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61歳の食卓(11) おにぎり屋さんを起業するきっかけは…

30年間、築地場外市場の鮭屋で働き、働いた店を引き継いで5年間は休日返上で働いた。タイミング的には市場の観光地化という追い風が吹き、正月を除いてすべて店を開け続けたので、そこそこ売上も上がった。一種のワーカーホリックとなっていたので、働き続けることが快感であった。はじめて経営者となり戸惑いやしくじりは尽きなかったが、雇われていた時とは異なり成果が実感できるので嬉しかったのだ。税理士さんには「体を壊したら終わりですよ」と念を押され、いつか体力も尽きて頭打ちになることは、うすうす予想していたが、それで構わないと思うほど、店に入れ込んでいた。 

しかし、丸2年前の2020年初頭、コロナ騒動が勃発して市場から人影が消えた。想定外の禍に呆気にとられた。半年くらいは兎にも角にも感染を恐れて週2日は休み、休んだ日は寝てばかりいた。我ながら感心するほどの睡眠のとり方で、仕事と食事以外の時間は、ほぼベッドで過ごし、5年分の休息を一気にとり返した。

ところが半年経ってもコロナは終息せず、市場に観光客が戻ってくることはなかったのだ。そこで少し進む方向性を変えてみた。本を書き始めた。「鮭とご飯の組み立て方」(誠文堂新光社)と名付けたその本の執筆に丸一年費やし、撮影のために作った鮭おにぎりは100種を超えた。 本を書くのは3年ぶりで、前回は市場暮らしを綴った「築地…鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと」(いそっぷ社)。今回は、市場で働きながら肌で感じた鮭を取り巻く環境や流通の変化を書き留めた。仕事を通じて得た知識や鮭の売り買いでの経験を、文章に起こして整理して最低限プロとして知っておくべきだと思ったことをすべて書き留めた。いづれ記憶は曖昧になり、忘れてしまうだろう。読む人のためと言うより、自分のための教科書を自分で書いたという体であった。

 執筆中はありえないほどの肩こりに命の危険すら感じたが、刷り上がった真新しい本を手にした時は、文字通り肩の荷が降りた。その開放感に、祝ってくれた佃の友人の家から月島商店街を裸足で走り抜けて勝どきの家に帰還するほど泥酔し、はじめてひとつの仕事が終わったことを自覚した。 

 出版のために作った鮭おにぎりを販売してみたいと思う気持ちは、ごく自然に芽生えた。おにぎり一個作って売ることは、本の執筆に比べれば容易いと思った。 中央区の保健所に相談に行った。「おにぎりを売るためにはどうしたら良いですか?」この質問が、飲食業を起業するきっかけになるとは、その時まだ想像すらしなかった。




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