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「さみしい夜にはペンを持て」

古賀史健・著
ならの・絵

昨日届いた本を今日読み終わった。もう一気に読むのは目がとても疲れるからゆっくり読もうかと思ったけれど、先が気になって結局2日もかからなかった。

読み始め、昔、中学生の時に吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を国語の副読本として読んだ(読まされた?)時に感じた「説教臭さ」をちょっと感じそうになって、え「日記を書くすすめ」みたいなそういう本なの?と思いながらどんどん読んでいったら全然ちがった。
「君たちはどう生きるか」だって、今あらすじなどを読んでみるとそんな説教垂れてることは全然無いのに、何故私はそう思ったんだろう?
まあ、中2くらいの頃ですし色々多感?でめんどくさい年頃だったのでしょう。ねえ、コペル君。今度もう1度読んでみよう。今の年で。

それで「さみしい夜にはペンを持て」、この本を読んでいたら、何だか私が昔から自分にしかわからない日記とか雑記帳とかと交換日記とか(あ、これは相手がいるけど)、とにかく一見どうでもいい由なしごとをつらつら書きまくっていたこと、その意味とか意義とか、そんな立派なことではないけれど、他の人が見たらナンジャコレとわけがわからない内容のことでも、とにかく書きつくっていた日記やノートの束が、本当に宝物みたいに思えて来てしまった。

こんなことあるんだ。
今頃になって答え合わせが出来たみたいで、少し驚いて少し嬉しい。

日記や思ったことを何でも書くと、自分のはっきりしない考えがちょっとでもハッキリしてきたり、わかったりする。そしてスッキリする。
そして何より、あとから読むと面白い。
そんなことを私はずっと感じていた。
あとから読んでも「この時何書いてんだろう?」と理解出来ないこともあるけれど、大体は面白い。
今の自分じゃ思いつかないことを考えてたり、すっかり忘れ去ってたことなどをみつけたりする。

こんなこと、還暦を過ぎた今だこらこそ感じることかもしれないけれど、いや、それは30代でも40代でも50代の時でも、その時々で昔の書いたものを読んでみると、その時なりに面白かった。

昔に戻りたいとは全然思わないけれど、
昔の自分にしか書けなかったことを書いておいてくれた自分にエラかったと言いたいし、今の自分にちゃんと伝わったよと言いたいと思ったのは、この本を読んで初めてだった。
なんだか自分をほめるのはおこがましいけれど。

今も、思ったままどんどん書いてるので文章的には全然読みにくいし(ほら日本語もヘンだし)、、
だからもう1度ゆっくり読み返して、私もヤドカリのおじさんに日記の書き方を教わりたいなと思う。

今からでも遅くない。