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元無職がシリコンバレーで出資を受ける

シリコンバレーのアクセラレーター、Pioneerで首位を獲得して5ヶ月が過ぎようとしています。同プログラムを卒業後、私たちはUberやRobinhoodの初期投資家として知られる、Jason Calacanis氏より出資を受けるに至りました。

結局、COVID-19の影響もあって、対面では誰とも会うことがないまま、チームを組織し、Remotehourが始まって以来、初めての資金調達を完了することにもなったのですが、こうしたケースはまだ一般的ではないかと思います。

フルリモートの条件下であれば、場所に捉われず、どこにいても「世界中で使われるプロダクトを作る」チャレンジができるようになりました。私たちもまだ、次に進めるかどうかの瀬戸際でもがく毎日を送っているものですが、少しでもここまでで経験した試行錯誤や、判断が、日本人でシリコンバレーで出資を受けてみたいと考えている方の参考になれればと思い、ありのままに綴っていきます。

最初の投資家

どのアクセラレーターにおいても、プログラムの卒業時にはデモデイが実施されます。デモデイは、参画企業が資金調達を目的とし、集まったVCやエンジェル投資家に対してピッチを行なうイベントで、Pioneerでも、この実施は例外ではなく、4月末にRemotehourとしてデモデイでピッチすることが決まりました。

ピッチに与えられた時間は、2分。何が問題で、それをどうやってプロダクトが解決し、市場はどのくらい大きいのかを簡潔にまとめなければなりませんでした、もちろん英語で。

デモデイの前週には、参加企業の創業者がZoom上に集まり、リハーサルを行なったのですが。私が受けたフィードバックは、「Good newsがあるぞ、シュン。それは、まだ本番まで一週間もあるということだ」。もはや叱咤激励を通り越して、遠回しに許す時間の限りに、練習と試行錯誤をするよう伝えられたわけです。

ですが、実際に一週間もあれば、2分のピッチをある程度のクオリティに落とし込み、スクリプトを暗記し、思い伝わるまで練習することは決して出来ないことではありませんでした。

確かに、誰から見ても100点と呼べるような仕上がりではなかったものの、このデモデイを見て、声をかけてくれた投資家もいました。アメリカで出資を受ける、これはYoutubeでインタビューをしていた頃から、思い描いていた夢を実現するために、避けては通れない試練であり、これが少しずつ、現実味を帯びてきていると実感した瞬間でもありました。

そうして、これが現実へと叶ったのが、Ramon Recuero氏からの出資でした。彼と出会ったのは、2017年12月の東京で、当時、彼はY Combinatorチームと来日していました。この情報を知ってすぐに、Twitterでリプライを飛ばしたところ、知り合いの起業家数人とカフェで話し合う時間をセットしてくれることになりました。

それからの数年間、事業をコロコロと変えている間にも、Ramonはその都度、勇気が湧いてくるようなアドバイスをくれて、もしメンターが誰かと尋ねられたなら、真っ先に彼の名前を挙げるんだと思います。

「これからの人生の全てを、Remotehourに捧げていきたい。」と率直に彼に伝えてみると、「是非、出資したい。」とメールを返してくれました。

Ramonは、何もなかった自分を見捨てずにいてくれた、シリコンバレーの初めての人であり、まだロクにトラクションも出せていなかったRemotehourを初めて信じてくれた人でもあります。こういう人の期待を裏切るような人間ではありたくないなと心から思うものです。

五所のジョイン

スタートアップをやるにあたって、共同創業者の存在は何よりも大きなものとして位置づけられます。一人でも何とかなると口では言い張っていたものの、これからビジネスとしてRemotehourを続けていくにおいては、私だけでは抱えきれない漠然とした不安があるのも事実でした。

とはいえ、この状況下で新しく探すのには間に合わないし、中途半端な関係性の人に入ってもらえば、それは地獄の始まりです。残念ながら、この大仕事を万を期して任せられるような人は思いつきませんでした、一人を除いて。

五所と出会ったのは、共通の友人が開いた飲み会で、エンジニアっぽくないエンジニアというのが第一印象でした。彼とは、東京で暮らしてた頃から、一緒にサービスを作ったり、集まってプログラミングをするような仲になり、私の出国日が決まった際、「シリコンバレーへ行ってみない?」と誘ってみれば、二つ返事に答えて、渡米に付き合ってくれることになりました。

彼はそのアメリカへ向かう飛行機の中で、Dockerコンポーネントを本番環境にコマンド一つで立ち上げられるアイデアを思いつき、アメリカ入りした初日からコードを書き殴っていました。寝る間も惜しまず、食べるものも適当に済まし、文字通り無我夢中でプロダクト開発に打ち込む彼を見ていて、彼のような起業家と同じ方向を目指して生きていきたいと、心から思うことができました。

一ヶ月と少しして、彼は帰国し、別の国内スタートアップのCTOに就任することになったのですが、傍ら、世界で認められるようなOSSを輩出し続けてきました。中でも、typed-graphqlifyはAngular.jsやPaypalにも採用されるような人気を博しています。

そんな彼にとって、必死で打ち込んできたスタートアップを志半ばで退き、うちにジョインすることは決して簡単な決断ではなかったと思います。それでも、Remotehourには五所が必要であったし、もし、断られてしまったのなら代わりはいませんでした。このことを率直に伝えてみると、考えた末に、夢に乗ってくれると答えてくれました。

五所や、フリーランス時代、何年も苦楽を共にしてきた谷口のジョインが決まり、ようやくチームと呼べるような形が見えてきました。

チームと、プロダクトの方向性を定め、日米を中心に資金調達へ乗り出していきました。初めての調達ということもあり、分からないことはSF先輩起業家のChomp キヨさんRamen Hero 長谷川さんAnyplace 内藤さんからアドバイスをいただきました。いつも本当にありがとうございます。

そして、VCで一番初めに投資を決めてくれたのは、MIRAISE 岩田さんでした。最初の面談から、Remotehourでこういうことがしたい、ああいうことがしたいという絵空事に、真摯に耳を傾けてくれました。リスクが高いアメリカでの起業、一度も対面でお会いしたことがないにも関わらず、即座に決断していただきました。

UB Ventures 岩澤さんは、エントリーフォームから熱い思いをぶつけたところ、もっと熱い言葉で返していただき、最初に話した時から「こういう方とお仕事したい!」と思わせるような魅力のある方でした。

岩田さんや、岩澤さんが、5年後、10年後に「Remotehourの初期投資家」として紹介してもらえるようになることが、世界中で使われるプロダクトを作ると、盲目的に目指してきた私に芽生えた、新しい夢でもあります。

Clubhouseでの出来事

グローバルを軸にビジネスを展開していくのであれば、アメリカのVCから出資を受けたい。何とかして、受けられないものかと、西から東まで、ジャンルを問わず、ひたすらコールドメールを送り始めました。

計200通以上はメールを送ってみたのですが、Pioneerブランドが活きたこともあってか、実際にミーティングの機会をもらえたり、返事はちゃんと返ってきたりするものでした。有名どころと、Hustle Fundや、Remote First Capitalと話したりしました。

Hustle Fundは、サイトからアプライし、その後、代表のElizabeth Yin氏と何回かメールでのやり取りを行ない、プロダクト自体には興味を持ってもらえたのですが、最終的には「やはり、まだ出資するには早い。市場が見えづらい。」と音声メッセージで断られてしまいました。

Pioneerに入る前からやり取りが始まっていた、Remote First CapitalのAndreas Klinger氏とは、友人のFlipmass Stephenの紹介で繋がりました。彼には、定期的に進捗データや、資金調達に関する相談にも乗ってもらっていたため望みはあるとは思っていたのですが。「RemotehourはYeaではあるけど、Hell Yeaではない。」とあっさり返されてしまいました。

最終的には、Jason Calacanis氏から出資を受け、彼のLAUNCH アクセラレーターに入ることとなるのですが、彼と最初に言葉を交わしたのは、Clubhouseでした。

Clubhouseは、シリコンバレーの著名人たちがこぞって入ってることで話題となった、完全招待制の音声コミュニティ。何のバックグラウンドも持たない私がこの中へ入れたのは、アプリのリリース当日に、Stephenが招待URLを真っ先に送っておいてくれたからでした。

Stephenと出会ったのは、今も住んでいるPodShareなのですが、彼がしてくれたことの全ては何年かかっても返しきれないことばかりです。

ある日、そんなStephenと、友人何人かでClubhouse話していたところ、Jasonが部屋に登場し、若手の起業家たちが順々にピッチしていく流れになりました。拙いながらも、Remotehourの使い方を説明してみたところ、際立ったフィードバックがあったわけではなかったのですが、その週、彼がRemotehourにサインアップしているのを見つけました。

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JasonからのRemotehour

少し、Pioneerの話に戻ります。私が卒業した、このフルリモートのアクセラレーターは、2018年にYCパートナーであったDaniel Gross氏が始めた新しい仕組みで、日本だけでなく、世界でもまだ認知度が高いというわけではありませんでした。

Pioneerをもっと盛り上げたい、少しでもPioneerを知る人が増えれば嬉しいというシンプルな思いから、日本人である私自身がいかに工夫してPioneerに選ばれ、デモデイに参加し、卒業するまでの経緯をMediumに投稿し、公開することにしました。

書いた記事をPioneerのSlack内で共有してみたところ、他のメンバーたちが読んでくれるだけでなく、シェアして拡散してくれたのです。代表のDanielも、何も言葉は添えず、記事のリンクをツイートしてくれました。

シリコンバレーの中の人である、Danielが公の場で記事を紹介してくれただけで心の底からありがたい気持ちでいっぱいだったのですが、このツイートをキッカケに多くの人たちが、私やRemotehourを見つけ始めました。

その中に、先日、Clubhouseで初対面を果たしたJasonからのDMがありました。

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「スマホアプリを出す予定はないのか。」、「デザインがイケてないな。」と次々、繰り出されていく彼からのプロダクトに対するフィードバックへ必死で応えていくと、ついに最も親しみのあるURLが送られてきました。

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URLの先に私が見たのは、RemotehourでオンラインになっているJason Calacanisであり、そのクリックした先に待ち構えていたのもJason本人でした。

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緊張のあまり、その時の会話はよく覚えていませんが、「日本といったらラーメンだよな。俺のお気に入りはサンマテオにある大勝軒だ。」といった世間話から始まり、しばらくプロダクトや、会社の状況に関する会話を交わした後に、「うちのアクセラレーターに入らないか?」と、LAUNCHの面談に誘われることになりました。

必死の再ローンチ

JasonとのRemotehourが終わって、その翌週に面談が設けられ、LAUNCHを運営するメンバーと話すことになりました。LACUNCHはトラクションを審査基準の重きに置いているアクセラレーターであったため、Jasonからの推薦があったとしても、売上の見込みが見えていないスタートアップに出資はできない、目処が立った頃にまた連絡をくれないかと、待ったをかけられてしまった状況になりました。

ここまでラッキーが続き過ぎた、ここから先は自分たちの力で切り開いていくしかない。LAUNCHの締め切りとされている二、三週間後までに、やらなければいけないことは「プレミアムプランを実装し、売上を上げる」でした。プレミアムプランを実装するためには、現行のプロダクト構造を根本から見直す必要があり、これは全く別のプロダクトをゼロから作り直すことを意味していました。

そう悟ってすぐに相談した相手が、後に、Remotehour最初のエンジニアとしてジョインすることになる、谷口でした。

谷口と出会ったのは、もう3年以上前。永田町にあるコワーキングスペースで、当時、Ruby on Railsを勉強し始めたばかりだった私が、設置されているホワイトボードに「Rails勉強してます!助けてください!!」と大きくサインをしているところに、最初で最後、声をかけてくれたヤツでした。

それから、彼と一緒にフリーランスを続け、幾つものプロジェクトに二人で取り組んできました。中には、明らかな無茶をぶつけてしまったこともあったのですが、彼は顔色一つ変えず、締め切りまでにちゃんと納品してきました。

仕事においても、プライベートにおいても、彼との思い出は尽きることがないのですが。数少ない友人たちの中でも、最も愛おしさが溢れるキャラクターの持ち主でした。

そんな彼にだからこそ、私が今置かれている状況、そして、切り開くべき未来について真っ向から相談することができました。「やろうよ、ヤマディ。」と、やっぱり顔色一つ変えずに応えてくれる彼の言葉に、進むべき道は一つになりました。

谷口はその時、引き受けていた仕事を全て延期し、わずか一週間ちょっとでRemotehourの全てを書き換える作業を完了しました。結局、LAUNCHから待ったをかけられてから、二週間後にはバージョン2.0をローンチしていたし、既存ユーザーから初の課金を受けることが出来ました。

このことをLAUNCHと、Jasonに報告すると、最終面談の案内が届き、面談を終えた、数日後には晴れて、通過の旨を含んだ連絡をいただくに至りました。

やり取りをするまでは恐い印象もあったのですが、Jasonはファウンダーフレンドリーで、彼の言動には優しさと期待を感じ取ることができます。詳しくは、内藤さんのブログで紹介されているのですが、Jasonファミリーの一員として、恥じない戦い方をしていきます。

私たちが目指すRemotehour

正直な話をすると、本当に資金調達できるのだろうか、投資家の方々と良好な関係性を築けるのだろうか、と不安でいっぱいなまま、始まったのですが、結果として、この人たち以外にありえないと思えるような方々に支援していただくことになり、この恩を結果でお返ししたいという一心で事業に取り組めるようになりました。

この過程において、偶然にも生まれたチームですが、やはり、このチーム以外にありえないと断言できます。類稀な発想力で、Remotehourを新天地へと導いてくれる五所、プログラムを組むことに止まらず、事業のバグがあれば軌道修正を試みる谷口の課題解決力が、私たちの歩みを弛まず進ませてくれる。また、私がサンフランシスコに行き来し始めた頃から、友人でいてくれているTinneiのデザインサポートがあり、私たちは信じるべき一つの未来へ向かうことが出来ています。

Remotehourは、あなたのインターネットに「Open Door」を提供していきます。これまで、インターネットを介して人と話すには、予め時間を設定して打ち合わせをするか、既に知っている人たちが同じプラットフォーム上で通話をかけるといったことが、当たり前でした。

COVID-19の中で、人と会えないけど話したいというニーズに応えるように、前述したClubhouseや、Chalkのようなリアルのように集まって人と話し合えるアプリが台頭してくるようになりました。これは、ビジネスの世界でも同じことが言及されるべきで、リアルが希薄化した今だからこそ、リアルで欠けたものをインターネットの未来に作っていく必要があります。

言い得たところでいうと、Remotehourはイベントのブース出展に近いのかもしれません。その人や、その商品についてもっと知りたい人たちが列を作って並び、彼らがブースを出展している間は何でも好きなことを尋ねることができます。

実際に、私たちが獲得しているユーザー層には、VCや採用担当の方が多く、彼らと直接、コンタクトを取りたいと思っている人たちに向けて、部屋を開放しています。

Jasonは私たちの投資家である前に、Remotehourというプロダクトの大ファンであり、彼がホストを務める「This Week in Startups」の中でも熱狂的に宣伝してくれるほどです。

そして、私たちはポスト・リアルビジネスの先に、どんな場面でもRemotehourが生きる瞬間がくると信じています。例えば、これまで、店頭に立って、訪問してきた一人一人の顧客に合わせて商品を紹介してきた接客業の方々が、自前のECサイトに、Remotehourを埋め込み、サイトに訪問したユーザーとワンクリックで出会えるようになる。不動産や、保険業界の訪問営業の方々が、メール、Webサイト、SNSにワンクリックで繋がるRemotehourをリンク共有することで、今まで以上に新規顧客を獲得できるようになるかもしれません。

リアルだからこそ出来たことをインターネットに生み出す。そして、インターネットの力で、リアル以上に可能性をもたらすことが、未来が必要としていることだと、私たちは強く信じています。

シリコンバレーのリアルで生きる

ここまで、フルリモートで起こったことを話してきました。「どこにいても変わらない」というスローガンが浸透していくにつれて、「なぜシリコンバレーなのか」という問いに答えるのが難しくなるように思います。実際、3月にロックダウンが始まって以来、直接人と会うような機会も減ってしまい、この土地を離れる人も増えてきたのも耳にするようになりました。

それでも、私はこれからもシリコンバレーを離れる予定はありません。また、どこかへ長期滞在することがあっても、戻ってくる場所はここしかありません。

Youtubeチャンネルを作って100人以上へインタビューをしたのも、悔しい思いを噛み締めながら過ごした日本での3年間、頭から離れなかったのも、プロダクトを試行錯誤し続けたのも、いつもここの景色が思い出されます。

そういう街を歩いていると、不思議とアイデアが湧き上がったり、悩みが晴れていくエナジーを感じられます。私にとって、シリコンバレーはそういう存在となっていました。

先日、LAUNCHの先輩でもある内藤さんと、Waffle さっそと食事に出かけたりもしたのですが、リアルで過ごす、こういう人たちとの時間の貴重さはまだリモートだけでは十分実現しえないということを改めて実感しました。

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そして、内藤さんたちが新しく始めた、「内藤フェローシップ」では、COVID-19という状況下にも関わらず、日本からシリコンバレーへと、世界を変えるプロダクトを作ろうと、若い人たちが集まってきているのも聞きました。私が知る限りでは、まだまだ日本人がアメリカで健闘している起業は多くはにものの、その多くがアメリカを拠点に活動しているのは事実だと思います。

こういう人たちがもっと増えるのは嬉しいことですし、アメリカでの挑戦や、Remotehourの未来に興味を持っていただいた方は、気兼ねなく、私のRemotehourまで声をかけていただければと思います。

ともあれ、私たちの旅は始まったばかりです。日々、不安やプレッシャーの中で過ごしているのも事実ですが、Remotehourが作っていく未来は明るいと信じて、「俺たちならやれる」と信じて、全力でスタートアップに打ち込んでいきたいと思います。

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