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地域おこし協力隊に着任!今のフレッシュな気持ちを赤裸々に。

こんにちは!
赤沼孝一(あかぬまこういち)と申します。
noteを開いていただき、ありがとうございます!

2024年4月1日より
宮城県・東松島市の地域おこし協力隊として活動がスタートしました。
学生の頃、noteを動かしていましたが、これを機に協力隊の活動記録として復活させます!!

noteでは、協力隊として過ごす時間をリアルタイムで伝えられるよう
1週間に1度の投稿を目指し、活動内容を発信していきます。

記念すべき第1回の目次はこちら。


①自己紹介

長野県・富士見町出身、
今月4月に25歳になりました!
野球観戦大好き・楽天ファン、サウナにもよく行きます。

中学~大学まで東京で過ごし、就職を機に宮城へ移住。
日本三景・松島でホテルマンとして2年間勤めた後、東松島市地域おこし協力隊に着任致しました。
今年で宮城県民3年目です。

なぜ宮城県を選んだのか。
この部分を今日のメインとしたいと思います。

②宮城へ移住した原点

宮城との縁が出来たきっかけは13年前の「東日本大震災」。
私は当時長野に住んでおり、小学5年生でした。

子供ながら、テレビで悲惨な状況を見て「東北の役に立ちたい」と思うようになりました。しかし現実的に小学生が現地へ足を運ぶのは厳しく…

時は経ち、中学3年生で石巻市に行く機会がありました。
そこで目の当たりにした被災地の現状。
発災から4年が経過していましたが、津波で流された家屋がそのまま横倒しになるなど筆舌に尽くしがたい光景が目の前に広がっていました。
現地で目にする被害の状況は、テレビなどでは伝わらないものがありました。

大学生になった私は「東北の役に立ちたい」という思いを胸に、復興庁主催の長期インターンへ参加。
宮城・女川町に1ヵ月滞在しながら水産加工会社で「商店街にあるお店のサービスレベルを向上させよう」という内容のプロジェクトを進めました。
女川は商店街に行くと誰かに会うことが出来る温かい町で、町長と居酒屋でばったり出会い一緒にお酒を飲んだことは今でも良い思い出です(笑)
毎日地元の方と会話しているうちに、人の温かさに魅了され「宮城に住みたい」と思うように。

2年前に完全移住し、社会人経験を積んだ後、元々地域おこし協力隊に興味があったため、応募。
無事に合格し現在に至ります!

③これからの事

私は協力隊として、主に移住定住支援に取り組みます。
東松島市は移住コーディネーターが2名おり、今はその方と一緒に活動しています。私自身が移住する際にもお世話になった方と、お仕事できるのはとても光栄な事。
街の方に顔を覚えてもらうため、今は各所を毎日回っています。

そしてもう1つの夢。
それは「ゲストハウス」を作ること。

自然や人とのかかわりを通し、本来の幸せとは何か考えられる空間を
作ってきたいです。

私の座右の銘は「行動なき思想は妄想」

この言葉の通り行動していれば道は開ける、と強く信じています。
協力隊として過ごせるのは最大で3年間。
経験のない事にも勇気を出して挑戦し、力に変えていきます!!






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