この曲を聴いてあなたを思い出す日が来るなんて

恋愛の曲を聴くとき、心になんとなく思い浮かべる人はいるものだ。高校時代に聴いていた曲を聴き返すと、そのとき好きだった人を思い出す、みたいな。ちょっと気持ち悪いけど、高校時代にヘビロテしていた曲を通勤途中に聴いて、心を切なくさせている。

いったいそれは何のために。わからないけど、わたしはある種のノスタルジーを求めているのかもしれない。逃れたくても逃れられない現実から、働いていないときくらいは解放されたくて、高校時代に癒しを求めているのだろう。切なくなるのに、苦しくなるのに、それで救われるなんて変な話だ。

だけど今回書くのは、そういう話ではない。

失恋の歌を聴いたときに思い出す人が変わって、恋愛中の歌を聴いたときに思い出す人が変わったのが複雑という話。そして、失恋の歌に初めて当事者意識を感じるようになった話。

いつか別れるかもとは思いながら、恋愛進行形の歌を聴くとき、心に浮かぶのはいつも元彼だった。この間別れた元彼と出会うまで、心から好きな人と付き合ったことがなかったわたしは、片思いの歌以外はなんとなくで「聞いていた」。それが元彼と付き合ったことによって変わって、わたしも歌の主人公になれたのだ。

ただ、失恋の歌はいまいちわからなかった。もちろん振られたことはある。でも付き合えなかった人たちだし、小学生と高校生のときの恋愛を当てはめても、しっくりなんてくるはずもなかった。だけど、失恋の気持ちをわかりたいなんて思ってはいなかった。だってそれは、大好きな人と別れることを意味するからだ。

ご存知の通り、結局わたしたちは別れた。そこから2ヶ月くらい経つ。

別れて、曲の聴こえ方が変わった。別れた直後、大好きな元彼を想像しながら聴いていた恋愛の歌は、誰も想像する人がいなくなった。一気に曲の世界から弾かれたような感覚、恋愛なんて御伽話だと思った。別れて良かったとは思っているけど、幸せな日々がずっと続いていたなら、別れたいわけないじゃないか。

そして、失恋の歌を急に理解するようになった。今までも付き合って別れたことはあったけど、ずっと心のそばにいたものを失うって、こういう歌になるんだとはじめてわかった。付き合ったからといって相手が自分のものになるわけじゃないけど、得たものを失うのと、だた得られなかったのは、まるで痛みの種類が違うと知った。どちらが痛いとかではなく、違うんだと。違うからわたしは今までわからなかった。

わかりたくなかったはずの失恋の歌、今はわかることができてよかったと思っている。わたしの感性が刺激されるものがまた一つ増えたから。曲に深く入り込めるようになったから。電車の中で聴けなくなったのは悲しい結果だけど。

きっと両思いの歌にも、また思い出せる人ができる。わたしの中でそうなってほしい人はいるけど、未来はどうなるかわからないからね。もしかしたらその人も「片思い失恋ソングで思い浮かべる人リスト」に追加されるかもしれない。それもまた、ね。なんて言っていられるほど心の余裕はないから、どうかうまく行ってくれることを願うばかりだ。

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