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ファイブスター物語とゴティックメードを見てきた

秋葉原UDXシアターにて、ファイブスター物語(ストーリーズ)(FSS)とゴティックメード(GTM)を見に行った。なおわたしは永野護を全肯定できる程度の永野信者である。

本日のイベントの詳細はこちら↓

今まで何度もお世話になっているドリパスさんのこの企画で、夢のような上映会を拝見することができた。

1988年上映の『映画版ファイブスター物語』と、2012年上映の『ゴティックメード』。ご存知ない方のために説明すると、映画版はコミックス1巻の映画化、『ゴティックメード』はそのはるか昔を描いた前日譚だ。

原作者・永野護は、もう30年以上も『ファイブスター物語』の世界を抱いている。ゆえに、連載当初とは設定や世界観のぶれが発生している。

たとえば、映画版で主人公のレディオス・ソープは、人造演算人間・ファティマのことを『美麗だが人間と何ら変わりのない存在』と言っているが、最近の設定だとファティマはどんどん人間離れして、生体演算機としての側面を強めている。

これは手のひら返しを批判しているのではない。長い連載で永野の見つけた面白い要素を次々に投入するのがファイブスター物語という作品の面白みである、と我々信者が受け止めていることを言いたいのだ。

その最たるものが、2013年4月のリブートである。ニュータイプにて連載が再開された日、読者は驚いた。作者自ら、今まで活躍していたロボット・モーターヘッド(MH)はなかったことにし、連載当初からゴティックメード(GTM)というフォーマットのロボットが活躍していたということにしろ、と読者に要求したのだ。

当然、そんなめちゃくちゃを聞く道理はない。一定数の人は立ち去ったが、残された本物の狂人は己の脳に働きかけ、第1話のクライマックスで主人公カップル(レディオス・ソープとファティマ・ラキシス)を見守っていた巨大ロボットをMHナイト・オブ・ゴールドからGTMマグナパレスに上書きした。

信者と呼ばれる人が、永野護に何を要求しているかは千差万別だ。中には、GTMにはついていけないながらもMHの造形が好きで、MHのプラモやガレージキットを組み立てている人もいる。

わたしは、とにかくこの世でいちばん面白いものを提供してくれる神の御業を見ていたいから、信者業に勤しんでいる。
永野護とわたしは波長が合う――というか、長年の信教活動で波長を完全に永野へ合わせるようになった。ここ10年ばかりでいちばん面白かったのは、クラーケンベール・メヨーヨ大帝の『つけヒゲ剥がし』だった。

そんな帰依の対象から裏切られることがあったら怖い。その不安な気持ちを↓のエントリには記したが、被害/加害妄想に過ぎないので、肩の力を抜いてご覧いただけたら幸いである。

短くまとめようとして失敗した。要するに、わたしは永野護を気まぐれな神、ファイブスター物語を書き換わり得る教典、川村万梨阿と井上伸一郎を神の代弁者として認識している。
永野神には度の越えた失言を控えていただきたい。
信者は多少の不謹慎発言や過激発言の耐性があるか、次の失言は一般人では理解できないものかもしれない。
公的/私的パートナーにはぜひこの荒ぶる神の巫(かんなぎ)となっていただきたい。そして神の戯れの流出をなるたけ制御していただきたい。

本当に好きなんだ…炎上でもしてそのイメージが作品についてしまっては困る。これから先も、なんの後顧の憂いなく話に集中できることを祈る。

いただいたサポートをガチャに費やすことはしません。自分の血肉にするよう約束いたします。