追いコン

先日、サークルの追いコンがありました。

わたしは1年の途中からこのサークルに入っています。ですが1年の頃は、このサークルが自分にとってこんなにも大きな存在になるとは思っていませんでした。

世界を襲ったコロナの影響で、新入生歓迎会はすべてzoomでした。ですから、うきうきとサークルには入ったものの、1年の間はずっと幽霊部員でした。

2年生になってすぐ、もうひとつ別のサークルに入りました。いわゆる兼サーというやつです。そこは運動系のサークルで、週に2、3回練習があったので、自分の居場所はここになるんだろうなぁとぼんやり感じていました。

しかしいつのまにか、そのサークルからは足が遠のいていました。やっぱり運動がそんなに好きではなかったんだと思います。持て余した時間を埋めるように行き始めたのは、今のサークルでした。

1年間せっせと幽霊をやっていたにも関わらず、先輩は全員優しい方でした。こんなにも穏やかで、温かみのある空間があるんだと思いました。頻度の高い時期でも活動は週に1度でしたが、毎週その時間を楽しみにしていました。

そんな、何も考えずに楽しんでいたサークルにも代替わりが来て、わたしたちの学年が幹事を務める時期になりました。

誰もなり手がいないなら、と引き受けた幹事長。正直わたしは幹事長の器でなかったと思います。計画性がまるでなく、キャパは小さく、すぐ感情的になり、周りに迷惑をかけるような人だったからです。

それでも、幹事長の時期はとにかく必死でした。先輩たちが与えてくれた優しさがあったからです。でも必死すぎて、あまり記憶がありません。ある記憶は、全部後悔のものばかり。もっとこうすればよかった、ああすればよかった、もう一度幹事長をやるならもっとうまくやれるのに、そういうことをずっとずっと覚えています。

ですが、わたしが必死すぎて忘れていた出来事を、周りの人がたくさん覚えてくれていました。それも素敵なことをたくさん。嫌な思いだって何度もしてきていたはずなのに、あの時してくれたこれが嬉しかったとか、ここが自分の居場所だとか、優しい言葉だけを伝えてくれて、それにずっと救われてきました。ただのわたしが駆け抜けてきた日々が誰かにとって意味があるのなら、それほど嬉しいことはないと思います。

4年生になってからは、本当に自由に楽しませてもらいました。公務員試験で休んでいた間に増えていた、たくさんの後輩たち。そのパワフルさに最初は気後れしていましたが、いつしか可愛い妹、弟みたいだと感じるようになりました。そして同期との絆も、ゆるやかにもう一段階深まりました。賑やかになったサークルの中でほっと息がつけたのは、穏やかな雰囲気を纏う同期のおかげだったと思います。

そんな日々がもう終わりなんて、本当に信じられないです。

追いコンでは、これ以上ないほど華々しく送り出してもらいました。メモリアルブックにサークルの缶バッジ、1人ひとりからの温かい言葉。感動屋のわたしが涙を流さないわけがなく、みっともなくもめそめそ泣いてしまいました。

このサークルとの別れが悲しいのは、それほどわたしにとって大きな存在だったからだと思います。わたしの可愛いところも人間臭くダサいところも、全部愛してくれる場所と出会えたことは、大学時代で一番といっていいほどの財産です。

だから、わたしは大丈夫です。

社会人になることは不安でたまりませんでしたが、わたしが愛している、そしてわたしを愛してくれる場所があるから、きっとこれからも頑張れると思います。わたしの心の中には、みんなと過ごした日々が、いつもあります。

そして、わたしが先輩から受け継いできたものを守ると後輩が言ってくれたから、きっとサークルは大丈夫です。わたしが愛したサークルは、人は変わっても、魂はそのままに続いていってくれると信じています。

こんなにも心を通わせられる人たちと出会えたこと、わたしは、わたしを、幸せ者だと思います。

今感じているような寂しい別れがあるから、わたしはまた素敵な何かと出会えると確信しています。そうして出会って別れて、また出会ってを繰り返すうちに、心の支柱が増えていったなら、わたしはもっと強くしなやかな人になれるはずです。

未熟なわたしは、いつかそういう人になりたいです。

最後に、こんなわたしを愛してくれてありがとうございました。

わたしもみんなのことを愛しています。

BIG LOVE!

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