性たちが事実を捻じ曲げているのか。それは当事者たちにしかわからない。真実は闇のなかですよ。ただし、仮に性加害がなかったとしても、けっこうな数の女たちが松ちゃんに精神的に傷つけられ、松ちゃんに恨みを持っていることだけは伝わってきます。どうしてこんなことが起こってしまっただろう? ここでは松本人志(b.1963‐)さんの精神構造がどういうふうにできあがったのかについて考察してみたい。週刊文春の(不当なまでに粘着的な)記事をいくらか参照しながら。



これはダウンタウンの最初の黄金期『ダウンタウンのごっつえぇ感じ』1991~1997(フジテレビ、ゴールデンタイム)の番組なかのコントのひとつ。当時ダウンタウンと言えば向かうところ敵なしの若者ふたりであり、最強の笑いの改革者だった。当時の松ちゃんはすらりと痩せて、まだマッチョでもなく、髪型といい細顎といい、すべての価値観を破壊させてしまいたいうという暴力性といい、坂本龍一さんによく似ていた。


そもそもこのトカゲのおっさんの自意識の歪みと暗がりの、なんて生々しいことだろう。ぼくはこのコントがトラウマのように残っている。トカゲのおっさんは、フランツ・カフカにとっての『変身』に相当するものがある。トカゲのおっさんこそ松ちゃんの自画像だ、と、ぼくはおもう。



育った環境は両親、松ちゃんの5歳上のおねえさん、3歳上のおにいさん、そして末っ子の松ちゃん。家庭は貧しく、松ちゃんは内向的で神経質、人見知り。少年時代から笑いに情熱を捧げ、小中学校の同級生の浜ちゃんとともに漫才をはじめる。松ちゃんは十代はモテなかったろう。兵庫県立尼ケ崎工業高校は男子校です。松ちゃんはポルノによって女性観を作っていっただろう。そういう女性観はふつうはその後修正されるものだけれど、しかし、果たして松ちゃんはどうだったろう? 逆に言えば、いまでこそ松ちゃんは家族を愛しているけれど、しかし松ちゃんの人生を華々しく彩る無数の性愛には、恋愛への夢も期待も一切感じない。


なお、松ちゃんと浜ちゃんの高校時代にマンザイブーム(1980~1982)が巻き起こっている。B&Bはモミジ饅頭でウケ、セントルイスは「田園調布に家が建つ」で笑いをさらい、ツービートは「寝るまえに必ず締めよう親の首」と過激なボケて笑いを取り、紳助竜介はツッパリ漫才で人気者になった。なお、島田紳助はダウンタウンの異能の才を認め、かれらは1985年漫才から手を引いた。つまり紳助さんは、松ちゃんに、そしてダウンタウンに自分たちの漫才の、バトンを渡した。



折しもかれらがダウンタウンとして売れはじめたのは1984年あたり、つまりかれらが二十代そうそうからだったらしい。ナンセンスな発想、ときに嗜虐性/加虐性を隠しもせず、声を張るも落とすも自由自在、とぼけた声音、自在にして絶妙の間で、爆笑を取る。売れはじめてからの松ちゃんは「遅れて来た青春を謳歌するようになる」と週刊文春に(皮肉たっぷりに)形容されています。舎弟さながらの(?)後輩芸人に、女性を調達させて一夜限りの遊びがはじまったということである。それでも当時松ちゃんは若く、性交相手の女性との年齢差も小さかった。また大阪の女の子たちのなかには、若い人気漫才師をスター化する風潮も強い。時代もまた昭和末期で芸人の遊びを大目に見る傾向もあった。




『ダウンタウンのごっつえぇ感じ』1991~1997はめちゃめちゃおもしろく、毎週毎週想像力が最大限に絞り切られていた。昭和の哀愁漂う「おかんとマーくん」、セクハラ横行の「キャシイ塚本」、つけ鼻の西洋人「Mr.BATER」はいつもパーティへ行くまえにせいていて、恨み骨髄を攻撃的な笑いに変えた「やすしくん」、すべてが圧倒的だった。(そのほか板尾創路さんが歌う場違いな歌もぼくは好きだった、とくに『草履』が。)しかもかれらは『ガキの使いやあらへんで』も並行して持っていた。著書の『遺書』および『松本』も大ヒット。松ちゃんが笑いの求道者と呼ばれるようになるのもこの時期からだ。



この時期のかれはもはやなにがおもしろいか、おもしろくないか、その境界領域のカオスのなかに飛び込んでゆく。笑いの新境地を開拓するために。『頭頭 Tōzu 』(1993)、『寸止め海峡(仮題)』(1995)、(1998年、松ちゃんは髪を切り落とし坊主頭になって)、『ビジュアルバム(3作)』 (1998~9)、『佐助』(2001)、『zassaザッサー』(2006)に至る。テレビの『働くおっさん人形』(2002-2003)~『働くおっさん劇場』(2006~2007)も重要です、野見隆明さんが出演してらっしゃるという点で。



つまりこの時期の松ちゃんは『ごっつえぇ感じ』ですでに笑いの才能を全開させていたにもかかわらず、本人にはいまだ存在しない破天荒な天才性への憧れが身を焼き尽くすほどにあったのではないかしら。(余談ながら松ちゃんの肉体のマッチョ化は、坊主になって4年後の2002年、40代直前に始まっています。)けっきょくかれの40代の映画4作が松ちゃんの、わけのわからない未知の笑いの世界へ身を投じてゆくその模索と冒険の到達点になってゆく。『大日本人』(2007)、『しんぼる』(2009)、野見隆明さんをフィーチャーした『さや侍』(2011)、ぼく自身は松ちゃんのSM趣味に共感できないものの『R100』(2013)。どの映画もひそかに松ちゃんの自伝的なものであり、かつまたその手法にはあらん限りの野心もあれば創意工夫もあるものの、しかし、観る者を困らせ悩まし、手放しでおもいしろいと言える人はきわめて少ないでしょう。また、2010年10月からNHKで放映された松ちゃんが企画構成出演演出のすべてを手掛けた『松本人志のコントMHK』も視聴率はまったくふるわなかった。なお、2011年には吉本興業は約40億円の赤字を出しています。(余談ながら、2014年12月松ちゃんは長めの坊主頭の髪の毛をシャンパンゴールドまでブリーチしています。なお、口まわりのヒゲは白髪交じりの黒。肉体もファッションも00年代ふうのマッチョなヒップホップふうになってゆきます。ただし、顔ははやばやとおじいさんです。)



なお、松ちゃんが笑いの求道者と呼ばれる裏面には、松ちゃんは笑いの世界以外には、ゲームと、あとは相手をとっかえひっかえのセックスにしか関心がないように見えることが潜んでいる。舎弟のような後輩芸人たちに不自由はしないにせよ、しかし、友達は中居 正広さんだけ? 松ちゃんはものすごく狭い世界で孤独に生きている。激動する世界からも、変化しつづける倫理観からも、松ちゃんはおいてきぼりにされている。



もっとも、松ちゃんは映画4作品で興行的に大コケしたものの、しかし他方でM1グランプリおよびキングオブコント審査員を務めるようになっていて、笑いの世界の権威になってゆきます。そのうえ音楽番組を笑いに包んで盛り上げ、『すべらない話』では落語へのオマージュもおこない、はたまたまったく向いていないにもかかわらず『ワイドなショー』の主演コメンテーターになってもゆきます。この頃から松ちゃんは、現役のコメディアンであることはもちろんのことながら、むしろ笑いの世界の最高権力者、さらにはさまざまな番組の遊び方を考案する企画者、笑いのオーガナイザーの顔をも持ってゆきます。いまや松ちゃんはテレビ界の王様です。さぞや気難しい王様だったことでしょう。まわりの人たちはみんな腫物に触るようだったことでしょう。



さて、2023年末から現在なお進行中の『週刊文春』のすっぱ抜き報道を側聞すると、松ちゃんは五十代に入ってからもあいかわらず舎弟さながらの若手芸人たちを使って、若い女たちを調達し、合意の上でかどうかはやや謎を残しながらも、自由につまみ喰いを繰り返してきたらしいことが聞こえてくる。「アテンド芸人(=女衒)」「女性上納システム」そんな言葉が記事に踊る。


50歳を越えた男が、〈若い女たちの誰もが自分に夢中になるめちゃめちゃイケてるマッチョな性豪〉という妄想的な、ポルノスターな自意識を持っている。これはいささか不気味なことだ。しかも、松ちゃんは若い女性ととっかえひっかえ性交することが大好きながら、しかし、女性の年齢差は親娘ほども離れているのだ。松ちゃんにとってはだからこそいっそう興奮するのかもしれないけれど。


しかも、なおさら厄介なことは、松ちゃんはほんとうに楽しんでいたかしらん? むしろ。女たちとやりつづけねばならない、という強迫観念にせきたてられていたのではないかしらん。



松ちゃん、46歳。


今回の松本人志騒動にぼくはアナボリック・ステロイドの影を見る。いま、『しんぼる』(2009)を観ると46歳の松ちゃんの顔が若々しいことに驚く。(なお、2009年5月、松ちゃんは「お天気お姉さん」の井原凛さんと結婚します。あるいは、自分が護るべき人ができたことによって、松ちゃんのマッチョへの情熱は倍増したのかもしれません。)2012年あたりまでの松ちゃんの筋肉は自然なつき方をしています。しかし、『水曜日のダウンタウン』で、松ちゃんが謎の覆面レスラー、エル・チキンライスとして登場したのが2015年4月で、この筋肉のつき方はアナボリック・ステロイドを疑われても不思議はありません。このとき松ちゃんは51歳です。


松ちゃん、51歳。



アナボリック・ステロイドとは、睾丸で作られる男性ホルモンであるテストステロン同様のものを合成化合物として製造したもので、タンパク同化作用を有する。アナボリック・ステロイドは(いちおう)合法薬物で、じっさい医療現場では更年期障害外来などで、錠剤もしくは筋肉注射として使われています。ただし、それはあくまでも注意深く限定的な投与量を前提にしていて、むやみやたらと使うものではありません。しかし他方、一部のボディビルダーたちのなかには筋肉増強剤としてこのアナボリック・ステロイドを大量に使っている人たちもいて、これを用いると通常の10倍以上の早さで筋肉がついてゆく。ただし、むきむきの筋肉と引き替えに、どんな健康被害が起こるか知れたものではありません。ただし、ニーズのあるところには仕事が生まれるもの、いまや筋肉増強外来なる診療機関もあります。議論のある診療内容ながら、それでも自己流でアナボリック・ステロイドを大量投与するよりはましではあるでしょう。なお、おそらく松ちゃんは自己流でアナボリック・ステロイドを大量に使っているでしょう。



なにが危険かと言って、そもそもヒトの体は、脳、甲状腺、脾臓、副腎、睾丸、卵巣などで百種以上のホルモンを作り出しています。そこにはバランスがある。しかし、アナボリック・ステロイドを使うボディビルダーは、筋肉増強のために男性ホルモンをどかどか大量に入れてゆくわけですから、筋肉と引き替えに、体内のホルモンバランスがめちゃくちゃなことになる。なにが起こるかわからない。臓器への負担も大きい。したがって、高血圧、血栓、コレステロール異常、動脈硬化、心臓肥大、心臓発作、卒中、肝機能障害、男性型脱毛症、男でありながらおっぱいが大きくなることもあれば、おそらくは松ちゃんがそうであるように性欲が亢進することもあれば、はたまた逆に精巣萎縮による減退が起こることもある。倦怠感に襲われたり、鬱になりやすくなったり、キレやすくなって、攻撃性が増すことも知られています。体のなかのいたるところが無茶苦茶な状態になってしまう。たとえば、本番中の松ちゃんが頭から汗をかきまくって汗がスーツに落ちまくるなんて光景も、代謝がおかしくなっているからでしょう。もちろん松ちゃんがキレやすいことも。もちろん内臓のあちこちにさしさわりがないはずがありません。



松ちゃんにとって家族を愛し大事にすることと、連日連夜女遊びに入れあげることに、まったく矛盾はありません。そもそもアナボリック・ステロイドによって松ちゃんの性欲は中高生並みに燃え盛っています。しかし、そんなことをつづけていて問題が起きないわけがありません。じっさい2023年末以降の『週刊文春』連続報道によれば、松ちゃんに性被害を訴える女性たちの声は後を絶たない。セクハラとパワハラの(最悪の)マリアージュがここにありそうではあって。それでも松ちゃんは、女たちはみんなおれに夢中だ、と信じていたかしらん?



しかし、アナボリック・ステロイドは甘くありません。テレビ画面では明るくひょうひょうとして軽妙な松ちゃんは、実はもう十年以上も健康を壊し、ひそかに地獄を抱えながらひじょうに不安定な心身状態で生きて来たことでしょう。おそらく松ちゃんの血液検査と尿検査の数値は、とんでもない数字が並んでいるでしょう。近年の松ちゃんが「いつ引退してもいい」と漏らしていたことは、おそらく松ちゃんは自分の体がボロボロでもはや限界に達していることへの辛く苦しい自覚があったのではないかしら。


とはいえ、松ちゃんは週刊文春に怒り心頭。5億5000万円の損害賠償を文春に求める訴訟を起こした。2024年3月28日に、文春VS松本人志の裁判開始だそうな。



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