見出し画像

私の普通は、絶対的なものだ。

こんにちは。シンメです。

友人が、最近読んだ本の中の一節が気に入ったと連絡をくれました。
これが思いの外自分の中に染み込んでいったのが面白くて、
書き残しておこうと思い、noteを書いています。

その一節がこれ。

「私の普通は相対的ではなく絶対的なものだ。
 そして歳を重ねることで私の普通は絶対的から相対的へと変化していった。」


友人曰く、「歳を重ねるごとに周りを気にして、普通の意味合いが変わっていったってところが、今の自分になんか引っかかった」と。

ちなみに私たちは社会人2年目。今が3月なので、まもなく3年目に突入といったところだ。社会に属すると、自分の思い通りにいかないことが多い。なんなら私自身も転職が頭によぎり、1週間前にビズリーチを入れてみたところだった。場所を選ばなければ意外と簡単に転職できそうな事実に、正直拍子抜けした)

少し話がそれたが、本題は、自分の「普通」が歳を重ねるごとに「絶対的」から「相対的」に変わるということ。

私はもともと自分の意見を主張するタイプだった。小学校では、リーダーとか班長とか、そういうのが好きだった。ただ、中学生で人間関係に挫折したとき、自分の意見は言わないのが得策。ということを学んでしまった。周りに合わせていた方が平穏に過ごせるというのを学び、自分の意見を主張するのをやめた。
思っていることとやっていることに相違が生まれ始めたり、基本的に自分が悪くて、間違っていて、周りの意見の方が絶対的に正しいのだ。と自分の辞書に刻まれはじめたのも、このあたりだったと思う。

ここまで書いて、やっと、自分の普通が絶対的から相対的になっていった過程は人間関係が要因であると分かってきた。

こうして、自分の「普通」を持っていたものが、大人になるに連れて「絶対的」から「相対的」になってきた。

ただ、自分の普通が相対的になってしまったことによって、逆に悩むこともある。
学生時代は基本的な学習は「インプット」だ。しかし、社会人になると急に「アウトプット」が重視され始め、自分の意見を持っていないと存在価値が見出せなくなる。
この時に、絶対的な普通を持っていれば、「私はこう思う」と、正しい正しくない関係なく、発言することができるし、その意見を否定されたとしても、「ああこの考えは間違っていたのか〜」くらいでスルーすることができる。
しかし、自分の「普通」という照準を、「相対的」にとらえていると、今この瞬間に「普通」もしくは「求められている」発言や態度はどんなものだろう。と考え、発言をするようになる。そうなると、たいした成果もあげられない。目立つことのない。当たり障りのない。「一般的に見て普通」レベルの会社員が出来上がってしまう。

そりゃそうだ。自分の中の普通が「相対的な普通」にすり替わってしまったのだから。

社会人2年目になって、私は自分の意見について、どうでもいいと思うようになった。合わせるのが楽だった。部署の中に1人、自分を主張する人がいたら、その通りやればいいんじゃない?と思った。仕事をするのが楽になった。それと同時に、自分のいる意味が、わからなくなった。
「自分にしかできないクリエイティブな仕事がしたい」
これって、長らく相対的な普通を自分の普通としてきた人の渇望のようなものではないかとも思う。

本当は自己主張がしたいのだ、SNSという場でもなぜ周りを気にしなくてはならないのだろうか。SNSはそもそも自己主張の場として存在しているはずなのに、いつから広告要素を含んだコンテンツマーケットになってしまったのか。
「見るよう」アカウントが存在するのは?
最初に作ったアカウントでは発信できず、身元を隠さないと「絶対的な自分」を表現できないのはなぜか。

だんだんと、本当の自分がどこに存在するのかさえわからなくなってきて、初めて、自分がいかに周りの基準に合わせてきたのかに気づいた。
そして、恋愛においても、絶対的な自分を持っていないと、うまくいかないことも悟った。そして、絶対的な自分を主張してくる人が、魅力的に映るようになった。

だからこそ、今は断片的に、絶対的な自分の普通をもっていようって思っている。
自分の中譲れない普通というもの。

どう頑張ってもそこは他人に合わせるべきではないし、合わせようと思ったところで無理が生じる。

私が大切にしているのは直感。直感をもとに、論理的思考を働かせて決断を繰り返す。
データを元に行動する人からは、「それは論理的ではない」と見えるかもしれないが、自分の中では筋が通っている。

私は長らく相対的にいい自分になろうとしていたから、本当にやりたいことに着手できずにいた。やりたいことはたくさんあるのだ。

こんなことを考えていた時に友人から送られて来た
「私の普通は相対的ではなく絶対的なものだ。そして歳を重ねることで私の普通は絶対的から相対的へと変化していった。」
この一説。

この言葉が私の背中をグッと押した。

私は、今以上に魅力的になる。
個性は隠さず、その魅力をわかってくれる人とだけ関われればいい。

自分の好きを追求しろ、と、就職前の私が言う。
「トライしてみて、なんか違うな〜と思ったら、向きを変えて進めばいいだけ。自分のチャレンジに後悔をしたことは、一度もありません。」記事に取り上げられたときに書いた言葉が残っている。

そうか。自分と向き合いまくって、自分の生きたい道を選んだ大学生の私は、今の私よりもしがらみがなく、絶対的な自分を持っていたのか。大人になってきたと思っていたけど、大人になるって意外としょうもないな。

とはいえ、長らく人に「変」と思われないように生活してきた私は、
個性を出せるようになるまでまだ時間がかかりそうだ。

そのツールとしてnoteを続けていけたらと思う。
このnoteのリンクを、自分のSNSアカウントに貼れる日が来たら、私は一歩成長だという印だろうか。

自分の基準を持てるように。私は強く生きたい。

つらつらと書いてしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


この記事が参加している募集

#今日の振り返り

21,583件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?