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だから私もジェームズ・ガンが好き。

映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』
同シリーズの最終章となる3作目、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.3』が公開されました。

もう、色合いが好きすぎる…


初週の興行もまずまずといったところで、一部ではMCUシリーズのひとつの区切りともいえる『アベンジャーズ:エンドゲーム』以来の傑作!や、大好きなMCUおかえり!との声も上がっており、ファンとしては嬉しい限りです。

今となっては、ひとつの文化として確立したと言っても過言ではない、「マーベル・シネマティック・ユニバース、通称:MCU」。
言わずもがな、MARVEL社のアメコミを原作に、ハリウッドの莫大な資金と圧倒的スケールで制作され続けている映画およびドラマシリーズの総称です。

でーんでれれれれーれーてってれー


『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(以下:GotG)』も、このMCUシリーズの中の1作…というどころか、これまでのアメコミヒーロー映画の常識をぶち壊す、映画史に衝撃を残す大傑作として、映画さながらに、ある日突然我々の心を盗みさらって、離すことはありませんでした。

いや、オタクじゃないですよ?(すっとぼけ)

もし、もし万が一にでも、この記事を読んでいながら『GotG』を観たことがないという人がいらっしゃるならば…まずは1回本作をご覧になってください。『ガーディアンズなんちゃら』とかいうつまらなそうなタイトル、宇宙で戦うとか見飽きた設定、変な色のエイリアンと、よく分からない生き物たち、B級映画にも程がある・・・と、その気持ちを持ったままで構いません。
あり得ないと思うかもしれませんが、映画冒頭10分で心が躍り出し、二足歩行のアライグマに大興奮し、喋る木に涙するんです。
とまぁ、こんなことは、その衝撃の第1作が公開された2014年に、世界中で飛び交ったコメントのそれでしょう。

あの日から早9年…遂に『GotG』の最後と謳われる完結編、Vol.3が公開されてしまったのです。
そして、このAwesome過ぎるガーディアンズファミリーとの旅が(ひとまず)終わった今、私は一層ある人物に対する愛を再確認しています。

そう、『GotG』の生みの親で育ての親、映画監督ジェームズ・ガン、その人です。

いつもお洒落な眼鏡。


では、ちょっくらジェームズ・ガン監督のこれまでを振り返ってみましょう。

映画監督ジェームズ・ガン。
今やこのヒットメーカーを知らない映画ファンはいないでしょう。
『アイアンマン』の監督は?『アベンジャーズ』の監督は?と聞かれても答えられない人はたくさんいるでしょうが、なぜか『ガーディアンズ』の監督は?と聞かれると答えられる人がたくさんいる。
ガン監督は、まさしくガーディアンズファミリーの大黒柱として、映画の外でもその存在感を示してきました。

スターたちから慕われる監督の様子。

というのも、彼自身、『GotG』の監督に抜擢されるまで、その存在を知る者はほぼゼロに等しいほど、言わば無名監督でした。いや、正確にいえば、『GotG』が封切られるその日まで、でしょう。
それが一夜にして、ハリウッドを代表する映画監督に変わったのです。その爆発力と、既成概念を取っ払う新奇性、かと思えば懐かしのヒットナンバーを次々と繰り出すオタク気質な親近感で観客を取り込み、感動の場面で飛び切りのギャグシーンを挟み込む独特の作家性を見せつける、一方でMCUという大きな枠組みでの物語を一気に躍進させる強さを見せつけ、まさに完璧な1作を生み出したのです。
無論、『GotG』が完璧な1作と評される理由は、キャスト、スタッフ、本作を支えたすべての方の愛があってこそですが、実は原作コミックもほぼ無名タイトル、主演のクリスプラットも(今でこそハリウッドを代表する役者ですが)当時は無名に等しい若手役者、そんな無名だらけ(=誰も期待をしていないMCU作品)映画の、あまりの面白さを前に、我々観客ができることといえば、「この傑作を作った監督は誰だ・・・!!」とエンドロールを食い入るように見ることくらい。そうして今のジェームズ・ガン監督がいるわけです。

懐かしいなぁ。
当時中学生だった私、それこそなんの期待もせずに観た『GotG』1作目。作品タイトルが画面いっぱいに、どーんっと映し出されたとき、泣きながら笑いながらガッツポーズをしたのを今でも鮮明に覚えています。アドレナリンは大爆発。人はあまりに面白いものを観てしまったとき、脳の処理が追いつかず、無意識にガッツポーズをするんだなぁと、不思議な感覚に陥ったものです。

当時から成長がない私(と友人)

おっと、話が逸れました。
さて、そんなジェームズ・ガン監督ですが、2014年に『GotG』の1作目を世に送り出し、2017年に2作目、同年にはカリフォルニア・アナハイムのディズニーランドに世界で初めて『GotG』のアトラクションがオープン、同作のコミック、ゲーム、グッズ、と幅広く展開し、そのどれにも「ジェームズ・ガン」の名が付くように、作品と監督は一心同体となり、世界を席巻していきます。

最高のアトラクション…

が・・・
皆さんも記憶に新しいでしょう。
2019年のある朝突然、MARVELの親会社であるディズニーが、ジェームズ・ガンを解雇したとのニュースが飛び込みます。背景には、過去の不適切なツイートが摘発されたことによる問題の表れ。弁明の余地もなく即解雇となりました。確かに、当時見た記憶が正しければ、彼を擁護するのはあまりに難しい、酷い内容のものであったことは間違いありません。
(小児性愛やレイプをなぞったネタ投稿だったんですよね…これは残念ながら面白いとは言えない)
ハリウッド全土でMeToo運動や、ハラスメントの告発が相次いだ当時、ガン監督の他にも、未だ信じられない、信じたくない内容で表舞台から姿を消した役者、監督、プロデューサーが多くいます。
かたや、そんな2019年は映画ファンの間では黄金年とも表されるほど、あまりに豊作すぎる最高の映画年でもありました。(パラサイト、ワンハリ、ジョーカー、エンドゲーム、マリッジストーリー、シャザム、ジョジョラビット、名探偵ピカチュウ、ミッドサマー、1917、ナイブズアウト、アイリッシュマン…挙げ始めたらキリがありません)
まさに時代の終わりと始まりを様々な角度から見たという実感が込み上げる2019年。ガン監督の一件も、例外ではありませんでした。

大きな転換期となった2019年ハリウッド。

そんな中、ガン監督に救いの手を差し伸べたのはMARVELのライバル、DCコミックス。
過去に不適切な発言があったことは認めつつ、彼を新作『ザ・スーサイド・スクワッド』の監督として引き抜きます。ここで彼の才能が再爆発、どころか、また新たな一面を見せてくれたな!とガン監督ファンとしてはちょっと嬉しい気持ちもありつつ・・・
同作の中では、一件に対する反省と懺悔、若気の至りで終わらせない強い意志と、これからの覚悟を感じさせるような台詞や演出が節々に散りばめられ、本作の公開を許すDCも好きになり、作品で伝える監督らしさも最高で、思わず目頭熱く、唸ってしまうこれまた見事な作品になりました。
とはいえ、当時のガン監督の心境を考えたら恐ろしいものです。救いの手といえば聞こえはいいですが、万が一本作でしくじっていたならば、金輪際、彼が日の目を浴びることはなかったはずです…チャンスをものにしたジェームズ・ガン…良かった…………


大丈夫!まだ終わらない!
そうファンの期待に応えるかの如く、ガーディアンズファミリーからの署名も出されます。ジェームズ・ガンが『GotG』を監督しないのならば、我々も同シリーズに出演しない、と。

ポムちゃんのサイン可愛い。

まったく、なんというドラマでしょう。
かくして、ディズニーはガン監督を再雇用。だいぶ諸々のエピソードは端折りましたが、2023年現在、『GotG Vol.3』の公開を迎えたわけです。
(今や同時にDCのCEOも兼任しています。今後、MARVELとDCの2大アメコミ映画のクロスオーバーなんてものが実現する日が来るのなら、その裏には間違いなくジェームズ・ガンの存在があるのでしょう・・・)

こんな画が見られる日もくるのだろうか。


さて、否が応でもそんな今後の期待すら膨らんでしまう、劇的過ぎるガン監督のハリウッド生活ですが、彼の作品の根底には、常に弱者からの視点が色濃く反映されているように感じます。
今年で57歳を迎えるガン監督。決して早咲きとはいえないそのキャリアの中、彼のオリジンは度を越えたくだらなさで有名なトロマ映画社です。(気になる人は「トロマ映画」で調べてみてね)日本では関根勤がトロマ映画ファンとして有名ですが、そう、そういうやつです。笑

無名時代のガン監督の脚本作品や、デビュー作などを鑑賞すると、そのくだらなさと下劣さに、ファンとしても頭を抱えてしまうほど・・・ですが、
当時の不適切なツイートが問題視されたときに、自分が発信したことは事実だが、決して本心ではない。目立ちたい一心で、過激な発言を繰り返したと答えていました。今でこそハリウッドの第一線で大活躍する監督ですが、これまでの長いキャリアは、辛く険しいものだったことも伺えます。

さらに、この時代を生きてきた監督たちの作品には、どこか不安定で奇しい、独特な空気感を感じます。
ガン監督のちょっと先輩にあたる人物は、あのクエンティン・タランティーノです。

タラちゃん。


90年代中ごろから2000年代にかけて、その頭角を現したタラちゃんの作品の根底には、「もう新しい映画の作り方なんてない!ぜーんぶイーストウッドとスピルバーグがやっちゃったもん!」みたいな、ご法度ともいえる諦めの大爆発的強さを感じてしまいます。
それはベトナム戦争の失敗とヒッピー文化の終焉を迎えた90年代アメリカという時代を象徴するかの如くです。戦争や革命に夢を見ることはなく、情報化社会の中で浴びるように音楽や映画漬けの日々を過ごす若者たち。まさに映画がそんな時代と呼応するように展開していく様は美しさすら感じます。映画は、もはやそれこそがオリジナルと言われるほどに、莫大な量のオマージュ(イースターエッグ)を詰め込み、サブもポップもない、カルチャーすべてを叩きつけるような作風で一世を風靡しました。

史上最高に無意味で、史上最高にクールな映画の代表。

そのような流派があるのかどうかはさておき、ジェームズ・ガンもタラちゃんと同様の血が流れているように感じます。
(日本だと三谷幸喜とか宮藤官九郎とか近い世代かな・・・ほらね?笑)

そんな映画史の流れの中で、ガン監督の作品は、当時からロックというほどの反骨精神ではないが、悟りというほどの諦めでもない、どこか憂いを帯びたような、世間に疎外され時代を傍観したような、なんとも言えない霞んだ空気感を感じるのです。

監督デビュー作『スリザー』では、愛されない男の飢えの衝動を。
続く『スーパー』では、捨てられた男の現実を変えたい欲望を。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』では、不遇な運命に抗うはみ出し者たちを。
『ザ・スーサイド・スクワッド』では、捨て身で生きる者たちの生き様を。
攻撃的になることで自分の弱さを隠すキャラクターも、自分をひた隠しにすることで生き延びるキャラクターも、様々な形の「弱さ」をガン監督は決して馬鹿にすることなく、でもコメディとして、大量のオマージュを混ぜ込み、どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせながら、彼らの成長を描き続けてくれるのです。

ポスターで分かる。圧巻の個性派揃い。笑

彼が作品の中でキャラクターたちに与えるセカンドチャンスは決して優しいものではありません。
それは彼のファーストキャリアであるトロマの名残か、はたまた自身の経験か、作中で与えられるセカンドチャンスは見るも無残な死をも覚悟するような場合がほとんどです。

決して複雑なストーリー展開はしないジェームズ・ガン。誰しもが共感できる場面展開の中で繰り広げられる、弱者たちの、弱者たちなりの奮闘は、観る者の心を掴んで離しません。

ずるい。


さぁ、今『GotG』を最高の形で締めくくり、DCのCEO、監督として、多数の作品の公開を控えるガン監督。ファンに向けて「期待して待っていてください」と宣言する一方、アメコミヒーロー映画作りに対しては「ヒーロー映画の作り方はもう出尽くした」と語っています。(出ました! 特有の諦めムーブ!笑)

『GotG』や『ザ・スーサイド・スクワッド』でも、既に既存のヒーロー映画の型は大きく破り捨てていると思うのですが…ガン監督曰く、イケてるスーパースーツと殴り合いの、その先の物語をもっと深掘りする必要があるようです。

これはMCUもここ2〜3年、中心テーマとして据えているような気がしますし、DCにおいても『ジョーカー』や『ザ・バットマン』において、同様のテーマでヒーローの定義を問いているように感じます。

ヒーローとは。正義とは。


10年、20年前には考えもよらないほどに、今やヒーロー映画大飽和時代です。手を替え品を替え、作品ごとに新しいテーマを設けては、シリーズ、ユニバース展開をして、多くのファンを獲得してきましたが、確かに、そのネタ切れ感を迎えている様子も否めないのが正直なところです。
そして、両スタジオのどの作品においても、未だその正解に辿り着く作品はないような気がしています。
この現実に、ガン監督は一石を投じてくれるのか。きっと投じてくれるのでしょう。彼はファンを裏切るようなことはしないはずです。


最後に…ガン監督は、初めて私に世界を見せてくれた人物です。

何を隠そう、私はガン監督と直接お会いしています。(本当に束の間の一瞬ね)

サムネの写真をほい。


それは『GotG Vol.2』、ガーディアンズシリーズ2作目の公開時、縁あって同作のレッドカーペットに参加した時です。
当時高校生だった私は、午後の学校をサボり、新幹線に飛び乗って、田舎から制服のまま都内のレカペ舞台に足を踏み入れました。
すべてが初めての体験で、すべてがキラキラして見えたその瞬間、白煙の中からノリノリな音楽に合わせて登場した人こそ、ジェームズ・ガン監督です。

fox on the run~♪

現地には多くのメディアが駆けつけ、監督も役者も(だから、クリスプラットとゾーイザルダナ、デイブバウティスタとも会ってるのよ♡ うふ♡)、ファンとの交流に辿り着く前に、カメラの前で作品のお話をすることで精一杯。

美しすぎるガモーラ。

約2時間のイベントはあっという間に過ぎ、サインのひとつも貰えないと、ファンが落胆しようとしたその瞬間、我々の方に向かって両手を広げ、まだまだ帰る人はいないよね?と叫び、監督自ら、全員待っててね、とウインクしたのです。会場スタッフに延長をお願いし、1人ずつ丁寧に言葉を交わしながらサインしていく監督の姿は、田舎者小僧の私にとって、誰にも勝るヒーローそのものでした。私は世界を見たのです。

ジェームズ・ガンは弱者の視点を決して忘れません。それはファンと読み替えることもできるでしょう。変わらぬ事実として、過去の過ちがあります。一方で、その先の選択肢として、逃げるか、戦うか、以外に、傷つけてしまった者たちを自分の手で守るという道があります。
それは『GotG Vol.3』で見るように、逃げ続けることで過去に蓋をするのではなく、戦うことで強者を排除するのでもなく、ガーディアンズ=守護者として弱者に寄り添い守り抜く、という新たなヒーロー像を映し出してくれるのです。
そこには華やかさや煌びやかさはないのかもしれませんが、真の意味で救われる者たちがいる。監督は、そのことを誰よりも理解しているのではないかと思うのです。

よしよし。

そう、だから私もジェームズ・ガンが好きなのです。

くだらないギャグと、スプラッター表現ですぐ照れ隠しをしてしまう画面の下で、今後もどんなサプライズメッセージを仕掛け、届けてくれるのか、私は楽しみで仕方がありません。

この視線の先、期待しかない。


"James Gunn will return"


ご精読、ありがとうございました。

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