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すべてのことは表裏一体だと思っているから。

すべての物事は表裏一体だと思っているので、何か自分にとって激しく失望する出来事があったとしても、その側面だけを見て批判したりしないようにしています。(以下略)

昨年の秋ごろ、わたしがThreads(スレッズ)に投稿した文章である。

何ら凄いことを言いたいわけではなく、この「表裏一体」の言葉そのものというか、概念というか、考え方が、わたしにとって非常に心地の良いものであり、それはすなわち、座右の銘やモットーなどと言うべき、大切な心構えだと思っている、という話だ。

古くは風水のそれでいうところの「太陰太極図」がそうだし、わたしの愛する映画でいえば『スターウォーズ』や『インサイドヘッド』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』なんかも、結局のところ「表裏一体」の教えを説く物語である。

この世のすべては、どちらか片方が100%ということはなく、常にプラスとマイナスの側面が互いに干渉し合って成り立っている。大切なのはそのバランスである、という、ある意味では牧歌的な、またある意味では究極的な思考が、この「表裏一体」の言わんとしていることだ。

自分が気付かない当たり前は、誰かの気付きによる有り難きものなのかもしれないし、誰かの不満は、自分にとっての満足であるかもしれない。あの人の笑顔は、過去に流した涙の裏返しかもしれないし、自分の不得意は、誰かの得意を証明するものかもしれない。ジェダイを生かすのは、シスの存在であるのだろうし、カナシミの記憶があるから、ヨロコビの今があって、虚構に生きるレオがいるのは、現実に死ぬブラピがいるから、ということなのだろう(?)と思う。

そんなことは分かっているよ…と思っていても、結局のところ世界は自分を中心に回すことしかできない。たとえどんなに心の通った家族であったとしても、他人の視点で世の中を認識することはできず、皆が皆、例外なく自分勝手なのである。嫌なことがあれば自分を愛することで救われ、自分に嫌気が差せば他人に依存することで安定を得る。足して、足して、足し過ぎたら引いて。引き過ぎたらまた足せばいい。そういうものである。

でも、だからこそ、何かがプラスのときにマイナスの働きをしてくれるモノ。マイナスのときにプラスの効果をもたらしてくれるコト。そんなモノやコトくらいは、せめてもの認識をしてあげて、唯一の「愛」で愛でてあげてもいいじゃないかと思う。正確には、そのゆとりを持ち続けていたいじゃないか、ということである。すべてのことは「表裏一体」だと、わたしは思っているのだが、あなたはどう思うだろう。

世の中には本当に多種多様な価値観が混在しているけれど、千差万別の想いが交錯しているけれど、そのぶつかり合いの先が、何人も幸せであれと、わたしは想う。


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