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元某テーマパークキャストが『ミッキーマウスの憂鬱ふたたび』を読んだ話。

本記事は今から2年ほど前、大学生の頃に書いて下書きのまま眠っていた記事を公開するものである。
noteクリエイターズフェス2023というイベント概要に、「過去の下書きを公開してみませんか?」という謳い文句があったため、それに乗じて公開しちゃおう!と思った次第だ。

なお一部誤字脱字の修正はしたものの、当時の下書きをそっくりそのまま公開してみようと思う。

では、どうぞ。



*****




「僕はディズニーキャストになるんだ。」
それはまるで夢や目標ではなく、ある種使命のような感覚にも似た、人生初の自分の将来像だった。

私は現在大学4年生。
来春からは遂に社会人。
これといって将来に対する過度な不安はないが、「大学生活」という社会から外された特異な4年間が終わることへの、寂しさや切なさを覚える時期になってきた。

私の学生生活は、いささか変わった体験が多かったように感じる。
部活やサークルに所属せず、ゼミや研究室にも縁がなかった傍ら、学外のボランティア活動や、アルバイト、恋人とのデートやら旅行やらに生活のほとんどを費やした。思い返せば充実したキャンパスライフだったと言えるだろう。

そんな中でも、群を抜いて話のネタになるものが「某テーマパークでのアルバイト経験」である。
なんの特徴もない、ただの大学生である私が、ある日を境に夢と魔法を届ける人になった。

守秘義務がある私にとって、そこでの出来事はあれやこれやと話すわけにいかないが、いま手元には、ある一冊の本が私に微笑みかけている。
私はレッドラインを超えないことをここに誓い、『ミッキーマウスの憂鬱ふたたび』と、自分の想いをここに留めておこうと思う。


『ミッキーマウスの憂鬱』とは

本書は松岡圭介さんによる、東京ディズニーリゾート舞台の青春小説。
新潮社より刊行されており、2008年に『ミッキーマウスの憂鬱』、そして今年2021年に『ミッキーマウスの憂鬱ふたたび』として続編が発売された。

松岡圭介さんの著書には決まって同名のキャラクターが登場することが有名で、それはまさに松岡ユニバース。
前作『ミッキーマウスの憂鬱』からはもちろん、他の小説の人物もゲスト出演しており、読者へのこの楽しませ方が私は堪らなく好きである。


夢を売る舞台裏

本書を手に取る方の、実に半数以上は「ディズニーランドの裏を暴いてやろう!」といった心持ちではないだろうか。いや、そこまで毒付いたことを思わずとも、「裏側」のヒント欲しさに読み始める方は少なくないはずだ。

先に言っておくが、私は本書と現実との答え合わせをするつもりはない。
どんな経験をしていようと、あそこは夢と魔法の王国(ないし冒険とイマジネーションの海)であり、それ以上でもそれ以下でもない。

しかし、「ディズニー」という存在がいち企業であり、利潤を目的とした株式会社であることは自明の事実。

加えて、本書が描く「ディズニーランド」は、あくまでも現実。
でも、だからこそ愛しいと思わせられるのだ。

私は本書の主人公「環奈」と同様に、あの場所が大好きで、大好きすぎて働いた者のひとりである。
だがそれは、ティンカーベルがステッキを一振りして出来上がった場所だからではなく、企業として夢を売るということを可能にした場所だから好きなのである。

夢を売る舞台裏は、決して楽しいだけではない。だが、そこには間違いなく明日を生きる糧がある。
それは「環奈」が、ひいては著者の松岡圭介さん自身がよく伝えてくれる。


前置きが長くなったが、元キャストである私の『ミッキーマウスの憂鬱ふたたび』感想文といこう。


退社をする時、本を閉じる時。

上述の通り、私は「元」キャストである。
「元」ということはつまり、何かを契機にあの場所を去る決意をしたということだ。
こう記すと、また悪い考えの皆さんが、ディズニーのブラック労働が...とか、低い給料が...とか言い出すかもしれないが、そういうことはありがたいくらいになかった。少なくとも私は感じなかった。

ただ1つ、敢えて馬鹿みたいにカッコつけて言うのであれば、「ディズニーの人になるのが怖くなった」というところだろう。

『ミッキーマウスの憂鬱ふたたび』では、19歳の主人公「環奈」が、ディズニーランド内のカストーディアルキャスト(パーク内を掃除する人)として働き、そこでの働き方を「カースト制度の敷かれた学校」と表現しながら、社会の縮図とも言えるパーク内での出来事を経験し、成長するというものである。

作中「環奈」は、とあるキャスト内でのイベントを通じて奮闘する姿が描かれる。

それはまさに「ディズニーの顔」となる「アンバサダー」を決める戦いであり、その決断を迫られるようなドラマがある。これが現実にあるかどうかは、ここでは伏せておくとして...おそらくあの場所で働いた多くの方が、似たような葛藤をするのではないかと思う。

夢を売る舞台裏は、とにかく神経を使う場所である。
それが辛いとか、苦痛かどうかとかいう話ではなく、敢えて自分からゾーンに入り込むような、不思議な精神状態でいなければならない場所ということだ。あの場所で働く者たちを、従業員ではなく"キャスト"と呼ぶのは、的確すぎるほどに的確で、まさに1人残らず"演者"なのである。

それはつまり、徹底した「ディズニーらしさ」であり、遂にはそれが自分のアイデンティティともなり得るものだから凄まじい。
一方で、この「ディズニーらしさ」に埋もれて塗れ、人間っぽさを失う怖さというのも間違いなく存在している。地球上最も幸せで、魅力的で、魅惑的な場所だからこそ、「自分らしさ」と「ディズニーらしさ」を両立させることに、多くの人が悩むのだ。「ウォルト・ディズニー」という天才の創り出した世界に惚れ込んだ人ほど、その葛藤に苦しむことは間違いないだろう。

作中の「環奈」にはキャストを辞めるとか、退社するとか、そういうエンディングは描かれない。しかしながら、最終的に「環奈」が「環奈」になるというところが、松岡圭介さんの清々しいところであり、ある種ディズニーに対する最高の賛辞でもあり、読者に寄り添う優しさだと思う。

物語の終盤、「環奈」がゲストからの要望を拒否して「私は人間だから」と放つ一幕がある。
ディズニーらしさとしては0点の回答だが、ディズニーで得られることとしては満点、私はそう思うのである。

夢と魔法の王国に、ゲストとしてではなくキャストとして足を踏み入れた者たちは、一体何を与え、何を与えられるのだろうか。ホスピタリティ精神?丁寧な言葉遣い?ディズニーキャラクターの知識?どれも正解で、どれも的を得た回答ではないだろう。

キャストにとっての夢が叶う場所。
それは、退社をする時、本を閉じる時に、少しばかり感じ取れる「自分らしさ」ということが、ひとつ挙げられるのではないだろうか。本書は限りなく、「元」キャストの疑似体験ができる1冊である。それは決して楽しいことばかりではなく、いち企業の、いち働き方の追体験に過ぎないが、それすらもひとつのエンターテイメントとして確立できてしまうのだから、やはり夢と魔法に溢れた、とても恐ろしいな場所なのである。


その先で

好きなことだけにのめり込むと、他の冒険ができなくなる。自分の好きなもの以外、見えなくするのは愚かなことだ。

驚くなかれ、これはあのウォルト・ディズニーが残した言葉なのだ。私はこの言葉が大好きである。

ウォルトといえば、最後まで子供心を忘れず、好きなものに夢中になって、新しいものを創り出すことに全力を注いできた、そんな人物として皆さんの前に映っているのではないだろうか。

諦めるなとか、最後までやり抜けとか、そんな格言が多い中、この言葉はとても異質で、彼の器用さが顕著に表れた面白いひと言だと思っている。

ウォルトは自分が創り上げた「ディズニーらしさ」の持つ威力もよく理解していたと推察する。ディズニーランドに遊びにきたゲストたちを全力でおもてなしする一方で、ディズニーランドに心酔するゲストは、きっとウォルトが本当に望むゲストの姿ではないのだろう。無論それは、キャストに対しても同じである。

ディズニーランドはほっとひと息いれる場所で、単なる通過点に過ぎない。歴史を、未来を、夢を、魔法を、限りなく現実で味わったその先で、人々は何を見るのか、どこを目指すのか、そんな視線の先をウォルトは楽しみにしていたのではないだろうか。
(このウォルトの思想を存分に詰め込んだ映画が2015年公開『トゥモローランド』である。見事なまでに売れなかった失敗作と言われているが、わたしは本作が大好きなので、いつかこの映画の話もしようと思う。)

その意味で『ミッキーマウスの憂鬱』は、ひとつの指針としても捉えることができる。本書を閉じたその先で、ディズニーがいう「夢」とは何かを考えることだろう。夢を売る、夢を買う、ということは、魂を売る、魂を買う、とも表現できるのではないかと、私は思う。ディズニーという場所に自分を酔わせ、陶酔し、おぼろげな異世界に飛び込むことで、逆説的に自分を俯瞰することができる。ゲートをあとにするとき、退社をするとき、本を閉じるときに、自分とは何かを考えられる、そんなきっかけのひとつが「ディズニーランド」という場所なのかもしれない。

私は「ディズニーの人になるのが怖くなった」と言った。これは本当にカッコつけた言い方である。もっと正確に言うならば、「ディズニーだけが自分の人生となってしまうのは、ウォルトの願いに対する反逆行為なのではないかと怖くなった」と言えるだろう。我ながらまったく困った信者だ。

大学の卒業を控え、これから自分の人生をどう色づけていくのか、自分でも分からないことだらけである。私はディズニーの人ではなく、「環奈」が言う通り「ディズニー」と「ひとりの人」という対等な立場で、人生をかけてディズニーと関わり続けていく。自分らしく、ディズニーと。そして、再びあの地に舞い戻るその日があったら、変わらぬ笑顔で手を振るとここに誓って。

#読書の秋2021


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