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Twitter依存症克服への道

2010年1月から、ほぼ欠かさず毎日覗いているTwitterを自分に禁止してみました

とりあえず3日間

書くのは禁止、開くのは1日1回、1〜2分見るだけ

途中、企画についてのお知らせしなければいけないことがあったり、noteの記事をみんなに見てもらおうとTwitter連携していましたが、そのほかは書かずに(書きたいことは我慢するかnoteのネタにして)経過

Twitterでいいねってみんなが言ってくれそうな面白いことを思いついても忘れてしまうことが多く、まあ忘れるくらいなら大したことなかろうと脳味噌のゴミ箱をあさることはやめておきました

アイスを開けたらアイスの表面のクレーターが困った顔みたいに見えた時、
NiziUのブックが届いた時、
アマゾネス・キスのTシャツが当選しおうちに届いた時、
なんだかいい感じの思考フレーズが浮かんだ時、
録り溜めの映画が面白かった時、

「あっ、これみんなと共有したい」という衝動が何回かさしましたが、すぐに思いとどまりました。ここで3日間やめるって宣言したのにすぐネをあげるのはカッコ悪いと思ったからです

その代わり思ったことやしたいことをLINEで友人に話したりすることは少しだけ増えました

これは直接この人に伝えたい、と選び、緊張しながらも連絡をする、ドキドキしながら返事を待つ、という労力から逃げていたことがたくさんあったなと思いました

昨日、映画『ウォールフラワー』を見て感銘を受けたのが、古き良きアナログ感。カセットを自分で作って好きな子に渡したり、紙と鉛筆で手紙を綴ったり、ラジオでたまたま聞いたすてきな曲が、なかなか見つからなかったけど音楽好きな新しい友人に出会ってやっと曲名がわかる……など

アナログ最高、宝探しは面倒くさいに越したことがない、なんでもかんでも便利になったら楽しさがない、と日頃から考えている派だとわたしは自分に対して思っていました

でも実際は、宝探しをしてるつもりでタイムラインを眺めて自分の好きなものが口の中に自動的に放り込まれるのを待っているだけ、考えていることを不特定多数に放り投げて反応してくれる人が出てくるのを待っているだけだったのです

佐々木中さんの「黙って口を開けてればおばあちゃんがチョコレートを放り込んでくれるような時期は終わったんだ」というような言葉があったと思うんですがそれを思い出しました

会話が苦手になってきているのも多分この「ただ何も考えず黙って待つだけの姿勢」からきていたのでしょう

Twitterの仲良しの方で、「頭良くしたいなら、一方向型の言いっぱなしコミュニケーションはよくない」と助言くださった方がいて今回Twitter少しやめてみる計画を立てたんですが、これが大当たりだった気がします

自分には合ってたというだけかもしれないです
Twitterでないと出会えなかった、つながれなかった、お互い忘れちゃっていたかもしれない、という友達もたくさんいます
完全にやめようとは思わないし、TwitterやSNSが悪いとも思っていません
でも今回は大成功でした

たまにいつもの習慣をやめてみるのも良いのかもしれません

さて、noteの連続投稿は5日続けられればnoteから褒めてもらえるみたいですね

わたしのTwitter断ち生活ももうすこし伸ばしてみようかと思っています
Twitterに使っていた時間は、ふたたび小説を書いて本を読むことに費やしていきたいですね

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