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【襲来】赤ペン先生

先日、やっとの思いで仕上げた書評。

僕は赤ペン先生(担当教授)による脅威の襲撃を受けた。



話は、論評用の本を購入する前に遡る。

ある日、教授は「『現代社会』がテーマの新書を購入して論評を書く」という課題を僕たちに課した。

まず書評を書くためには本が重要になってくる。普通の大学生ならば、本を吟味して自分と波長が合う本を探しただろう。

しかし僕は何を考えたのか、一瞬のフィーリングだけで本を決めるという暴挙に出てしまった。言い訳をすると、高校までの国語と社会の成績はずば抜けて高かった(当社比)のだ。だから「どんな本でも俺なら楽勝やろ」と自惚れてこのような行為に出てしまった。

これが後に悪夢のきっかけとなるが、当然のように無鉄砲な学生が知る由もない。


家に帰ってきて、購入した本を読んでみる。
適当に選んだ本ではあったが、一時間後普通に読み終わっていた。一つだけ尋常でない点を挙げるとしたら、一時間分の記憶が消えていたことぐらいである。

……。

ん?


事態を飲み込みそうになった僕は、慌てて吐き出す。「そうか、俺は眠ったまま本が読めるんだ!」そう考えることにした。ここまで来たら救いようのないバカである。


甘めのコーヒー(Lv18)は、

スキル【睡眠読書】を覚えた!

【睡眠読書】
寝ながら読書できる。身体も休めるし頭も良くなるしで二重の効果を発揮する。


顔が強ばったまま、僕はパソコンの前に座って本の内容をまとめようとする。

しかし(もちろん)、

手が化石したように1mmも動かなかった。やはり普通に一時間寝ていただけだったのだ。現実を受け入れる以外の術は無かった。


甘めのコーヒーが覚えたのは、
スキル【睡眠読書】ではなく、
スキル【睡眠】だった!

【睡眠】
寝る。


仕方なく、もう一度読み始めてみる。

一時間後。

安らかな眠りから覚めて猛烈に青ざめる自分がいた。流石におかしいと思って本のあらすじを確認してみる。

そこで気づいたのだ。

この本は、戦争能力行使論と日本人の誤算がテーマだった。


道理で開始三秒で爆睡したわけだ。まともに読むだけで、脳が破裂して生命を脅かすほどの難しいテーマである。危険を察知した僕の脳は、生体の安全を保護するため、強制的に目を閉じさせたのだろう。ナイス、脳。

ここで疑問を覚える。明らかにフィーリングが合っていた本を選んだはずなのに、なぜ生命の危機を感じるぐらい攻撃的な本を選んだのだろうか?理由は簡単にわかった。

本がめちゃめちゃ安かった。


新書って普通、1000円超えるのが多いのに、この本に限って100円近くで売られていたのだ。なるほど、どケチな僕とフィーリングが合うわけだ。そして何と安っぽいフィーリングだろうか。


さて、本当は本を読み上げるまでに、激しく切ないドラマがあったのだが、ここで書くと無限に長くなりそうなので止めておく。


なんやかんやあって、結局死にかけながら本を読み終えた。残りの力を振り絞って書評を書いて提出した。



ここからが本題である。


数日後、教授が一人一人の書評を校閲・訂正・書評の論表をしたものが返ってきた。

書評は普通、①本の説明②内容論述③意見論述《肯定的要素と批判的要素》の三つで構成されることが多い。今回ピックアップするのは、③の部分である。

※僕は全体の四割を③意見論述に充てた。というのも本の内容が難解すぎて内容論述が頼りなくなったのだ。


まず、肯定的意見の部分である。

前述の通り、この本はあまりにも難解すぎて読めなかった。しかも著者の独断と偏見に満ちた意見ばかりだったので読むのがしんどい。恐らく相当読む人を選ぶ書物だったのだろう。少なくとも僕は選ばれていなかった。

そんなわけで、肯定的意見を絞り出すのは苦労した。よっぽど「寝る前の読書としては最適です」と書こうとしたが、流石の僕もそこまでの度胸は無い。結果、「○○という言葉がカッコよかった」とか「○○という表現に機知を感じた」とか小学生並みの書評。知能の欠片も感じられない迷作を作ってしまった。

当然、「肯定的意見」の校閲部分は真っ赤っかである。

もう文章の隙間という隙間に訂正や注意や怒りの言葉が書き込まれていた。訂正されなかったのは、"。"の位置と、僕の名前ぐらいである。一瞬、この紙は赤い紙だったのでは無かったかと誤解するぐらい完膚なきまでに「赤」だった。


次に否定的意見の部分である。

そもそも、この本の文章は論として成り立っていない。何なら著者の歴史認識も所々間違っているところがある。そのため肯定的意見は書けなくとも、批判的意見となるとすいすいと浮かび上がってきた。ここまで来ると一端のアンチである。

さて、教授からの採点が返される。僕の《否定的意見》も同じように真紅に染まっていそうだと恐る恐る見てみると、これまた異常なことが起きていた。

一切の訂正がされておらず、綺麗に白紙だった。

驚いてコメントを読む。そこには、「著者の意見に対して論理的に批判意見を述べており、真っ向から勝負を挑むものであったため高く評価する」と大絶賛されていた。



まるで僕が肯定が苦手で、批判が得意だと言わんばかりの評価だ。遠くから採点された書評を俯瞰すると、もはやモンスターボールである。

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良い本に出会うためには、数々の読書経験や読者の知能レベルが必要なのだと痛感した。そして、フィーリング対象を価格から内容に変えるべきだということにも気づかされた。

大きな学びがあって何よりである。







まあとにもかくにも。

赤ペン先生は容赦なし。


「いなくなれ、群赤。」


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