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61歳の食卓(12) 現在の仕事から転じておにぎり屋さんを起業すること

鮭屋である自分が、鮭おにぎりの本を書いたら、鮭おにぎり屋さんを開業したくなったというのは、まるで早口言葉のようだ。

それは淡い夢のようなもので、内心は(できるわけない)という単なる願望だった。 それが現実になったのは、コロナで当店が立地する築地の市場から来街者が消えてしまったからだ。かつては国内外の観光客で賑わっていた多くの海鮮系飲食店やお土産屋さんが半年も経たないうちに閉店し、路上にはただ風が吹き荒んでいる。どこかで見たような光景だと感じていたが、ある日ふと思い出した。黒澤明の「七人の侍」で、最後の決闘を目前に三船敏郎が仁王立ちになっている一本道のシーンだ。村人が逃げ去り、砂埃が舞う荒涼とした世界。仁王立ちするでもなくぼんやり立ち竦んで客待ちをする自分は滑稽だ。築地はこれまでも関東大震災、第二次世界大戦中と度々の災厄に見舞われ、都度局面を乗り越えてきたが、今回もまた根底を覆されるほどの難局に直面していることを実感した。 

 このまま終わっていくかもしれない…。60歳を超えた私には店終まいのひとつの言い訳にもなるかもしれない・・・コロナだから仕方がないと。だが、異なる選択肢を選ぶなら、20代の頃と同じく行く先は未知でワクワク、ドキドキに満ちているかもしれたい。ふわふわとした夢に導かれるように、保健所の扉を叩いたのだが、その指導は、飲食店営業の申請という、店の改築を必然とするもの。すなわち新店開業を意味するものだった。具体的には上下水道から店内レイアウトすべての再構築、さらに食品製造の基本的機材の導入とそれに伴う配電等。つまり現在の店鋪の全とっかえを意味するもので、資金も当初の予測の約10倍だった。 

 今振り返ってみれば60代にしてピンチに陥った自分にとって、販売品目の選択肢を広げる最後のタイミングだったかもしれない。だがその時は、夢と現実の隔たり、具体的には夢の実現にかかる経費の大きさに慌てふためいていたので、ラストチャンズであったことを実感したのは、計画がかなり進行してからであった。 

 保健所に「店が出来上がったら申請に来てください」と、しごく当たり前に真顔で送り出された。理路整然とした説明に「はぁ」とか「ふぅ」と応える私の曖昧さに、担当官も内心は実現するかどうか、半信半疑であったと思う。実際に行動を起こすまで、とりわけ資金調達には、その後半年くらいの期間を有した。 

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