7月1日 我が身の不明
毎日ではないもののお腹が痛い日がぽつぽつとしばらく続き、先日ついに観念して病院にかかった。
「どこが痛いんです?」医師が言った。腹である。腹であるが腹が痛いとはつい数秒前に医師が見た問診票に記入済みであって、つまり腹のどこが痛いかを訊かれている。
ハテ。
痛いのは痛いのだがどこが痛いのか、あらためて探ろうとするとよくわからない。
「胃ですか」さらに聞かれるが、臓器どころか真ん中あたりか脇腹かも考えるほどにわからなくなる。奥の方か表面近くかもわからない。痛いのだが「ここ」とははっきりわからないのである。
「どう痛みますか。シクシクとか、ジンジンとか」
これもまた難しい。痛いのだがこの痛さをどう表現したものかわからない。だいたい「シクシク」とはどんな痛みか。「ジンジン」は周期的に痺れるような痛みかしら。
そのときはよくある胃炎だろうということになって薬を処方された。幸い薬が効いてよくなり、胃炎だったようである。
普段気にしないが内臓が詰まっているのだなあ、と我が身をさする。しかしやはり実感はない。平常時はとくに、まるで無いみたいである。まるで無いぞう。
しかし近頃、ヴァーチャルな話題が増える中リアリティの原点は身体だと思う機会が多く、また、それこそ現実的に寄る年波身体の不調も増え、もっと我が身に頓着したいと思いました。
身近なものほど、平常にはらたいているときには有難味に気づかないというのは、人間関係であれインフラであれ何であれそうである。身体はその最たるものか。
どうぞご自愛ください。
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2023年7月 白河の由無事
何にもならない由無事を書きつくっています。記事の公開から数日経ったところでこのマガジンに入れて有料化します。内容が有益だからではなく、単に…
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