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ローマ皇帝から学ぶ、「他者」との付き合い方

社会で生きる以上、「他者」との付き合いは避けられない。
しかし、この付き合いが悩みを生む。
例えば過ちを犯す「他者」に対して、"怒り"を感じることは必ずある。

誰もが避けられない"怒り"であるが、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスによれば、"怒り"は適切に対処できるものだという。

その方法は、まず「他者」を理解することから始まる。
本来は人類皆、"善い"ことをしたい(自分・社会のためになることをしたい)と思っている。しかし、何が"善い"ことであるか分からないために、それに反する"悪い"ことをしてしまう、これが人が過ちを犯す原因である。
過ちを犯す人は、このような意味で"無知"であるのだ。

このように、過ちを犯す人は"無知"であるだけなのだ、ということを知れば、自分の"怒り"は収まり、より高いレベルの思考へ到達する。
すなわち、"無知"な「他者」にどう対処するか、という思考である。

もっともよいのは、"無知"な「他者」を教育することである。人は皆"善い"ことをしたいはずなのだから、どのようなことが"善い"ことであるのか理解することができれば、"無知"な「他者」は無知でなくなり、"善い"行い、すなわち自分・社会のためになる行いができるようになる。

一方、どうしてもその教育を受け入れない人もいる。そのような人に対しては、"待つ"ことが大切である。教えを受け入れられるときまで待つのだ。来たる時が来るまで、自分は過ちを犯さずいつでも教えられる体勢を整えておくのだ。

「他者」へ"怒り"を覚えるとき(例)

ここでは、職場で怒りを覚える事例を挙げて、マルクス・アウレリウスの教えをどのように適用できるのかを考えていく。

次のように、ミスを理不尽にあなたのせいにされたら、"怒り"を覚えないだろうか?

部下にミスを押し付ける上司
上司「君。」
あなた「はい。何か御用でしょうか?」
上司「先日任せたあの件はどうなった?」
あなた「あの件は、上司さんの担当では?」
上司「いや、私の記憶によれば君に任せたはずだ。で、どうなった?」
あなた「いや、担当でないので、何もしていません…。」
上司「なんだと!あの件は重要な案件だったのに、全て終わりだ。君のせいだ」

このように、ミスを人に押し付けるような上司は理不尽であり、部下(あなた)は"怒り"を覚えて当然である。

次は、ミスを報告せず、それを指摘したら逆切れされる場合である。

ミスを報告せず、指摘すると逆切れする部下
あなた「部下くん。」
部下「はい。なんでしょう?」
あなた「X社からクレームがあってね。納期になっても商品が届かないと。」
部下「分からないです…」
あなた「ん?でもX社は君の担当だよね?」
部下「なんですか!?なぜそんな責めるような言い方をしてくるんですか?」

こちらとしては、ただ報告してほしいだけなのに、逆ギレされてしまった。このような事態が何度も起これば、部下に対して不信をもち、それが"怒り"になる。

ミスを押し付ける上司と、ミスを指摘すると逆ギレする部下。なぜこの二人はこのような行動に出てしまうのだろうか?
実は、その原因は同じである。"無知"であることだ。

"無知"こそ、過ちの原因!

”無知”とは、何が"善い"行い(自分・社会のためになる行い)か分からないことである。だから、"悪い"行い(自分・社会のためにならない行い、例で示したような行い)をしてしまう。前節の上司・部下がどのように無知であるかをみていく。

上司の"無知"
上司の仕事は、上司が活躍することではない。部署全体の成果を上げることが"善い"
(自分・社会のためになる)行いである ことを知らない

例の上司は、自分が手柄を立てることが、自分の仕事だと勘違いしている。なので、自分がミスをするとひどく動揺してしまう。そこで、部下に責任をなすりつけてしまう。しかし、これでは部下は意欲をなくし、部署全体の成果が下がってしまう。

部下の"無知"
ミスは誰にでもある。ミスにうまく対処することが"善い"(自分・社会のためになる)行いである ことを知らない

例の部下は、優秀である=ミスをしないことである、と勘違いしている。なので、ミスを犯したこと=悪であると考え、委縮して報告をしない。しかし、これではミスはより大きくなり、事態が悪化してしまう。

本来は双方とも、"善い"行いをしたいと考えている(社会のためになることをすれば、結局は自分が得であるため)。しかし、"善い"行いが何であるかを見失っているため、できない。

このように、過ちを犯す原因が分かれば、"怒り"も徐々におさまってくる。むしろ、より高いレベルの考えが生まれる。「どのようにすれば、"無知"から救い、"善い"行いをする人になるだろうか?」という考えである。

教え、さもなくば耐えよ

"無知"から救うには、"善い"行いとは何かを教えることである。

上司に求められているものは、部署全体の成果であること。そのためには、部下の意欲を削ぐのではなく、部下を活かすこと。

部下に求められているものは、部署全体のことを考えて仕事すること。ミス自体が悪なのではなく、ミスを放置して悪化させるのが悪なのだということ。

これらを教えることで、"無知"から救い、"善い"行いをする人にできる。

しかし、相手が教えを受け入れないときはどうしたらよいか。その場合は、耐えるのである。これは我慢する、ということではない。相手が教えを受け入れられる時まで、待つということである。何年もかかるかもしれない。しかし、相手を信頼して待つことである。

参考文献

マルクスアウレーリウス 著,神谷 美恵子 訳「自省録」,岩波書店

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名著86「自省録」:100分de名著
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/86_jiseiroku/index.html#box01
(2019年4月2日アクセス)

【毎週火・木・土に投稿】 ①所属:情報工学博士3年. ②興味分野:社会科学. ③投稿すること:Eテレ番組 100分de名著(火曜)・ねほりんぱほりん(木曜)・ドキュランド へようこそ!(土曜)の考察④コメント:卒業後は分野にこだわらず学問を究めたい.フォローしてくれると嬉しい😃