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いつかの江ノ電に揺られて

あの日、トンビにハンバーガーを奪い去られていた者です。
堤防に座っていました。
包装紙をちょっとずつ折り返して、ハンバーガーを三分の一くらい露出させたタイミングでした。
唖然として、そのまま青空を見上げました。
ほんとにハンバーガー食べる……? 
舞い上がったトンビに、顔の奥で話しかけました。
そして、「トンビが食べ物を狙っています!」と赤字ででっかく書かれた注意喚起の看板を、見ないふりしていました。
隣にいた人が、同様に驚いた後で「まあまあ、」と笑いながらフライドポテトを口に入れてくれました。
悲しいことに、そのとき私の両手はまだ、失ったハンバーガーのカタチをしていたそうです。
九月が少し進んだ午後でした。
夏の主役を競り合うようにして並んでいた海の家も、もう完全に撤去されてしまっていて、砂浜には散歩に来た犬と人、私たちと同じように、並んで座っている人と人や人、人。
海では点々とサーファーたちが波を待っていました。
大気に夏の名残がありました。でもやっぱり、八月の濃度ではありませんでした。
トンビが遠ざかった空に向かって、「残さず食べろよ」と強がりました。隣にいた人が声に出して笑ってくれました。
温かくて少し湿ったポテトが、また口に入ってきました。

「海がいちばんさみしくなるのはいつだろう」
なんて正解のない話をしました。楽しかったのです。
「砂浜のいいところは、ベンチがないところだと思わない?」
「究極におおらかだよね」
鵠沼海岸と七里ヶ浜を往復して、最終的に鎌倉高校前の駅のベンチに座っていました。「砂浜のいいところは、」とか言ったばかりでしたが、「駅のホームに設置されたベンチってかなり優しいよね」などと調子のいいことを言いました。
まだワイヤレスではなかったイヤホンを、隣にいた人と分け合って、あまり歌が上手くないバンドの思いきり正直な歌を聴きました。
少し動くと外れてしまう白いイヤホンがお互いの耳から抜け落ちてしまわないように、できるだけじっとしていましたが、それでも落ちてしまったときは、目を合わせて微笑み合いました。
国道134号線を、サーフボードを載せた車が走り去りました。
とくに好きだった歌を、小さな声で一緒に歌っていました。

江ノ電に揺られて、それから片瀬江ノ島駅で小田急線の各駅停車に乗りました。
いつの間にか眠ってしまっていて、夢の中で雨が降りました。
雨かぁ、と思いながら目を覚ますと、隣にいた人も眠っていました。
肩と腕がもたれ合っていたので、起こさないよう注意しながら体をずらして、ポケットからイヤホンを取り出しました。
さっきふたりで聴いていた曲をまた再生しました。
窓の外はいつのまにか黄昏ていて、流れる風景と右腕の間で音楽を聴きました。

クリームソーダになれない色もあるのかな。
江ノ電に乗ると、今でも正解のわからないことを考えます。
あの日並んで見ていた海は、記憶のなかで、そっと輝いています。









あとがき

1月に、文学フリマ京都へ行きました。
行ったことがなくて行ってみたかったのと、もう一度、自分の速度を思い出して歩きたくなったからです。
ひとりで知らない道を行くとき、大袈裟ではなく、ときめきます。地図も見ず、自分だけのペースで、心が惹かれる方へただ進みます。それだけで、感覚が戻りたい場所へ戻ってゆきます。
文学フリマへは、ほんとうに行ってよかったです。熱気が充満していました。
わたしが購入して読んだ小説は全て、作者さんに愛されて、たましい込めてつくられた本でした。
大切に読みたくなる作品と出会えて、人見知りを忘れて作家さんとお話もできて、自分の方向性がなんとなく見えてきた気がしました。
本が好きで、だから書いて、自分でつくってみた、そんな方々の集まった、シンプルな場でした。
次回は五月の東京。圧倒的に大規模みたいだから、試し読み(必須だ)もどのくらいできるかわからないけれど、またまた好きな一冊に出会える気がしていて、とても楽しみです。

みやこめっせからの帰り、真冬の鴨川の河川敷におりて、これからのことを考えました。
野鳥がいろいろいて、悠々と泳いでいた鴨が、目の前で飛び立ちました。
水面ぎりぎりを飛ぶ鳥の速さにハッとして、それからその姿勢を、美しいと感じました。
風で揺れるものを眺めて、通り過ぎるものを眺めました。
今は、5月にある締切へ向けて、焦りながら長編を書いている毎日です。

最後に。
noteへの投稿が止まってしまっていたにも関わらず、わたしのページを読みに来てくれていた方。気にかけていてくれた方。
励まされた言葉、とてもうれしかった幾つもの言葉、忘れないようにします。

ありがとう







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