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図書館と鼻血

水戸駅北口から茨城県立図書館へ向かう坂道は、中高の6年間を通して何度も往復した道である。

慣れた道だから、茨城に住んでいる頃は特に何も思うことも無かったのだが、離れてしまってから思い返してみると、あの坂はちょっと危険なくらいに急な勾配を持っている。坂を上り切ったところはビルで云うとおよそ4階あたりの高さに相当する。普通の歩道として整備するのなんか諦めて、潔く階段にでもしてしまえば良かったのに、と思うくらい急なものだから、実際にビルとビルの間に、近隣住民とサラリーマンだけが知っている抜け道(階段)があったりもする。

海外のコメディードラマにあるような、オレンジやレモンなんかがゴロゴロと転がってくる坂を想像してもらえたら、間違いない。そこからお洒落成分を煮沸消毒したら水戸になる。

坂であることには実は理由がある。水戸駅の周辺は、今も地名に「三の丸」と残っていることから分かるように元々は水戸城があった辺りで、坂の上は要するに水戸城の跡地ということになる。藩校として知られる弘道館も、ちょうどこの坂を上った先、三の丸小学校のすぐ隣にある。藩からの流れで、茨城県庁も当初はこのお堀の中にあったのだが、ずっと前、駅の南側へ移転してしまった。お堀の中にある県立図書館は、県議会の議場だった建物を改装して図書館にしたものだ。

僕が県立図書館に入り浸ることを覚えたのは、中学1年のことだ。吹奏楽部に入っていった僕は、コンクールの自由曲で演奏する楽曲の音源を探していた。田舎のレコード店においてクラシックの品ぞろえなどたかが知れているものだから(当時はAmazonなんて便利なものはまだ存在していなかった)、頼みの綱は図書館だった。先輩から、どうやら県立図書館にはその曲のCDがあるらしいと教えてもらい探しに行くと、一枚しかないCDに対して、1ヶ月以上に渡って予約がされてあるという妙な事態になっていた。何のことはない、予約したのは皆、部活の連中であった。春に予約したCDを手にした時には、もう梅雨も明けていた。

ようやく聞いたCDの演奏は、残念ながらよく覚えていないのだが、曲は今でも好きで聴いている。コダーイの《ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲》。吹奏楽のコンクールでは制限時間の関係上、7分ほどにカットされたものを演奏するが、録音は当然、25分近くある全曲が収められている。しかも、原曲のオーケストラ版である。まず響きが違う。

考えてみると、僕は吹奏楽部にいながらにして、図書館で借りたたくさんのCDたちを通して、オーケストラの響きへの憧れを日増しに募らせていったように思う。僕の通っていた中学は、吹奏楽のために書かれたオリジナル作品よりも、オーケストラ作品を編曲したものを多く演奏する傾向があったから、それは尚更だった。勿論、吹奏楽は吹奏楽で良いところがある。今でも年に一回はOBバンドでコンクールに参加しているくらいだから愛着だってあるのだが、それでも弦楽器の音色が欠けた音響は、時にマイルドになりすぎてしまうことがある。編曲し切れない部分をもどかしく思ったりもする。管楽器は音で吠えることはできるが、感情を掻き毟るような表現は、ことに大人数だと苦手になる。人間の息を使っている以上、単音での鋭さにはどうしても限界がある。吹奏楽という編成で打楽器の比重が高くなるのは、そういう音響上の必然があってのことなのだろう。

閑話休題。こうして、最初のうちはクラシックのCDを借りる場所として図書館を利用していたのだが、その内、普通の書架の方にも入り浸るようになる。最初は当然ながら、音楽関係の棚の前にいることが多かった。作曲家別の楽曲解説の本や、名盤百科の類は、手当たり次第に読んだ記憶がある。加えて、小学校後半から中学の頃の僕は、実は赤川次郎の大ファンで、学校の図書室に置いてない分の「三毛猫ホームズ」シリーズや「杉原爽香」シリーズは、この図書館で借りて読んだものだ。それらを、月に1冊学校から与えられる課題図書(感想文の宿題つき)と合わせて読んでいたのだから、もしかすると当時が一番活字に触れていたのかもしれない。いつ読んでいたのだろう、と思ったが、行き帰りの電車や放課後の教室がほとんどだったように思う。『ハリー・ポッター』シリーズは部活をサボって教室で読んでいた記憶すらある。これで『ダレン・シャン』や『銀河英雄伝説』に手を付けようものなら、僕は確実に吹奏楽部において幽霊部員となっていたに違いない。

昔から、熱中すると他のことに目がいかなくなるタイプなので、別の何かをするためには目の前の物事を先に片づけてしまわないといけない。そんなこんなで、早く読んでしまいたいからと気が焦って、歩きながら本を読んでいることもしばしばあった。電車から降りて改札を抜け、駅前のバス停まで行く間も、片手の本はそのまま。学校の最寄りのバス停で降りて、学校まで歩いて行く間も、視線はページの上。危なくないのか。いや、とても危ない。実によく電柱にぶつかる思春期だったと思う。

そして、――ここでようやく話が冒頭に戻るのだが、僕は県立図書館で本を借りた帰り道に、よく途中の坂道で転んでいた。借りたばかりの本を読みながら歩いていることが、主な原因である。

歩きスマホがどうのと言われているが、スマホなんかない時代から僕は危なかったのだ! いやホント、威張って言えたものではないが。

しかも僕は、やはりその坂で、転んでもいないのに出血騒ぎを起こしたことすらある。確か、中学2年生の夏休みのことだったと思う。

その時借りたのは確か、音楽之友社から出ている、作曲家別の楽曲解説本で、ラヴェルの巻だったはずだ。その年の自由曲がラヴェルの《ダフニスとクロエ》だったから、気になって借りたのだと思う。CDの視聴コーナーで音楽を聴きながら解説を読んでいたが、切りが無いと思ってゴッソリ借りていくことにした、確かそんな流れだったはずである。

僕はラヴェルのことを、好きな作曲家の筆頭にあげるくらい、今も熱中しているが、その頃はもう、ただただその音楽に、楽譜に圧倒されるばかりだった。だから、恐らくその時は、頭に血が上っていたのだろう。受付のカウンターに、「貸出お願いします」と言って本とCDを置いた瞬間、カウンターの上に真っ赤な血がポタポタと垂れ始めたのである。えっ、血? どこから? と思うまでもなく、その血は僕の鼻から垂れて来たものであった。しかも、なかなか止まらない。司書のお姉さんが大慌てでトイレットペーパーを持ってきて、カウンターを吹き始めた。どうしようもないから、僕もそのトイレットペーパーをもらって、鼻に突っ込んだ。その時はひとまずそこで、鼻血は止まった。

恥しいやら痛ましいやらで頭をフラフラさせながら、図書館から駅への道を急いだ。いくら田舎っぺと言えど、中学2年生である。他人様の前で鼻血をこくなどということが屈辱でないはずがなかった。トイレットペーパーはすっかり血まみれになってしまい、鼻に突っ込んだままでいるのも恥ずかしいので外してしまった。夏の暑い盛り、うなだれるように坂を下りて行った。

そんな時、背後から、おーい、と聞きなじみのある声がした。振り向くと、それは同級生のYくんで、図書館から出てきたら目の前を見たことのある人がフラフラとしているから不審に思って声を掛けたのだと言う。

Yくんに取り敢えず事の詳細を説明しようと思って、僕は鞄の中からラヴェルの本を取り出した。

「さっきさあ、図書館でこの本借りようとしたらさあ――」
「ちょっと前、お前、血!」
「えっ?」

Yくんが叫んだのも無理はない。僕は本を取り出した途端、再び鼻血をポタポタと垂らし始めていたのである。

「またかよ!」
「またって何だよ! ティッシュ持ってないのか?」
「使い切った……(注・さっきもらったトイレットペーパーのことである)」
「バカか……」

結局、僕はその後で、坂の途中にあるデパートに立ち寄って、トイレで顔を洗い、再度トイレットペーパーを使って止血する羽目になった。「クラシックの本読んで鼻血出した中学生なんて、世界中探してもお前くらいだぞ」などと言いながら、ずっと付き添ってくれたYくんには本当に申し訳ないことをしたと思っている。

一昨年の夏に、久しぶりに水戸の街へ遊びに行った時、坂の途中にあった「2階が入口のデパート」が取り壊されて、跡形もなくなっていたことにまず驚いた。坂にまつわる、思春期のどうでもいいような一場面が失われてしまったことは、悲しくもあったが、二度と思い出したくもないことのように思えて、とても複雑な気分になった。

(初出:「京都ジャンクション」第7作品集『勾配』、2015年5月)

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