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ラーメンと山岳、私の至極の一杯

ラーメンとはその一杯の中に多くの語るべき宇宙があり、インスタントしか作ったことのない素人でも、そのことについて語り始めたら一介の哲学者になれる料理である。
 
今日、昼に近所のラーメン屋に行った。
肉そばを売りにしているチェーン店だが、近いというのもあって私は何度もリピートしている。
もちろん美味いという理由もある。
今日はその肉そばを食べた。
その喉越しのいい麺と、ほのかな甘みのするスープを飲みながら、いつしか私は、昨年の夏、日本第三位の高峰、奥穂高岳の山小屋で食べた豚骨ラーメンに思いが及んだ。
 
あの日の朝、上高地から重太郎新道を登り、前穂高岳に登った。登り始めは降っていなかった雨も、紀美子平でザックをデポし前穂高岳に登る辺りでポツポツと落ちてきた。私はレインウエアを着るまでもないと思い、濡れたまま前穂高岳から紀美子平に下りてきて、デポしたザックを再び背負って、奥穂高岳に向かう吊り尾根に入った。そのとき、私は事前の下調べを怠り、この登山で一番の難関は重太郎新道であると思っていた。そして、吊り尾根は普通の登山道だろう、などと甘く見ていた。

吊り尾根入り口


他に登山者はいなかった。私は雨の中の吊り尾根をひとりで登った。そこに入った瞬間から、もう難所の前触れがあった。岩の亀裂に足を置き、手は上の岩の亀裂を掴む、そんな場所から始まった。それでも私は舐めていて、ここを越えればあとは楽な登山道だろう、そう思っていた。しかし、実際は違った。行けども行けども、死と隣り合わせの岩場が続き、雨という天候と他に人がいないという条件が、私を一層精神的に追い詰めた。私は故郷を思った。家族や友人を思った。思えば思うほど、思ってはならないと思った。とにかく生きて帰らねば、と思った。思考を別に取られれば死ぬ、そう思った。一挙手一投足が命懸けだった。そんなとき、私の中に支配的に現れた幻像がある。それはこの日の宿である穂高岳山荘に着いたら食べることのできるであろう一杯のラーメンだった。私は絶対にこの至難を乗り越え、山小屋でラーメンを食べるのだ。もう、ラーメンのことばかりだった。生きること、それはラーメンを食べることだった。だが、このラーメンの幻像も故郷の家族友人と同じようにこの難所で思い出していては、足を滑らせ奈落に落ちる原因になるのは明らかだった。私はラーメンの幻像を振り払い、岩をよじ登った。鎖を掴んで急斜面を登った。もう写真を撮ることなど忘れていた。私はこの登山の様子をSNSで写真と文章で紹介するつもりだった。しかし、このときは生きることに必至で写真を撮る余裕はなかった。呼吸も口でしていた。鼻で目一杯吸い込んだら、口からヒューと音を出し吐いていた。なりふり構っていられる状況ではなかった。私は登山上級者ではない。地図も読めるか怪しい。そんな私はこの吊り尾根で、今どこにいるかがわからなかった。この難所が永遠に続くかと思われた。そう思っていたときに、私はいつのまにか雨の降りしきる奥穂高山頂に着いていた。

奥穂高岳山頂


あとは下って山小屋に行くだけである。もう私の思考は、完全にラーメンの幻像に囚われていた。下り坂は簡単だったため、油断した。私は何度も足を滑らせ尻もちをついた。運良く手をついた場所が平らな石の上などでよかった。もし尖った石の上に手をついていたら骨折していただろう。私は「最後まで油断してはいけない」そう思った。しかし、ラーメンの妄想が頭の半分を占めていた。だからこそ、自分を戒める必要があった。最後の梯子の一段一段を降りるときも、慎重に足下を確認しながら降りた。そして、山小屋前の石のテラスに降りたとき、私は「ああ、ラーメンが食べられる」と体中の力が抜けた。生き延びたことと、ラーメンが食べられることが等価だった。
小屋に入ると、テーブルとベンチがあり、すでにラーメンを食べている人たちがいた。私はその美味しそうな豚骨ラーメンを見て、何種類か選べるラーメンの中から豚骨ラーメンを注文した。そのラーメンは生き延びた証だった。

穂高岳山荘の豚骨ラーメン

その白いスープはかつて飲んだことのないほどクリーミーで甘かった。麺は柔らかく、味がしっかりと染みこんでいた。山の上のメシは美味い、とよく人は言う。何かを成し遂げたときの酒は美味いという人もいる。私はそんなものは精神論であって、飲食物の味がそのときの精神状態でそれほど左右されることがあろうか?と懐疑的だった。しかし、この穂高岳山荘の豚骨ラーメンを食べたとき、私の美味についての認識は革命的に変わった。高級グルメが必ずしも美味いわけではない。このように命懸けでなんとか山を登り、生き延びたときの最初の一杯のほうが我々の舌は、喉は、腹は、身体は、精神は、敏感にその美味さを感じ取るのであろう。
このとき以来、私はラーメン屋でラーメンを食べるより、山の上でカップラーメンを食べることを好むようになった。近場の低山に日帰りで行くとき、山頂で湯を沸かしてカップラーメンを食べることが目的になった。

低山山頂で湯を沸かし、カップラーメンを食べる


 
私はそのようなことを思い出しながら、肉そばを食べた。まるでラーメン屋で食べるこの肉そばを否定するような内容を思い出したのだが、私はむしろ、ラーメン屋で食べられるラーメンにありがたみを持って、スープまで全部飲み干した。
豊かさとは生きていることを実感したときにこそ真価を知ることになるものだと思う。「今日の昼はラーメンでも食いに行くか」こんな思いつきで気楽に食べに行ける私は幸せ者である。
ごちそうさま。


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