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マジ医者コワイ記録 其ノ弐

熱も上がって推定1.5倍の右足腫れは推定1.75倍になっており立ち上がるのもやっと。

急ぎパートナーが買ってきてくれた尿瓶(しびん)の名前が「コ・ボレーヌ」で、そのネーミングセンスには激しい救いを感じて笑えたけれど、こぼれぬはずがこぼしてしまったじゃないか……。いや大変なのだ、この状況でそうなると。

4月6日水曜日午後6時頃、新たな病院へ。

1日2回の通院はきつく疲れ切ってしまい車椅子に座って待合室でぐったりしていると早いタイミングで名前を呼ばれる。

Y医師は、まあ話はともかくまずはベッドへという感じで僕を寝かせて腫れた右足を診る。これまでの経過や感染症の不安を告げると「内出血ですね。痛いだろうがこれだけの怪我なら当たり前の腫れ」なんて自信満々で言うから「なんだ。感染症じゃなかったのかあ」と3度目の、しかもどデカい安心を得る。これを安心3と呼ぶ。

けれどこのY医師、レントゲン撮影はするか? だの、膿のチェックはどうするか? だの、なぜか僕に決めさせようとするんである。いや、そのあたりがほれ、全般的に分からないから私が患者であなたがお医者なわけで。

(おかしいと思うのだが)たとえこちらに判断を委ねるにしても、その必要性や何が分かるのか? を説明してくれないし、尋ねても受け流すようにちゃんと答えてくれないのが尚更困る。ていうか「したほうがいい/しなければいけない」と考えてるなら迷わずやってるはずだ。

患者の意思尊重をはき違えている上に、いわゆる説明責任をほとんど果たしてくれない状況に痛みと共に困惑していると、同席していたパートナーが「やってほしい」。

彼女のこの声がもしなかったなら、と考えると今も恐ろしい思いがする。

結果、傷内部が膿でいっぱいなことが分かり処置がはじまる。「(検査)やってよかったですねえ」ってそれなんやねん。。。

もちろん安心3は早くも崩壊寸前である。

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……このあたりでもうやめておこうと思います。

この後も話は続くし登場人物も増えるのですが、どうしたって個人攻撃みたいになってしまうのは本意ではありません。

そして「ようやく治療がはじまった感じがしますね」(沼田君)の言葉どおり、今は信頼できる医師のもと、丁寧な説明と共に丁寧な治療を受けています。

やはり感染症を起こしていたので今しばら安静が必要ですし油断はできませんが、腫れも痛みも随分と良くなり、発熱もこの数日ありません。松葉杖は必要ですがケガした右足を地に着けてよちよちと歩くこともできるようになってきました。

昨晩からこの間、体を支えてくれた左足が痛みはじめ、今はむしろ右足を軸にして移動せなあかんかったり問題は絶えませんが、ともかく良い方向には向かっています。

沼田君いわく「患者を不安にさせる名人たち」。言い得て妙。気の弱い人なら何も言えない、聞けないだろうし、聞いたら聞いたで答えてくれなかったり、悪い場合は露骨に不機嫌になったり緊張を強いられる。

そんな医師たち。
こんな経験ないでしょうか?

実は其ノ壱を書いてから、既に複数の方から同じような辛い体験談が寄せられました。

ベターを求め続けたらキリがないし、人間のやる仕事ですから経過や結果に差が出るのもそれは仕方ないと思います。

とにかく丁寧に診て欲しい、説明して欲しい、話を聴いて欲しい。そうした過程の結果であれば、たとえ足を失くしてたって何も文句はなく、医師には心から「ありがとうございました」だし、自分には「バカだったね」と言うほかありません。

もうほんとにケガの多い人生だし(残念。。。)、人の通院について行くことも多いせいか、これまでも医師に対して不信感を持つことは多々ありました。が、「日本の医療は安心」という思い込みも、ずっと心のどこかにありました。  

それが今回、綺麗に崩れ去りました。パートナーの「日本ではケガをしたくない」という言葉は悲しいですが、恐らく正しい現状認識です。

言うなれば普通の会話、人間同士のやり取りができない医師たち。とても根深い問題だと思います。ま、期待しすぎなのかな。いや、それにしてもひどいよな。全くどうでもよくないことだけど、今度沼田君とSwing鼻クソRADIOでええ加減に掘り下げてみようかな。

それよりも僕としては、日々病院で感じる様々な思い、松葉杖で歩いたり車イスを押されて気づいたこと、ケガを負って生活することの難しさなどなど、これらの経験を自分自身のこれからや他者への眼差しに生かしてゆきたいと思っています。

まずは回復に努めます!



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