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『ふつう』

「普通」。

僕が日常生活でよく使う言葉ナンバーワンだ。
でも、この「普通」は、人によって違うということを、僕は最近知った。

僕の通う学校には、猫を飼っている子がいる。
生まれつき片方の耳が聞こえない子がいる。
お父さんがいない子、お母さんがいない子、兄弟のいない子がいる。

その子にとって猫が家にいるのは「普通」、
片っぽうの耳が聞こえないのは「普通」、
お父さんがいないのは「普通」、
お母さんがいないのは「普通」、
兄弟がいないのは「普通」。

僕にとって"「普通」じゃない"ことが、あの子達にとっては「普通」なのだ。

ここにはたくさんの「普通」がある。
それってとっても素敵だと思うんだ。
いろんな人の、いろんな意見に触れて、知らないことがいっぱいで、たくさん悩んで、たくさん考えて、自分だけの「普通」を持つことが出来る。
自分の考えをぐるりと変えちゃうような「普通」にも出会っちゃうかもしれない。

でも、たまに、たまーに、いるんだよね。
「なんで○○ちゃんは昼休みに外で遊ばないの?」とか、
「なんで○○くんはいつも給食の牛乳を残すの?」とか、自分の「普通」が、みんなの「普通」だと思ってる子。

ちがうんだよ、「普通」って、みんな同じじゃないんだよ。ひとりひとり違う形をしているんだ。
だから、一個の「普通」を押し付けるんじゃなくて、一人一人違う「普通」を、受け入れられる場所ができるといいな。

だけど、どうして違いに気付くことは出来るのに、受け入れることがすごく難しいんだろう。


そんな小学生みたいな疑問を、お父さんに話してみたが、「訳分からん。」と一言で片付けられてしまった。
……お父さんと僕の「普通」も違う形をしているらしい。

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