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須田国太郎の芸術―三つのまなざし―

西宮市大谷記念記述館で開催されている「須田国太郎の芸術―三つのまなざし―」展を見に行きました。

庭園の見えるロビーにて

須田国太郎の面白いところは「東洋と西洋では、なぜ絵画が異なる方向で発達を遂げたのか?」という疑問を解明するために、京都帝国大学及び同大学院で美学・美術史を学んだところで、大学院に在学中には「絵画の理論と技巧」を研究テーマとし、同時に関西美術院でデッサンを学んだそうです。めちゃめちゃ理論派の人、なのですね。
今回の展覧会では、第1章で「画業の歩み」として初期から晩年までをざっと紹介し、第2章「旅でのまなざし」で渡欧中に撮影した写真とそれに関連する油彩画、国内を旅行して描いた風景画、第3章「幽玄へのまなざし」では能や狂言の世界を描いた作品を、そして最後の第4章で「真理へのまなざし」ということで彼の芸術的真理を追求した「黒の絵画」を核とした絵画作品と、芸術論の著作の紹介の展示でした。

《椿》 1932年 

会場の展示作品は撮影OKでしたので、気に入った作品を撮影してきました。
彼は1919年に渡欧し、ヴェネツィア派の色彩理論やバロック絵画の明暗法などに関心を抱き、表現を追求しました。その際に模写をしたグレコの「復活」やゴヤの「ウルティヤ将軍像」が展示されており、これらの模写を通して得た表現技術によって帰国(1923年)前後の絵画の変化が非常に分かりやすかったと思います。

《八幡平》 1954年

この「八幡平」も良いですよね。

国太郎愛用のカメラ (右)レヒテック・プリマー
(左)NO.3オートグラフィック・コダックスペシャル

カメラは迅速に撮れるものと、時間をかけて厳密に撮れるものを使い分けていたそうです。カメラについてもとても詳しかったようです。渡欧中や国内旅行にて撮影した写真を参考に、風景画などを描くことが多かったみたいです。←写真通りに描くというより、理論に基づいて画面を再構成する、みたいな描き方かなと思いました。

《歩む鷲》 1940年

第3章の能のスケッチや油彩画、ガッシュも面白かったですが、やはり第4章は彼の芸術理論の集大成という感じで興味深かったです。若い頃の「竹馬の友」という同人誌や絵日記もありましたし、グリコのおもちゃコレクションは解説に書かれたエピソードで(子供に買ってあげたグリコの、おまけは自分が貰うというやつ)ちょっと笑ったりもして、でも小さいグリコのおもちゃの究極のデザイン性に関心があったようで、そういう部分が彼の動物の描き方にも表れているように思いました。

4月21日まで開催されています。晴れた日に行って、庭園を楽しむのもおすすめです。

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