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首里劇場とピンク映画と渋さ知らズ

  首里劇場の内覧会に行ってきた。1950年に建設された劇場で本日を最後に老竹下による解体が行われるらしい。館長がなくなってからは稼働していなかったけど、それでも70年以上首里という城下街で文化を支えていたなんてすごいことだぜ。その歴史がある建物の最後を見届けきた。
  文化を支えていたと言っても、演劇や映画上映などはサブ的な演目であり、メインの上映はピンク映画の上映である。実際、イベントが無い日に首里劇場の前に言ってみると、「発情尼 肉説法 観音開き」みたいなものすごいタイトルのピンク映画のポスターが張り出されていた記憶がある。とはいえ、ピンクとはいえ映画は映画、文化であることは変わりない。首里劇場でピンク映画を観なかったことは少し後悔しているし、過去に戻れるならその発情尼を観てみたい。
  そして、今日小耳に挟んだ話だが、館長である金城政則氏はピンク映画やピンクでない映画を分け隔てなく前口上を行うというのだ。具体的に言うと、タイトル名を読み上げた後、「はじまり、はじまりーーー」と述べた上で映画が始まる。「発情尼 肉説法 観音開き はじまり、はじまりーーー」といった具合に。なんとサービス精神の塊だろうか。首里という街でシンボルの一つとなり、沖縄の人間に愛されてきた理由もわかる気がする。
  もちろん、ピンク映画以外にも思い出はある。ピンク映画をメインにしていたとはいえ首里劇場は劇場なのである。演劇も行われていたし、ライブも行われていた。資料で知ったのだが、小学校の発表会などでも使っ割れていたらしい。一度、渋さ知らズが首里劇場でライブを行うことになり、僕はそれを見に行ったことがある。2014年2月だったと記憶している。
  その日は関東が大雪に見舞われ、メンバーの半分以上が沖縄に行くことができない状況でライブがスタートとなった。なんか物足りないなと思いつつも無情に時は過ぎライブは後半に。あぁ、このまま終わるのだろうなという空気感に包まれたその時!後ろからドタドタと大きな音を立て誰かが乱入!「お前ら!待たせたな!」と一声発したのは、青い法被とねじり鉢巻、赤褌をなびかせた玄界灘渡部だったのだ!その彼の後ろから続々とメンバーが入場してくる様子はまさに百鬼夜行。もちろん、会場は大盛りあがり。僕も自然と歓声を上げていた。そしてそこから始まる本多工務店のテーマ!なんかもう出来すぎた状況のように思えるが、本当に奇跡のようなことが起こったのだ!2月の寒空のもと熱気を帯びた首里劇場で!
  そんな奇跡のようなことを起こしてくれた首里劇場の最後の姿を見に行ったのだ。もちろん、中は雨漏りし放題で屋根はボロボロ、ピンク映画のポスターがグジャグジャで放置され、ホコリはどこもかしこも積もっている。しかし、その場に染み込んだ思い出や性の臭い、人の熱気というのは確かにそこにあったし、跡地となった後でも思い出すことだろう。今日の僕みたい。

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