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どうやら“社会”では”メンツ”が大事らしい

いきなり自分事で恐縮です。思えば、これまでサラリーマンとして(無職期間含め)14年ほど生きて来ました。

エルニーニョ現象発現してるから、今年は雨が多く冷夏かも?と言われていた2023年の夏。

見事に逆を突く酷暑の夏、東京である。

このクソ暑い中、意地なのか、ポリシーなのかずっとスーツを来ているお偉いさんと、ラフな格好が象徴するように、全く働かないお偉いさんを見ていて、今更になってどうやら社会では“メンツが大事らしいぞ”と言うことに気が付きました。

もはや、遅すぎる感も否めませんが、時間は取り戻せないし、この歳になって気付いたのだから仕方ありません。

いや、実は薄々気付いてはいたものの、ずっと気付かないフリをしていたのかもしれません。

どちらにせよ、今自覚をもって認識した、ということに変わりはありませんね。

お金や数字など、目に見える基準そのものが絶対的な価値となるコミュニティは厳しくもありますが、捉え方によっては気楽な社会です。

このようなコミュニティは、「成果」や「結果」、またはそれらを効率的に導く「論理」や「正しさ」が通貨や共通言語のような役割を担うので、他人の気持ちという目には見えないモノを考える余地を小さく出来ます。

一方、「成果」や「正しさ」よりも、そこに属する人の気持ちやメンツ、ノリや通念のようなものが、通貨のような価値を持ち、共通言語の様にキャッチボールされるコミュニティがあります。

私達の暮らす日本という国の多くのコミュニティはそこに流通する通貨や言語が“メンツ”である場合が多い気がしています。
※誤解の無きよう。筆者は日本が好きです。

それは、例え営利を目的とした企業などであっても例外なく、です。

「○○さんのメンツを潰さないように話をする順番はこうで~」

「根回しはこのようにして、事前にコンセンサスをとっておいて~」

「以前の○○のお礼として~」

のような類の話は大体それです。

人間関係構築が得意な人は空気を察して、半ば天分の才でこれらをやってしまえるのかなと思います。

思い返せば、私は昔からこれらの作法が苦手でした。

年賀状を貰ったら返す(いや、むしろ一方的に貰わない様に配慮したほうがいい)。お祝いや贈り物を抜け目無く送れ!そして貰ったらお礼を返す…。

全て煩わしく思ってしまい、私生活では数年前から年賀状もお歳暮も全て止めてしまいました。

「おかしい」ものは「おかしい」と言ってしまうし(大人になりそれなりに黙ってられるようになりましたが)、何かを押し付けられるのが嫌です。

ただ、コミュニティや組織に属するという事は、そのコミュニティや組織の作法に従わないと一員と認められず、不利益を被る事もあります。

そしてその中で結果を出して、名実ともに認められなくては、果実にありつけないというのがコミュニティや組織の鉄則です。

うーん、なかなかにしんどい。

別に人が嫌いとか複数人で何かをやるのが嫌いとか、そうゆう事ではないのですが、なんとなく、窮屈な感覚です。

また、一人で狩りをして果実を獲得するほどの力もないという自覚もあるので、これまた困った困った状態なのです。

と、なると。

パッと思い付く解決法としては、どこかのコミュニティで認められて果実を得なくても良い状態で緩くコミュニティに属するという状態になるか、どこかのコミュニティの作法をマスターしてその中で結果を出すように自分をコントロールするかの二択かなと思ったりしています。

現状として結論は出せていないのですが、今自分にできる事として、、、。

①今を楽しむという事を削がない範囲で、可能な限り、サラリーから資産形成を行うこと

②社会と自分の間で折り合いを付け、郷に入れば郷に従うという事を理解し、可能な限り実践すること

このあたりですかね。


おしまい


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