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怒り増幅中毒の話

 前回の日記を書いた後、途端に体調を崩した。ちょうど気の滅入るようなことがあったタイミングではあったけれど、分かりやすすぎて自分でもびっくりした。

 文章を書く時、自分のなかでエンジンが稼働する気配がする。私が搭載している文章エンジンはどうも環境への負荷の高いタイプのようで、頻繁にヒートアップを起こしては冷却に多大な時間を費やしたりしている。……蒸気機関車かな? 見たり乗ったりする分には大歓迎だが、自分がそうだとさすがに扱いづらい。

 ヒートアップといえば。元々あらゆる感情の沸点が低い方だったのが、ここ数年で、とりわけ「怒り」に部類するものに対してより過敏になってしまった。あとから思うとほんの些細なことでも、事あるごとにイライラして、顔を熱くしている気がするのである。

 こういう時、自分の心の操縦席を「怒り」に乗っ取られているように思えて、悲しくなる。すると今度は「悲しみ」がどんよりと続いてしまい、「喜び」の感度が鈍る。悲しみの沼の底からジャンプすると怒りという葦に縋りつくことはできても、喜びという岸辺にはなかなか至らない。

 昨日も実は、スーパーの帰り道で住宅街の道からにゅっと出てきた車に突き飛ばされかけた。私も急いでいたし、向こうもちょっと気が散っていたのだろう。それに最近の車は静かだから、無音のうちに近づいているなんて結構あることだ。冷静になれば今ならそう思うことができる。

 だが、その時の私は、もう完全に突沸を起こしていた。件の運転席を般若の形相で睨みつけ、一瞬車を蹴飛ばしてやろうかと考えたがそうすると今度はこちらの過失になるのでグッと堪え、しかし堪え切れないから帰宅した途端に自室の空虚に向かって「ふざけるなー! 二度とシャバを歩けないようにしてやる、この人●しが!!」と叫び散らかした。ああ、おのれのことながら書いていて恥ずかしいったらありゃしない。これでは布団叩きで威嚇する人と大差ないではないか(この表現はいつまで通じるのだろうか)。

 怒りにもどうやら、地震のようにP波とS波がある。今回だと「ふざけるなー!」と叫んだあたりまでがP波。そこから先のしょうもないセリフは、基本的には叫んだことによって増幅されたおまけの、怒りに酔って気持ちよくなって出てきてしまったS波の怒りだ。だから怒りが途中から快楽になってしまい、止まらなくなる。しかも、快楽を伴っているから、S波の方が増幅されて出てくる。

 こういう、怒りが調子に乗ってくることって、昔からよくあったなと思う。中学の頃、実家で犬にローファーを持ち逃げされた時、段々と追い回す方に熱が入っていき、庭先で「ぶっ●してやる!!」と叫んで叱られたことがあった(語彙がこの頃から変わっとらんがな)。クラスの同級生にちょっかいをかけられ続け、ある瞬間にプッツンときて椅子と机を廊下に放り投げて出て行ったことがあった。大学のサークルの会議で、そんな決定は道理に合わんと拒否権を発動して、その後もしばらく話し合いに断固応じなかったことがあった。

 そして、こういう時は大抵、P波の怒りの途中くらいから自分の怒りを動画で撮影しているもう一人の自分が出てきて、もっと映える怒りを! S波ウェルカム! とこちらを煽ってくる。なにがウェルカムだ。

 たしかに怒りのきっかけはその時々の納得のいかない出来事たちであったが、つい消火せずに延焼させてしまうのが私の悪い癖だ。それらの怒りが私の手の中にある以上の効力を発揮するように、他者や世界に対しての仕返しとして機能するように、いつも願ってしまう。こんな怒り、抱えなくて済んだはずだったのに、どうして世界はいつも私をこうして損なうのか。そういう暗い物語を引きずり出してきては、その危険な甘味に心を奪われてきた。途中で、あっこれはなんか間違ったかも、と思っても軌道修正が利かないくらいに。

 怒りを覚えることは誰にだってある。それは否定しない。けれど、怒りが与える甘味は人工甘味料にまみれたエナジードリンクのようなものだ。

 自分で自分の感情を増幅させて中毒になっている。そろそろこういうの、やめたいなって思う。ちょっとの怒りが半日以上尾を引いて、その後も事あるごとに「思い出し怒りリスト」から再生されるような人生は、あきらかに損をしている。いや損って言い方は良くないな、損得勘定で人生はできていないのだから。でも健やかさに欠けるのは事実だ。身体的にも、精神的にも。

 何度も何度も思い出す怒りに対して、増幅させる以外の方針って取れないものだろうか、と思う。ただ、歌集の原稿をまとめていて再認識したのだが、私はこの記憶の増幅という方法を、作品を構成するためのイメージの連想などにも活用してしまっている。これを今から手放すとなると、それこそ数年単位でものが書けなくなる可能性すらある。というか、だからもう何年も小説を書けていない。話の流れを作ろうとすると身体が耐えられなくなる。構築のための身体の使い方が、いい加減限界を迎えている。

 そろそろ変えてみても良いんじゃないかなと思う。再構築の手立ては増幅以外にもあるはずで、ゆっくり試してみれば良いと思う。

 あっ、でも昨日の運転手の、ぶつかりそうになった瞬間のヘラヘラした顔はやっぱりゆるせんな。次からは車のナンバーをちゃんとチェックするようにしよう。

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