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大文字をはじめて見る

3年ぶりに通常規模での開催となった京都「五山送り火」。

京都で暮らしてもう25年以上になるが、死者を悼みながらその火を一心に見つめ続けたのははじめてかもしれない。


(近すぎてかえって全貌が判別できない「船形」を横目に)燃え盛り、そして次第に消えゆく「大文字」を遠くに見ながら、18年前に亡くなった父を思った。


父ならどうするだろう?

父ならどうするだろう?


若い頃、難しい選択を迫られた時には必ず考えていた。僕とはまったくタイプの異なる人だったけれど。

いつの間にか忘れていた、その思考法を思い出した。

こちらの都合で忘れたり思い出したり、申し訳ない気もした。


逝ってしまう何ヶ月か前に、父は「いい人生だった」とはっきりと言った。

僕に向かって言ったのだったか、病床から天井を見つめながら独り言のように漏らしたのだったか。

どうあれそこに一切の嘘はなく、ただ「すごい」と思った。

痛みに耐えながら、確実に死へと向かう人を羨ましくすら思った。


2、3日前の夜、お風呂に入るために服を脱ぎながら、突然同じことを思った。

「いい人生だった」と。

生まれてはじめてのことだ。

他の誰でもなく自分自身が、自分の人生をそんな風に肯定することができたのは。


人生は続く。生き続ける。

でも何かが、ひと区切りついたんだと思う。


あの時の父の気持ちが、少しだけ分かったような気がした。

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