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今年は八ヶ岳を中心に登山しようと思って地図を買った

今年は八ヶ岳を中心に登山をしようと思って、さっそく地図を買ってきた。
昭文社の『山と高原地図』である。
今年はテント泊をたくさんしたいと思っているが、八ヶ岳は日帰りで行ってこられそうなので、そこをあえてテント泊にしてまったりと楽しみたいと思う。
 
登山というのは色々な楽しみ方が出来ていい。
岩場の多い難しい山に挑戦するのも楽しいし、低山をのんびり歩くのもいい。
景色を見る楽しみだけでもいろいろあって、山頂からの景色、特に日の出や日の入りを見たいというのもあるだろう。私は標高の高い山から日の出を見るのがたまらなく好きだ。それを目当てに山に登ることも多い。そういう場合、小屋泊をするならば、必ず朝食は前の晩にもらったお弁当にする。まあ、夏のことだが、三時台か四時台に起きて、湯を沸かしながらお弁当を食べ、沸いた湯でコーヒーを淹れて、山頂で飲むのである。インスタントコーヒーでたいして美味くないのだが、夏でも寒い高山の朝は体を温めてくれる大事なコーヒーだ。コーヒーを飲みながら日の出を見るのは格別だ。この日の出を見る楽しみを知ったのは、高校時代だ。山岳部に在籍していた私の初めての夏山は南アルプス縦走であった。最終日の朝に北岳に登り日の出を見たことがあまりに素晴らしく、十年以上のブランクがあったが、三十代からまた山に登るようになったのはこの北岳のご来光を見た時のことが忘れられなかったからだと思う。当時の顧問に感謝したい。私がこれまで見てきた日の出の中で一番良かったのは、静岡県にある赤石岳からのご来光かもしれない。いや、やはり高校時代の北岳か?たぶんこの雄大な景色を見ることが私の登山をする第一の目的だろう。


しかし、今年はそれもあるが、テント泊を楽しみたい。ガスコンロを持っていって、ラーメンを作ったり、インスタントのカレーを作ったり、あるいはレトルトのごはんと缶詰だったり、火を使って自然の中で食事の仕度をするのがなんとも贅沢な気分にしてくれる。


また、緑の中を歩くのも気分がいいものだ。八ヶ岳では梅雨の時期に行くと綺麗な苔の森を見ることができるらしいと聞いた。梅雨に登山とは濡れるのが嫌な気もするが、雨の登山もそれはまた乙なものかもしれない。いや、やっぱり晴れがいいが、雨の中を歩いたこともそれはそれでいい思い出として残っている。


あるいは山の楽しみのひとつとして一期一会の人との出会いも記憶に残る。私は人と話をするのが苦手だが、山では大概山の話題しかないので、なんとかなる。同じ道を歩いている人で、抜いたり抜かれたりするのも、面白い。結局同じ小屋に泊まったりして、話が弾むことはないが、それでも出会いとして忘れないものである。中には連絡先を交換する人もいるだろうが、私は一期一会でいいと思っている。
それともうひとつ私には趣味があって、このようにnoteに文章を書いて投稿することである。友達の少ない私にとって語りかけるのは不特定多数の読者になる。山にはボールペンと大学ノートを持っていって、テントの中や山小屋で文章を書くのもまたいいものだ。思考の場が、下界のものではなく、山の上、雲の上の脳みそになっている。
それから、登山には単に歩くという魅力もある。それは岩場でも何でもない道を長時間歩くことが、また楽しいと思えるのだ。先に書いたように私は文章を山の上で書くが、登山中に考えたことも書いたりする。私は体の行為の思い出だけではなくて思考の思い出を重んじるところがある。小説家になりたくて小説を書いている人間でもあるので、頭の中の経験が非常に重要になってくる。小説は現実ではないと言ってしまうのは簡単だが、我々の記憶思い出には読んだり聞いたりした物語の思い出も確実にあるのだ。それは誰かと話した内容かも知れないし、どこかで読んだ文章かもしれない。登山というとアウトドアだと思われるが、こうして書くことと対となっていると、インドアの要素も充分にある。むしろ書いた方が、登山に対するスタンスを整理できると思う。
登山の楽しみ方は他にも人それぞれあると思うが、友達や家族など誰かと行くという楽しみもあるだろう。私は現在、友達もいなくて、独身であるので単独登山をしている。彼女が出来たら山に誘おうと思って、テントもふたり用を使用している。ひとり用は軽いかもしれないが、やはり狭いのではないかと思う。現在はふたり用をひとりで使っているため、かなり快適な過ごし方ができる。ひとり用も買えばいいと言われるかもしれないが、金持ちではない私はふたり用だけで満足しなければならない。いや、こういうことに話が及ぶとネガティブな気持ちになってくるが、単独登山はたぶん、私は友達ができたり、家族ができたりしても、続けるだろう。ひとりで山の中に入る歓びは色あせることなくいつまでも残るだろう。


私は登山という歩く行為は午前中で済ましてしまう。昼に小屋かテント場に着くと、午後はまったりと昼寝したりビールを飲んだりしてグダグダと過ごす。その時間がなんとも言えない。スマホも繋がらない場合が多いので、本当に娑婆から抜け出した感じがしていい。情報に溢れた生活に慣れてしまった私たちは山の中に行って、情報を遮断された世界で過ごすことも贅沢ではないだろうか。

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