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涙は拭って またね と笑って




6年目、遠距離1年生。


「なんか(彼氏は)いないって思うことにしてる」

3月から今の彼氏と付き合い始めた、という同期の彼女に、遠距離寂しくない? と問われたとき、私はそう答えた。

目をまん丸にする彼女に誤解を与えぬよう、
「街中カップルだらけだからさ、いると思ってたら、自分もいる『のに』ってなっちゃうからさ」
と付け加えると、そっか、なるほどね と彼女言った。



入社後、はじめて東京に来た日、彼が「(私の名前)が言ってた子らさ、声はどうなん?」と私に尋ねた。私が言っていた子というのは、クラスのイケメンたちのことだ。

別に好みじゃないよ?(事実)、と告げると、
嬉しそうな、安心したような顔をした。

「ねえ、気にしてるの?嫉妬?」「なんで?今までそんなこと言ったことなかったじゃん」と尋ねた私に、

「気にしてるよ、嫉妬したよ」「さぁ。遠距離だからかなぁ」と彼は答えた。

かわいいねえ、と抱きつこうとすると、ヤメローとブンッと腕を振って避けられた。



夜行バスで帰る彼を見送るため、22:00台後半の電車に乗った。

「寂しい」と呟くと「また2週間後、会えるよ」と返ってきたけれど、もう一度「でも(彼の名前)いないの寂しい」と伝えると「そうだね」と返ってきた。

ポタッという音がして、目から溢れていくものを見て悟られぬよう、彼の肩に顔を押し当てたけれど、少しして「なんで泣いてんの…」と彼は言った。

やだ、と呟いた私に「笑顔でバイバイしようよ、安心させてよ」と彼は言った。それでも、その後も泣き止むことがなかった私に優しい顔で何度も抱きしめて、口付けをして、この2日間で私が作った料理ひとつひとつを挙げておいしかった!とほめて、「家に着いたら連絡してね。消灯してるからすぐには見れないけど、休憩のとき安心したいから。」と言って、夜行バスの向こうに消えていった。


別れてからも、私が泣いていると思ったのだろう。
夜行バスで消灯時間になる前に、彼はよしよし、と私の頭を撫でるスタンプを送ってきた。しばらくスタンプでLINEが続いて、「消灯したからまた後でメッセ見るね」と、おやすみのスタンプが送られてきた。



この寂しさも、明日にはきっと大丈夫になっている、と知っている。


今の私は、彼がいなくても楽しいと思えるような日々を送っていると思う。

そのくらい、研修やクラスが楽しいのは事実だし、(忙しさからくるものもあるが)自分に彼氏がいないのではないか?と思うくらい彼の存在を意識せずに過ごす時間も前よりは多い。

それでも毎晩、私の手は自然と電話に伸びるし、次に彼がくるときには朝ごはんに何を用意しよう?晩御飯には何を作ろう?どこへ行こう?と考える。街中のカップルを見て(爆発しろ)とは思わないけれど、美味しいもの、綺麗な景色、楽しそうな場所を見つけたら、今度ここに彼と来よう、と思う。


彼は常々、俺以外の男を見たうえで最後に自分を選んでくれたらいい、と言う。

だからワンナイトまでなら許すとか、よくわからない方向に暴走するのだけれど、そんなこと私がするはずもなく、というよりも、するまでもなくあなたがいちばん。

彼と出会ってから、大学の自コースも、就職先も、男性の方が多い環境にいて、「俺以外の男」とは充分関わっているし、関わってきたと思う。これから先も、もっと関わることになると思う。

それでも、そのうえで私は


彼をいないと思うことにしている、と言いながら、できるわけがなくて、強がって強くなった気になっていたけれど、心は弱いままで、2年後を待っている。


そう言うと彼は「(私の名前)って、多分俺以上に頑固だよね」と笑った。




楽しい、ときどき、悲しい。


社会人生活3週目に突入した。

9:00出社の日は6:00起き、17:30退勤。
10:00出社の日は7:00起き、18:30退勤。

朝ちょっとがんばれば、夜自分の時間が増えるから9:00出社のほうが好き。早起きは多分、世の中の同年代よりは得意だから、30分前に研修場所の最寄駅に着くように行く。別に社会人としての心構えがあるからそうしているわけではなくて、そうすると早起き組で朝しゃべることができるから、好き。あとから来るクラスのほとんどに「おはよう」と声をかけることができるから、好き。このおかげでクラスのみんなと仲良くなれた気がする。



毎日、家にいる間は家事をしているだけで終わってしまう。料理が好きなのはわかっていたけれど、案外、掃除や洗濯も楽しめている。

掃除は苦手だと思っていたけれど、そうでもなかった。今必要なものと今好きなものだけを集めた部屋はすっきりしているし、汚れがあると目立つ。元々、落ちている髪の毛が虫の次にこの世で苦手な物だし、埃があるのは嫌だから、気づいたタイミングですぐにクイックルワイパーをする。

洗濯はめんどうくさいと思っていた。今でも好きじゃないけれど、嫌いでもない。


なんにせよ、自分の世話を自分でできる、自分の暮らしを自分で作ることができるって、素敵だ。


飲み会のある日以外は自炊をしている、と言うと各方面から褒められる。うまくできた日はインスタのストーリーに手料理をあげると、高校の同級生、大学の友人、会社の同期から他の投稿と比較して信じられないくらいの量のハートマークが飛んでくる。


節約、と言いつつ、その日の帰りに食べたいと思うものを作るからあまり節約にはなっていない。せっかく自炊していても、お弁当にならない料理ばかり作ってしまうから、昼ごはんはお弁当を詰めることをせずに研修場所の食堂に500円か600円、課金してしまう。実績的には週1日、お弁当の日があるくらい。

実家では緊急事態宣言のときや彼の家で手料理するときくらいしか自分で作っていなかった。料理は元々好きで、作った物を渡すと「おいしい」と言ってもらえる。だけど、スピードが遅かったから作っていると母や彼に「代わる」と言われることもあった。

ひとり暮らしになって、時間を気にせずに作りたいものを作りたいだけ作って、作り終わるまでに2時間とかかかる日々を経て、今では和食ならご飯を炊く時間も含めて1時間ちょいで完成する日もある。野菜を切るスピードが上がるだけでこんなに早くなるんだ、何事も慣れだな、と気づく。


作りたいものを、作りたいときに、作りたいだけ作れること。

自分で自分の生活を1から組み立てられること。


私は純粋に、その自由を楽しんでいるだけだ。
だから、楽しんでやっていることを褒められてしまうと、なんだか「いい子ちゃん」をやっている気がして胸がざわつく。


***


研修が楽しい。

本当にいいクラスに恵まれたな、と20日経ってもなお思う。

他のクラスはわりと仲良しグループに割れたり、男女関係の面で治安が悪いクラスもあったりするらしい。そんな中で、うちのクラスだけが食堂組は食堂組で、弁当組は弁当組で(弁当の人は教室というルールがあるため)、誰一人かけることなくクラス全員で近い席に集まってご飯を食べる。週1の飲み会は毎回クラスの過半数が集まるし、5月にはBBQ、6月にはディズニーに行く企画もある。

これまでなら私を嫌っていたようなキラキラした人たちが、私の名前を呼んで話しかけてくれる。「油そば、一緒に食べに行こ?」と誘ってくれる。グループワークがはじまって、議論や発表の機会が増えてきて見ていると、みんな、ちゃんとデキる人たちだ、と思う。

うちの人事、ひとを見る目だけはあるよね、と誰かが呟いて、それな、と本音で返せる。


この好機を、その幸運を、噛み締めるたびに喜びとともに焦りが胸をよぎる。


うちのクラスは、人柄が良くて、仕事がデキて、顔もいい、という人たちが集まっている。それがデフォルト。だから、それを満たしているだけという状態は、ただ、みんなと一緒にいる、コミュニケーションを取る権利がある、話についていくことができる、というだけで。ノリについていくとか、今後もみんなと仲良くできるとか、よりよい関係を築こうと思ったら、会話の瞬発力とか、話のおもしろさとか、コミュ力の強さが必要な気がしてしまう。

だけど、私はおもしろいことを言えない。1:1ならまだしも集団の会話における瞬発力がない。関西人なのにおもしろいことが言えない。焦ってしゃべると変な雰囲気にしてしまうし、かと言ってしゃべらないと愛想笑い人員になって終わってしまう。いつもその場に自分がふさわしくない気がして、求められていない気がして、一歩引いてしまう。

クラスがいい人たちばかりで楽しい、というのは紛れもなくほんとうのこと。だからこれは自分に自信がない私の問題で、誰もなにも悪くない。それでも、そこがこれまでの自分を1番問われる部分で、一度"こういうキャラ"と思われると覆すのが難しい部分で、1番、どうしようもない部分。


だからこそ、苦しい。


誰も悪くないから。誰も私を責めたりハブッたりしていないのにいつまで経っても殻を破れずにがんじがらめになっているのは自分で、だけどそれを解くのが、自分で自分を信じるってことが、一番難しいから。



ここまでの私の話を聞いて、彼は「考えすぎだよ」「(私の名前)はクラスを過大評価しすぎだと思う」と言った。

でもさ、今まで人間関係うまくいかなかったのは私にコミュ力がないからだと思うしコミュニケーションは1番自信がないからみんながすごく感じる、と続けた私に、彼は「少なくとも俺は(私の名前)と付き合う前、(私の名前)は明るい人だと思ってたよ」と言った。

今考えると、コミュ力に言及しているようでしていない返事だけど、それを聞いて、少し冷静になった。

明るい人だと思われてるならいいかな。
というより、今、人に恵まれている、心から尊敬できる人たちに囲まれる、という自分が望んでた環境に身を置けている。そこで、仲間はずれにされることもなく、こうして日々楽しく過ごせているということは。

それは相手のコミュ力が高いからだ、みんなが優しいからだ、と思っていたし、今もそう思うけど、でも少しは彼らから見ても私は価値がある人間なんだろうか。というか、そもそも人として一定レベル以上のコミュ力があるからこの会社に採用されたのだ。

それならば、こんなとこで自分に負けるのは、自分だけで解決できる問題で勝手に身を引いてしまうのは、もったいないと思った。


ふりかえれば、この間の飲み会で「(私のあだ名)は口堅いから大丈夫っしょ」と、その前にあった男子会での話題だったクラスの女子の推し、について暴露してくれた。その中に、私のことを推しだと言ってくれる人も2人いた(ふたりとも彼女持ち)。

そのうちの1人は隣に座ってたイケメンだし、もう1人は出身大学もクラスも部署も一緒の人だったから、「忖度してるでしょ!」と返してしまったけれど、よく考えたら失礼な話だ。本当は嬉しくて照れていただけなのに、ノリで言っただけってなったら悲しいからと保険をかけてしまった。せめてなぜ私なのか聞いてみればよかった。


今一番仲良くしている女の子、私が仲良くなりたいと思って話しかけて仲良くなれた女の子にも、「(彼女の呼称)、(私のあだ名)の全部が好きなの。最初、美人さんだな〜って思ってたけど、班一緒になって中身知ってくうちに、外見も中身も全部好きになった!」と言ってもらえた。これまで他人からもらった中でも5本の指に入るくらい嬉しい褒め言葉だった。

今日だって。席替えの時に、元の班でじゃんけんして勝った人から順に番号が振られて、私はたまたま元いたところから移動がなくて。そのタイミングで教室にいなかった子の荷物をその子が行く班に持っていったら、「え!(私のあだ名)、ここ?」「(私のあだ名)、ここ?」と嬉しそうに私に向かって聞いてくれた人が何人もいた。残念ながら私は移動なしだったのだけれど。

そこから本来の私の班に戻ると、移動してきた子から「(私のあだ名)、ここ?」「じゃあ私、(私のあだ名)の横行こうかな!」と言ってもらえた。



私を受け入れてくれる人がいる。
私と仲良くなりたいと思ってくれている人がいる。


きっと私はもっと、周りを信じて、自分を信じて、愛するべきなのだ。


今ならそうやって、生きていける気がする。











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