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健やかなる失踪

かつては親の年金を使ってキャバクラに行き倒し、その後自責の念から他者との接触を断絶し、何ヶ月も引きこもるという悪循環を繰り返していた増田政男。 彼は数年前からひとり暮らしをはじめ、あればあるだけ使ってしまうお金の管理も他者に委ね、週に3回のヘルパー支援時には部屋を掃除し、料理の下ごしらえを終わらせ、三つ指ついてその来訪を待ち構えるという、(一部、意味不明な)穏やかなライフスタイルを確立している。

一応はそんな感じだ。

ほとんどの日々は一応そんな感じなのだが、今でも彼の生活はときどき、どちらかと言えば「順調に」バグる。

永久に続く穏やかな生活? そんなに現実は甘くない。現実というか、増田政男は甘くない。まるで過去を簡単に乗り越えてなるものか、自分を世間的にいい感じに変えてなるものかと宣言し続けるかのように、彼は周囲の人間にとっては迷惑千万な行動を、今も変わらずやらかし続けているのである。

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ちなみに『まともがゆれる』(2019/朝日出版社)にも書けなかった、彼が今のライフスタイルを確立する契機となった決定的なある事件とは、「えへ! スウィングへ盗みに入っちゃった!」である(もう時効だと思うので書きました)。

勢いでかる〜く書いてみたが、そりゃあなかなかの大騒ぎだった。砕け散ったガラス、荒らされたアレコレ、パトカー、刑事、呼び出し……ま、そんな感じだった。しかしALSOKが導入されたのはその事件直後からだから、彼のお陰で「スウィングの防犯体制は格段に上がった」と言って差し支えないだろう。

事件をきっかけに親と離れて暮らすようになり、また完璧な金銭管理が遂行され、彼が親の年金を使ってキャバクラに行くことは物理的に不可能になった。そして引きこもり防止のため、僕たちに鍵を預けてしまったものだから、何かあっても部屋に引きこもることもできない。そんなある意味、四面楚歌の状況の中、彼が次なる行動指針かのように打ち出した愚行とは果たして何か?

「失踪」である。

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はじめの頃は仕事がうまくいかなかった(「うまくいきそうもない」も含む)とか買い物ができなかったとか約束の場所に行けなかったとか、つまり「失敗」という分かりやすいきっかけがあった。失敗して、「迷惑をかけた」という申し訳なさから煙のように姿を消してしまい、一切連絡も取れなくなる。こうしたことが年に数回、必ず起こる。

こうなると、もはや彼が僕たちに鍵を託したことが正解だったのかさえ分からなくなるが、でもまあ、失踪しても最後は必ず部屋に戻って来るのがこれまでのパターンだったし、安心して(「疲れ果てて」かもしれない)「帰れる場所」があるって大事だなって改めて思う。

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親の年金を使ってキャバクラに行ってたくらいだし、一見「普通」に見えるし、言葉も多いし会話も流暢だ。だからこそ、お店で必要な物を見つけられない、そんなときに店員に聞けない、そもそも行き慣れた場所しか行けないといった、増田さん特有の「できにくさ」は非常に見えづらい。もう彼との付き合いは15年以上になるが、たとえば彼の発する「分かりました」は真逆の「分かりません」の意味、それくらいに受け止めないといけない「現実」をようやく理解したのは、まあまあ最近のことである。

しかしながら、そうして彼の理解……らしきものが進んでゆくと、僕たちがいろいろと工夫……らしきものをするもんだから、彼が失敗して凹むという状況はどんどん起こりにくく、言い換えれば失踪する理由がなくなってゆく。それはいいことじゃないかと思われるかもしれないが、増田政男のややこしさと言うべきか、いや、人間存在の奥深さと言うべきか。

どれだけきっかけを摘んでゆこうと、彼の失踪癖はまったくと言っていいほど変わらないのである。

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少なくともこの1年間で3回はあったと思う。

最新の失踪は3月下旬、期間は2泊3日。

何かをやらかしたとか、何かができなかったとかいうのではない。

最近の彼はもはや目立った原因も理由も特にないまま、正にプイッと神隠しのようにいなくなってしまうのだ。

相変わらず「ひとこと言って欲しい」なんて真っ当なことを言っている人もいるが、これから失踪する人間が「今からおれ姿消すから」とは言えないだろうし、それでは失踪にならないと思う。

ここで参考までに「増田政男・失踪の流れ」を簡単にまとめてみよう。

STEP.1 突然、失踪する。

STEP.2 誰かが心配して電話をかける。

STEP.3 突然の失踪プラス電話に出なかったことの申し訳なさから益々失踪する。

STEP.4 が、結局は我が巣に帰ってくる。

大体こんな感じだ。

僕たちはこの間、毎度最初は「またかよ!?」と腹も立てつつ、けれど時間が経てば最悪の事態も考えつつ(それはそれで仕方がないとも考える)、やっぱり心配して方々手を尽くす。

失踪に誰も気づかず、STEP.2を端折ることができればただの外出になるのかもしれないが、たいてい失踪にはヘルパーの無断キャンセルが伴うので、ヘルパー事業所としては連絡を取らないわけにはいかないだろうし、電話がかかって来なかったところでドタキャンに対する「申し訳なさ」発動は止められないだろう。

ちなみにSTEP.4の時点で誰かがタイミングよく「身柄確保」しなければ、彼は家でひと休みしてから再び姿をくらましたりする。

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随分若い頃に読んだのでうろ覚えだが、宮本輝のある小説で、登場人物が失踪(自殺だったかも)したその理由を「精が尽きた」と表現しており、それは今でも僕の心に強く刻まれ、頭からも離れない。

誰だってふと何もかもが嫌になって、プイッとどこかに行ってしまいたいこと、あると思う。僕にもある。

何かに分かりやすい、明確な理由があるなんて僕たちの勘違いか勝手な思い込みで、何がなんだか分からなかったり、白黒つかないことだらけなのが、むしろ世界の原理原則なんだろう。でも本当にとことん精が尽きてしまうと「元いた場所に帰る可能性がすこぶる低い失踪」になってしまうのだろうし、つまりは死のほうに近づいてゆくのだと思う。

それがダメとも思えない。

が、増田さんのようにひととき人の迷惑なんて顧みず、年に数回「小出しにバグる」というのは、それぞれに不完全な僕たちが、それぞれに不完全な生を生きる上において、ある意味「健全」とも言えるのではないだろうか。それに事が収まった後の、バツが悪そうな、でもスッキリとしたあの表情を見ると、失踪の優れた効果・効能を思わずにはいられない。たとえ心理的なそれを立証することは難しいにしても、なんせ失踪時にはかなり歩き回るようだから、間違いなく身体的な運動としての効果はあるのだろう。言い換えれば時間無制限の「ウォーキング」だ。

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また、彼の失踪を「表現」という観点から見たとき、「増田政男」というその人を、もうバキバキに表現しまくっているように思う。彼はときどき詩を書いたりもしていて、それはそれで面白いのだが(あ、今度「失踪」をテーマに書いてもらおう)、失踪という行為そのもののほうが当然切実だしリアリティしかないし、「もはや理由すらない」という現状は詩的かつ哲学的ですらある。

いやあ、もう見事と言うほかない。

彼の理由なき失踪は、「ただ消えたいから姿を消す」という達人の域、健やかなる失踪の理想形に達しているのかもしれない。

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