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入社式Romance

 労働に対して誠実なふりをしながら不誠実でい続けた人間であるが故に入社式には縁遠い生活を送ってきた。
 大学卒業間近、僕は猛烈に焦っていた。なぜか。苛烈な就職活動の結果、なにも実を結ぶこともなかったからだ。出版社に入りたい書籍を作りたいという気持ちはどこの会社の琴線に触れること無く敢え無く撃沈。結局、しょうむない地元の編集者に席を置けることになった。入社したら、先輩社員は少なく、唯一いた先輩社員はあと一週間で辞めるという最悪な状況であった。
 そんな最悪な環境でも定期的に金を入れることが出来る環境に身を置けることになった。賞与は業績のせいで満額貰えることはなかった。お前が一番年齢が高いからという理由ですぐに主任になったのにも関わらず賞与はカスみたいな値段だった。それでも社会を知らない若造が故に、こんなものかと思っていた。
 定期的に収入を得る安定した生活を送っていく中で漠然とした不安を覚えるようになってきた。今後一生を海に囲まれた狭い島国で過ごさなければならないのか、という不安だ。不安というのは行動を起こしている内に薄れていき最終的に忘却を迎えるのだが、この不安は脳裏にこびりついて離れることはなかった。離れないが故に不安はだんだんと膨張しいき、一生この土地で過ごさなければならないという呪縛に変貌していった。そういった不安を晴らすためにどこかへでかけることがあった。気分を晴らそうと思って足を運んだ場所は海岸。海岸はアオサだらけで潮の匂いが鼻を捩じ切らんとしていた。
 このまま狭い土地の中で一生を過ごすことになるのだろうか。この狭い土地で伴侶を見つけ子を持ち両親を喜ばせれば良いのだろうか。この狭い土地で70少しまで働き隠居という言葉を知らぬまま老いることになるのだろうか。
 頭の中では、そういった将来に関しての様々な考えが巡っては消失していった。足元には相も変わらずアオサだらけでヌメヌメとした感触が靴底を隔てて感じることが出来た。このアオサは僕だと思った。土地に縛り付けられ出ることを躊躇している人間。それがまさに僕であるなと自惚れていた。
 とある日、我慢がならなくなり南の島から都会に移住した。周りは大反対であったし祖母は号泣した。それでも移住した。都会での初めての仕事は印刷会社だった。入社の挨拶をすると目の下にクマを溜めた社員が「可哀想に」と呟いていたのは今でも忘れない。
 印刷会社は最悪だった。入社初日で残業を強要された。それが原因で2周間もしない内に辞めた。だらだらバイトをしながら働き口を探そうと思って働き始めたらすぐにコロナ禍が始まって、全ての求人が荼毘に付した。最悪だった。
 そんなこんなの紆余曲折が合って、また狭い島に戻って働いている。前回働いていた職場よりはマシだと言えるけども、なかなかに最悪なことには代わりはない。本日辞令が下って意味がわからないまま昇進した。タイミングがあれば辞めてまた都会に戻ってやろうと思っている身としては勘弁して欲しい辞令だった。
 この時期になると思うのだが、入社式に出席できる身分であれば別のルートを歩むことが出来たのだろうかと考える。未来に希望を持ち自身が歩むレールに疑問を持たずに真っ直ぐ歩む人生。辞めるという選択が頭にない人生。うまくいけば既に勤続10年というベテランになり役職につくことが出来ていただろう。伴侶を見つけ子を持ち、家を持つことができる身分、もし入社式に出席することができれば属することが出来ていたかもしれない。
 漠然とした不安を抱えながら今日も酒を飲んだ。入社式に出席できなかった身分でも意外とどうにかなっているという事実だけで、酒が少しだけ甘く感じた。


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