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地下鉄のタイムトンネルをぬけるとそこは普通の街だった③

https://note.com/syakunagesou2005/n/n37bde7ba1fac

さらにつづきです。
長いです。

多摩川までの道の途中、
せっかくなので一本脇道の中原街道旧道へ。
ここは図書館に行く時に歩いて(またはバスで)時々通った道で、夏休みには桜の木陰を歩くと気持ちがよかった。

切通しの桜坂は後に有名になったけれど、
「あっちが桜坂よ」と坂下の交差点をお喋りしながらおばさん連れが歩いていたのと、あとはジョギングや散歩する人達とたまにすれ違うくらいで、今日はとても静かだった。

中原街道旧道「桜坂」の切通し。


坂があるということは丘もあり、多摩川への道のりは結構厳しい。
こういう所をタモリさん風に言うと「ヘリ」かな。

途中で更に脇道に行きたくなり逸れてみるのでなかなか先に進まない。
丘の上に見えるのが図書館だったかな?ちょっと覗いて行こうかなと思って坂の下からまた別の急な坂をぐるりと上って行ったら、普通に新しいマンションだった。

記憶の中の方向感覚は、ほぼ夢の中のような自分の世界のものなので、多分にあてにならない。
ここは寄り道せずにとにかく先へと坂を下りる。

もうすぐ正午。炎天下。暑い。水分補給しないと。ペットボトル飲み干した。気のせいか動悸が…⁉
こんな知らない所?で倒れたら救急隊員に
「埼玉県から何しに来たんですか?」
とか聞かれそう、、

などとひとりで妄想してるうちに、どうにか「沼部駅」の踏切に出て来た。

沼部ぬまべ」…このぬま〜っとした響き。隣の「鵜の木うのき」もなかなかいい。
わりと近場で子供の頃から知っていた地名(駅名)だけど、実際に歩いた記憶はほとんど無い。
この多摩川線(昔は目蒲線と言った。このほうがシックリくる)も、池上線に負けないくらいの牧歌的な雰囲気は感じてたが。

でも鵜の木には近年わかったことだけど古墳群があったりして、なかなかロマンがありそうだ。さっきの大塚古墳もそのひとつ。
子供の頃にはちっともピンとこなかったけれど。

昔3歳くらいの時、知り合いの家に行く途中、鵜の木の街をタクシーで走っている窓から、遠くの高台の斜面をショベルカーが削っている光景を見た記憶があるのだが、、
あれは夢だったんだろうか??
いや、確かに…。
鵜の木のどこだったんだろう。謎。

はっ、また横道に。
そう、かなり疲れていたのだ。雪が谷大塚に降り立ってからまだ2時間も歩いていないのに。

多摩川線「沼部駅」ホーム(どことなく池上線と同じ匂いのする安心感)

たどり着いた沼部駅から発作的に?多摩川線に乗った。
もうここから帰路に着こうかな? などと少し弱気になっていた。
でも、それが次の「多摩川駅」止まりの電車だったのでひと駅で降ろされた。
(ここから先は目黒線となる。なんで分けたんだろう?全部目蒲線でいいのに…。)

車窓から、
多摩川が見えた。

なんだ、もう、すぐそばじゃないか!!
多摩川線の走る位置を地図上でいまいち把握してなかった。多摩川線は多摩川に沿って走るから多摩川線というんだ。(だから目蒲線はやめたのか?? )

そうだよ多摩川は今も
歩いても行ける距離だった。

多摩川駅で下車すると、改札の向こうにはかつてここにあった遊園地「多摩川園」への参道のように丸子橋から繫がる道が見えたので、
ここまで来たらもう行くしかない!
と、帰るのはやめて元気良くまた歩き出した。

「シン・ゴジラ」で破壊された浅間神社の前を通り、多摩川丸子橋へと向かう。
あの映画を見た時は、ひぇ~これは大変だ…と笑った。
呑川を遡上して蒲田にやって来るしゴジラ。
ゴジラといえば幼稚園の頃に、テレビでゴジラ1作目の映画を見てから(あれは品川の八山橋上陸だったけど)、
ゴジラの不気味な足音が幼稚園まで迫ってきて、先生とみんなでお茶椀を持って神さまにお祈りするという夢を見た。
何故「お茶椀」なのかは夢のことなので今でもよくわからないが、ものすごく怖かったのを覚えている。

だからゴジラが大田区に上陸というと他人事に思えない。
また横道に逸れた。。

というわけで、やっと着きました。ここまで来るとは思ってなかったけど、ここまで来たら見届けないわけにいかない。多摩川丸子橋。

丸子橋(中原街道が多摩川を渡る橋。向こう側は川崎市。2000年に架替えられたらしい。前のはもっとガチガチとゴツかったような…?)
♪た~ま~の流れのさざ~なみの~♪この辺の学校の校歌にはみんな入ってる「多摩川」。流域の学校はみんなそうかも?
東横線と今は目黒線も渡る。

幼稚園の頃に近所の家族と遊びに来て、この辺の河原からみんなで裸足になってジャボジャボと中洲へ渡り、石ごろごろで転んじゃった覚えがある。(危険なので今は出来ません。)

小学校の卒業遠足でここまで歩いて来てみんなでドッチボールをしたのもこの辺りだったのかな。
友達と自転車で図書館へ行く時は、わざわざ土手道を通り凸凹と走った。

川の写真を撮っていると、今はきれいにサイクリングコースになっているその道を、チャリに乗った地元の老若男女が気持ち良さそうに次々と走り抜けて行くので、
私は「どうぞ~」と爽やかに身をかわした。
私もここが大好きです。


小さい頃、静まり返った夜になかなか眠れなかったりすると、遠くで微かにポーーッ ポーーッと音がするのが聞こえた。
「あれは横浜港の船の汽笛だよ」
と父が言っていた。

その耳を凝らさなければ聞こえないほどの、汽笛というより宇宙から聞こえてくる機械の音(知らないけど)みたいなポーーッという断続音は、
そうか、
あの鉄橋のもっと向こうの海から聞こえてくるのか。
遠いような近いような、不思議な感じがした。

今にしてみれば、あれは川崎港か羽田沖あたりの音だったんじゃ…?とも思うんだけれど、
まあ父の言葉はそのままにして覚えておこう。あの不思議な音も。

帰りは多摩川を背にして、中原街道を道なりに歩いた。
橋の正面からのショットが撮りたくて何度も振り返ったけど、車に乗っていないと無理。

鳥も飛んでる丸子橋


そう言えば丸子橋発で雪が谷大塚を通るバスがあったはず…と思い、バス停を探して時刻表を見たら1日に5本しか走っていなかった。なんと。
東京なのに。
東京だから?

次回は大田区内をバス回数券で上手に周って見ようかな?とも考えていたけれど、こんなに本数が少なかったらよっぽど計画的に行かないとだな。
「路線バスの旅」みたいだ。

それより、やっぱり拠点を決めて狭い範囲を重点的に歩いて見たほうがいいのかもしれない。
などなどと、まだ全然見足りない故郷めぐりの今後について思いを馳せたりしながら中原街道をてくてく歩いて、小学校付近までまた戻って来た。
足が痛い。。


最後に、というかついでに、学校の近くの懐かしのN銀社宅へ。
道挟んで全部で6号棟まであるのは昔のまま。門が閉まってひっそりといている。
敷地内には入れないのでよくわからないけれど、人は住んでいる様子。
外から見た感じは駐車場が増えて、子供が遊ぶスペースは全然ない印象が。
他の社宅に変わったのかな??

ひとクラスに5人はいたN銀転勤族の友達が住んでいた頃(高度成長期)は、放課後はいつもわいわい賑やかでローラースケートの音なんかもしていて、車が来なくて安全なので、わざわざここにスケートしに行ったりもした。

みんな今頃どこの空の下でしょう。
元気かな?


…痛い足を引きずってどうにか雪が谷大塚の駅に到着。
お疲れ様でした。

まだ2時なので、というかもう2時だからお腹が空いてることに気づき、
駅ビル(と言ってもただの駅舎)に唯一あるドトールに吸い込まれるように入って行き、本を読んだりスマホを見て休日をくつろぐ地元の皆さんに混じって何食わぬ顔でお昼を食べて大休止して、
疲れが癒やされたところでぼちぼちと現実の家路に着きました。
また来ます。


追記:
コンバースはライブに行く時やライブに出る時の靴であって、街歩きや長歩きには不向きだということがようやっとわかったので、次はニューバランスで来ようとしみじみ思った。まだ持ってないけど。

おわりです。