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中高生男子、ガンを飛ばす、あるいは、ガン見することについて

中学高校時代、よく、「ガンを飛ばす」という言葉が身近に聞かれた。最近では「ガン見」と言うのだろうか。まあ、名称は変わっても同じ現象だと思う。
私は今、四十五歳(男)であるから、三十年前が十五歳だった。あの頃、同世代の女子を見れば恋愛対象かそうでないかを見て、同世代男子を見れば敵か味方かを見て敵だとしたら眼を見て先に逸らした方が負けだった。私はいつも先に逸らす方だった。
私はケンカが嫌いだった。
中学生など、男同士が眼と眼が合えば、「何見てんだ、この野郎!」とケンカが始まることがあった。
私は男と眼があったとき、負けたくなかった。でもその眼が怖かった。特に、電車の中などで、正面に座った男子が私の方を見ていたときなどに、相手が死んだような眼で見てくると勝ち目はないと思った。なんで、あんな死んだような眼ができるのだろう?理解できなかった。
中学二年生の頃、友達にふざけてガンを飛ばすと、友達は笑って、「おまえのガンは怖くねえ」と言った。私は幸福な子供時代を過ごしたので、表情が柔らかく、ガンを飛ばしても、怖い顔はできなかった。不良と言われる男子の中には初めから怖い顔をしている奴がいた。私はその顔だけで怖くてたまらなかった。なぜ、あんな怖そうな顔ができるのだろう?不思議で仕方なかった。
私は上記したような死んだ眼に対して、負けないように自分も死んだ眼を会得しようと思った。とにかく、人の眼が怖いというあの状況から抜け出したかった。
そして、高校二年の秋についに死んだ。統合失調症という精神病を患ったのだ。それ以来ずっと、この病と闘っている。友達は極度に少なくなり、彼女はずっといない。ひとりで小説家なんぞを目指している。鏡の前に立てば、すぐに変顔をして遊ぶ。優しい顔が基本形だが、ガンを飛ばすというか、凄んだ顔もできる。不幸を絵に描いたような顔だ。子供はビビるだろう。中学時代の夢が叶ったのかもしれない。しかし、そんなもの叶って欲しくはなかった。怖い顔ができることなんかより、幸せを絵に描いたような顔ができることの方がずっと貴重なのだから。
これを読んでいる思春期の方に言いたいが、睨み合いが強いことなんかより、表情が豊かで幸せいっぱいの人間のほうが本当の勝者だよ。

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