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「または、最善説」30首(「穀物」第2号)と、いくつかの異稿

はじめに

2015年11月発行の「穀物」第2号が完売したので、掲載作「または、最善説」30首を公開します。この連作は、作者としてはあまり出来の良いものではなかったと感じていて、歌集が出る際には改作するか、全く載せないかのどちらかだろうと思いつつ、余裕が無くてずっと放置していたものです。

そうは言いつつも、この連作を作る段階でかなり苦しんだ記憶は今も鮮明に残っていて、これ以降「連作を作る」という行為に自覚的になったきっかけの作品でもあります。そこで、この作品の成立過程を、データが残っている範囲で並べてアップしてみようと考えました。

作品に対する自歌自注はあまりしないでおこうとは思いますが、最初のきっかけとなったTwitterでの即詠がいつ、何に対するものであったかということや、これと並行して「坂田博義ノート」(「立命短歌」第3号、2015年9月)と「主体への挑戦――荻原裕幸試論」(「Tri」第2号、2015年11月)という2つの評論を執筆中だったことは、書いておいて良いかもしれません。流れとしては、

①Twitter稿(ハッシュタグ付き即詠、2015年7月15日)
②「立命短歌」第3号用第1稿(2015年7月22日)※タイトルは「最大多数」
③「立命短歌」第3号用第2稿(2015年8月16日)※タイトルは「最大多数」
④「穀物」第2号用第1稿(2015年10月10日)
⑤「穀物」第2号用第2稿(2015年10月18日)
⑥決定稿(2015年11月9日→「穀物」第2号、2015年11月22日)

という経過をたどります。「立命短歌」第3号には最終的に「Dead Stock」という全く別の12首連作が載りますが、これは③を書いている段階で「この内容なら歌数を増やした方が良いのではないか」という友人からのアドバイスを受けてのものです。

また、④や⑤から⑥へ到る過程で詞書をバッサリ削ったのは、「穀物」の事前の読み合わせで「詞書の引用の意味や効果がよく分からない」という意見が多かったためです。

以下に6つのヴァージョンを列挙しますが、note上だと変化が分かりづらいかもしれないので、Excelで表にしてみました。各稿で昇順並べかえをすると、順番の入れ替わりの変遷が見えてくるかと思います(並べ替えの都合で、詞書は0.5首目的位置づけでカウントしています)。

― * ― * ―

①Twitter稿(ハッシュタグ付き即詠、2015年7月15日)


②「立命短歌」第3号用第1稿(2015年7月22日)※タイトルは「最大多数」

はじまつてすぐに浜辺を歩き出す映画はもう信用におけない

放課後の放送室にゐるやうな、否、逃げ込んでゐるやうな日々

向かう岸へ走つて渡る ほんたうは橋など掛かつてゐなかつたのに

後ろから押されて僕も押したんだ最大多数の最大幸福

もう二度と帰れなくなる確信がなんだかとても懐かしいんだ

海なんか嫌ひだ みんな満たされて潮のかをりが誤魔化してくる

ターミナル駅へ流れてゆく人のこれより先は性欲だらう

充電を終へて充電器を外す おまへをゆるす気にはなれない

今のうちに言ひたいことは書き残すいつかまつ先に伏せ字にされて

僕の、そしておまへの庭に降りそそぐ蟬の声 こんなにも等しい

かなしみがしづかに死んでゆくやうにくりかへされるスクリーンセーバー

僕はもうつくり笑ひをしなくてもこの街で生きていける気がする


③「立命短歌」第3号用第2稿(2015年8月16日)※タイトルは「最大多数」

はじまつてすぐに浜辺を歩き出す映画はもう信用におけない

放課後の放送室にゐるやうな、否、逃げ込んでゐるやうな日々

充電を終へて充電器を外す おまへをゆるす気にはなれない

後ろから押されて僕も押したんだ最大多数の最大幸福

向かう岸へ走つて渡る ほんたうは橋など掛かつてゐなかつたのに

ターミナル駅へ流れてゆく人のこれより先は性欲だらう

僕はおまへであるかもしれず庭先にシャベルとスコップの行き倒れ

もう二度と帰れなくなる確信がなんだかとても懐かしいんだ

僕の、そしておまへの庭に降りそそぐ蟬の声 こんなにも等しい

今のうちに言ひたいことは書き残すいつかまつ先に伏せ字にされて

かなしみがしづかに死んでゆくやうにくりかへされるスクリーンセーバー

僕はもうつくり笑ひをしなくてもこの街で生きていける気がする


④「穀物」第2号用第1稿(2015年10月10日)

We're neither pure nor wise nor good;
We'll do the best we know.
We'll build our house, and chop our wood,
And make our garden grow.
(Richard Wilbur & Leonard Bernstein, Candide, Act II)

休日の放送室にゐるやうな、否、逃げ込んでゐるやうな日々

はじまつてすぐに浜辺を歩き出す映画はもう信用におけない

向かう岸へ走つて渡る ほんたうは橋など掛かつてゐなかつたのに

どうしても壊したくなるものばかり並んで僕の鳳仙花たち

もう二度と帰れなくなる確信がなんだかとても懐かしいんだ

後ろから押されて僕も押したんだ最大多数の最大幸福

今のうちに言ひたいことは書き残すいつかまつ先に伏せ字にされて

くりかへす内に身体が慣れてきて僕を独裁する僕の声

僕はおまへであるかもしれず庭先にシャベルとスコップの行き倒れ

還らざる遺骨のうちに数へらるる祖父よ、今頃砂浜ですか

ぢいちやんは偉かつたんだ 僕だつていつか××になるかもしれず

僕の、そしておまへの庭に降りそそぐ蟬の声 こんなにも等しい

殺される 声の孤独がきはまればテンポになんか乗れないだらう

××のことを話さう、あたたかい×の流される××だつた

ラジオから蟬の声してこんなにも戦前らしい戦後であつた

あの夏もきつとおまへは××を愛しただらう直立したまま

かうやつてしづかに花を終はらせて空き地に暮れてゆく僕たちは

これ以上言へばおまへが傷つくと分かつてゐるんだ だから言ふんだ

花なんて甘すぎる比喩を使つては仔犬のやうに捨てられにけり

隣り合ふ庭のさびしく見え始め今年は蟬がいつもより多い

何度でも生まれ変はつて一身に啼くだらう、それが夏のことはり

晩鐘のつひの頃合ひ見計らひ川べりに灯をともす者あり

ターミナル駅へ流れてゆく人のこれより先は性欲だらう

ほろびあふものの悦び 口中に無花果の香のゆふぐれてをり

やはらかい土が良いんだ僕たちを弔ふための庭を造らう

かなしみがしづかに死んでゆくやうにくりかへされるスクリーンセーバー

充電を終へて充電器を外す おまへをゆるす気にはなれない

僕はもうつくり笑ひをしなくてもこの街で生きていける気がする

Cela est bien dit, mais il faut cultiver notre jardin.
(Voltaire, Candide ou l'optimisme)


⑤「穀物」第2号用第2稿(2015年10月18日)

「でも聖人さま」と、カンディードは言った。「この世にはひどく悪がはびこっております」
「悪が存在しようと善が存在しようと、どうでもよいではないか」と、修行僧は言った。

晩鐘のつひの頃合ひ見計らひ海岸に灯をともす者あり

放課後の放送室にゐるやうな、否、逃げ込んでゐたやうな日々

どうしても壊したくなるものばかり並んで僕の鳳仙花たち

リスボンのオプティミストよ この前も随分近くにまで来てゐたが

国道6号【ろつこく】のカーラジオにも届くらむ国会前のゲリラ豪雨は

向かう岸へ走つて渡る ほんたうは橋など架かつてゐなかつたのに

くりかへす内に身体が慣れてゆき僕を独裁するぼくのこゑ

おまへには世話になつたと言ひながらお終ひにするおまへのことは

もう二度と帰れなくなる確信が何だかとても懐かしいんだ

ラジオから蟬の声してこんなにも戦前らしい戦後であつた

「最善説ってなんです」と、カカンボは言った。
「ああ! それはなあ」と、カンディードは言った。「うまくいっていないのに、すべては善だと言い張る血迷った熱病さ」

今のうちに言ひたいことは書き残すいつかまつ先に伏せ字にされて

××のことを話さう、あたたかい×の流される××だつた

後ろから押されて僕も押したんだ最大多数の最大幸福

還らざる××の中に数えられ祖父よ、今頃ひまはりですか

あの夏もきつとおまへは××を愛したのだらう屹立したまま

ぢいちやんは偉かつたんだ 僕だつていつか××になるかもしれず

やはらかい土が良いんだこのこゑを弔ふための庭を造らう

みんな蝉になつてしまつた(みんな、つて誰だ?)殺しておいてよかつた

自粛といふ圧力もあり、[以下は編集部の判断で削除いたしました]

充電を終へて充電器を外す おまへをゆるす気にはなれない

「わたしの土地はわずか二十アルパンにすぎません」と、トルコ人は答えた。「その土地を子どもたちと耕しております。労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」

かうやつてしづかに花を終はらせて空き地に暮れてゆく僕たちは

何度でも生まれ変はつて一身に啼くだらう夏のことはりとして

僕の、そしておまへの庭に降りそそぐ蟬のこゑ こんなにも等しい

不意に名を呼ばれたやうで そそり立つ木々の葉擦れの忙しなくなる

ターミナル駅に流れていく人のこれより先は性欲だらう

ほろびあふものの悦び口中に無花果の実のゆふぐれてをり

僕はおまへであるかもしれず庭先にシャベルとスコップの行き倒れ

この中に祖父もゐるらし 殷々と木々に怒りのぶだう実らむ

かなしみがしづかに死んでゆくやうにくりかへされるスクリーンセーバー

僕はもうつくり笑ひをしなくてもこの街で生きていける気がする

「お説ごもっともです」と、カンディードは答えた。「しかし、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」
※作中の引用は全て、ヴォルテール/植田祐次訳『カンディード 他五篇』(岩波文庫、2005年)による。


⑥決定稿(2015年11月9日→「穀物」第2号、2015年11月22日)

晩鐘のつひの頃合ひ見計らひ海岸に灯をともす者あり

放課後の放送室にゐるやうな、否、逃げ込んでゐたやうな日々

リスボンのオプティミストよ この前も随分近くにまで来てゐたが

かなしみがしづかに死んでゆくやうにくりかへされるスクリーンセーバー

今のうちに言ひたいことは書き残すいつかまつ先に伏せ字にされて

向かう岸へ走つて渡る ほんたうは橋など架かつてゐなかつたのに

おまへには世話になつたと云ひながらお終ひにするおまへのことは

不意に名を呼ばれたやうで そそり立つ木々の葉擦れの忙しなくなる

ラジオから蟬の声してこんなにも戦前らしい戦後であつた

××のことを話さう、あたたかい×の流される××だつた

もう二度と帰れなくなる確信が何だかとても懐かしいんだ

後ろから押されて僕も押したんだ最大多数の最大幸福

みんな蟬になつてしまつた(みんな、つて誰だ?)殺しておいてよかつた

何度でも生まれ変はつて一身に啼くだらう夏のことはりとして

あの夏をきつとおまへは××を愛したのだらう屹立したまま

僕はおまへであるかもしれず庭先にシャベルとスコップの行き倒れ

ぢいちやんは偉かつたんだ 僕だつていつか××になるかもしれず

やはらかい土が良いんだこのこゑを弔ふための庭を造らう

自粛といふ圧力もあり、[以下は編集部の判断で削除いたしました]

還らざる××の中に数えられ祖父よ、今頃ひまはりですか

充電を終へて充電器を外す おまへをゆるす気にはなれない

ほろびあふものの悦び口中に無花果の実のゆふぐれてをり

くりかへす内に身体が慣れてゆき僕を独裁するぼくのこゑ

国道6号【ろつこく】のカーラジオにも届くらむ国会前のゲリラ豪雨は

僕の、そしておまへの庭に降りそそぐ蟬のこゑ こんなにも等しい

この中に祖父もゐるらし 殷々と木々に怒りのぶだう実らむ

いつの間にこんなに育つてゐたのだろう、向かう側から捥いでくれるか

僕はもうつくり笑ひをしなくてもこの街で生きていける気がする

どうしても壊したくなるものばかり並んで僕の鳳仙花たち

かうやつてしづかに花を終はらせて空き地に暮れてゆく僕たちは


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