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未来解像度の話

 ちょっとまた書きたくなったので、公開の日記というのを久しぶりにやってみようと思います。
 ここ数年は手書きの日記を毎日つけていて、そちらは自分以外に読む人がいないので思いっきりあれやこれやをぶちまけているけれど、ここでは試しにまとめてみたくなったことを書いていくつもりです。なので不定期です。いつ何がまとまるかは、その時々の私の思考次第ということで。

 2023年の最初3か月、私は事あるごとに「死ぬのがこわい」と考えていた。思うだけじゃなくて、「最近、死ぬのがこわくて……」と、同人誌のSkype合評会のアフタートークでポロっと言ってしまったりもした(メンバーの皆さん、困惑させてしまいすみませんでした)。

 別に命取りになるような病気や事故があったわけでもない。不眠と気分の波があるので心療内科へは定期的に通院しているが、健康診断は去年も特に異常なし。ちょっとだけお腹まわりが気になりますかねー、と口頭で言われるだけ。昼の仕事は時給据え置きの派遣社員で、奨学金の返済もまだ半分以上残っているが、去年は月イチでコラムの連載もやらせていただけたし、今年は第一歌集も出る予定。ハタから見れば、そこまで悪いめぐり合わせでもないように見える34歳。なのに、何故。

 これだという原因は無くて、でも重なり合った端切れの一つ一つはよく見える。例えば、年始に読んだ、山本文緒さんの遺著『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』(新潮社・2022年10月)のことが、随分長いこと頭から離れなかった。山本さんが患ったのはすい臓がんだったが、私の父もそういえば、気がついた時には末期のすい臓がんで、そこから一年ともたなかったと思い出したりもした。

 加えて、自分がそろそろ祖父の享年を超えてしまう、ということに今年に入って急にビビり始めた。父が54歳で、祖父が34歳で死んだのだから私もたぶん44歳とかで死ぬのかな、と意味不明の平均を取ったりしていた中二病の頃を思い出して、けれどその記憶のぶり返しを一時の痒みとしてやり過ごすことができない。思い出して変な気持ちになるのは、あの頃と比べて中身が大して変わっていないからなのだろう。

 歌集の原稿をまとめる作業があったというのも大きい。散文では書き表せないと思って短歌という形式を選んでいるのだから、過去の自分の歌を読み返して改作する作業は当然ながら、おのれの思考や感情の持つ癖や、それらがどういう土壌に根を張っているかを見つめ直すことに通じる。これがきっと、自分の想定以上にきつかったのだろう。何だか自分、ずっと同じところをぐるぐるして歌を作っているな……これからもこんな変われない自分でやっていくしかないんだろうか……。どういう時に作った歌かに関してはヘタにしっかりはっきり覚えているものだから、余計に思考はループする。血が出ると分かっているのに瘡蓋を引っ掻いてしまう感じ。

 そのうち、自分に残された人生を逆算し始める。あれもできていない、これも実行していない。未達の欲望リストって、どうしてこんなにすぐ手の届くところにキープしてあるのだろう。しかもループするほどに印字が濃くなっていく気がする。後に残るのは、今年でもう35歳じゃん、ヤバ……と、語彙力の消失した溜め息だけというのに。

 しかし、鬱々ムードも3か月続くと、いい加減身体が拒絶反応を示し始める。というか、落ち込んでいる自分にムカついてくる。ただ、年度の初めにはいくらムカついたところで自信は地の底にまで落ちていて、不用意に転職サイトを触ったりして落ち込んだりもするのだが(これも瘡蓋案件)、そんなある日ふと、とんでもないことに気づいた。

 65歳って、私のとってはあと30年後のことなのだ。

 ……その数字を見た途端、「知らなかった!」と思わず叫びそうになった。いや、知ってはいたはずだ。数字はうそをつかないから。しかし実感がまるで無かった。日々を生きるのがしんどいと、明日だろうが30年後だろうが、未来という名の不安要素でしかなくて、目盛りがまるで見えなくなってしまっていた。要は、未来に対する解像度が低いのである。過去の目盛りはナノ単位で見えているくらいなのに、これは。

 試しに、5歳から35歳までの30年間を思い出してみる。住んでいる場所も、身体つきも、知識量も、人間関係も、何から何まで変わりまくっている。勿論、地続きだなと思う点はいくらでもあるが、まるっきり同じということはない。

 子どもと大人では時間感知の具合が違うらしいが、それでも30年って、結構あるぞ。

 しかも私は、未達の欲望リストを後生大事にここまで引きずってきてしまっていた。それは言い換えると「死ぬまでにやりたいことリスト」とか「なりたい何者かのイメージ」だったりするわけだが、そういうチェック項目があるせいで私は、未来だけでなく、今日も明日も続いてゆく日常生活に対する解像度も低くなっていたように思う。人生を引き算で考える悪い癖が、染みついてしまっていた。毎日ピリピリしながらタスクを処理しているが、いざ自由時間がポンと与えられても何をしたら良いのか分からない、ひとつの典型例。

 少しずつ、未来解像度を上げていく。目盛りはだんだんとはっきりしてきて、明日が、明後日が、来月が、来年が、ドブのような塊の中からきれいに分かれてくる。そしてその目盛りは、これまで過去を表してきた目盛りと同じものだと気づく。段々と、自分が今いるこの現在が、木製定規の途中の赤い目印か何かのように思えてくる。

 昨日と今日と明日が地続きになってくる。すると、明日の自分の機嫌を取るためにちゃんとごはんを作るとか、こまめに掃除をするとか、細かな仕事を先送りにしないとか、そういう日々のあれこれが一日ずつ続いていくことで紡がれるのが、本当の意味での未来であり、人生ではないか、とじわじわと思えてくる。重要事項だけ書かれた年表なんて、少なくとも人生を楽しむには味わいが足りない。余白に怯えるなら、足し算を、書き込みを、もっともっとすれば良い。

 ここまで考えて、どうして口から出る言葉が「死ぬのがこわい」だったのか、ようやく分かった気がする。たぶん私は、このままの未来解像度でやっていくのは限界だと、思考より先に身体で察知していたのだ。けれど、頭の思考が身体の直感に追いつかなくて、不安がバグのように湧き上がっていたのが「死ぬのがこわい」だったのではないか。

 こわいものは他にもある。最近ようやく、それらを脱ぎ捨てる覚悟が出来てきた。今年35歳になる、ということは、自分の人生に前向きになるまで35年かかったということでもある。損をした気がしないとは言わない。でも戻れない目盛りを睨むのも、いい加減やめにしたい。

 引き算に慣れ過ぎた人間が、ここから30年、あるいはそれ以上を、足し算していけるように、なれるかどうか。それは分からないが、まあやってみる分には良いんじゃないかね。なんてったって、30年は長いんだから。

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