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大佐に手紙は来ない

 周囲の人たちのご機嫌が、同時多発的に、あまり良くない気がする。わたし自身の機嫌が悪いわけではないと信じるが、皆の機嫌が気になって少し悶々としているので、わたしも一員になりつつあるのかもしれない。
 すなわち春だ。桜は今日あたりが満開だそうだ。今朝は通勤路を少し遠まわりして、先日はまだ極一部しか咲いてなかった川沿いを歩いた。とても綺麗で、曇天の陰りの中で、少しざわめくような、目が回るような感じもした。おかげで仕事には少し遅刻した。糞食らえだ。

 ガルシア=マルケスの短編集を買った。わたしはガルシア=マルケスが好きだと公言しながら、「百年の孤独」しか読んだことがなかった。読んだ当時はまだ二十代で、圧倒的な異臭感や凄味をもって興奮したことを覚えている。今後もガルシア=マルケスを好きだと言いたいので、短編集を開いたところ、最初の物語が「大佐に手紙は来ない」だった。
 イメージしていたのとは違った。突飛な想像世界へワープするようなことはなかった。異臭もしなければ凄むこともなく。難解なところも少なかった。
 年老いた貧しい退役軍人の暮らしが描かれていた。元大佐は退役してから長い間、恩給の決定通知を待っている。毎日のように地域の郵便局長の元へ向かい、自分宛の手紙がないかを確認するほどの待望ぶり。郵便局長が郵便物を仕分ける間は、新聞を取りに来た医者とダベるのだが、その会話は上の空で、郵便局長の作業に熱視線を送っているのだ。
 コーヒー豆は底を尽くし、食料もままならない。唯一金になるかもしれないのは、亡くなった息子が遺した軍鶏だ。息子は闘鶏場にて軍鶏を戦わせることを望んでいた。しかし貧しさも極みに近づき、軍鶏の餌用のとうもろこしを食べざるを得ない状況。妻は喘息持ちで、心も蝕まれている様子。何度もどう生きていくかを夫に訴える。そして軍鶏を売るかどうかをめぐり、静かで、元大佐としては屈辱的な葛藤が始まる。大佐は辛抱強く、いつも待っている。
 読みながら、もっとうまくやれるのに、とか、妻の言う通りだろう、と思いもするが、貧しさのなかで、焦れるように、だけど静かに時が流れていく感じが好きだった。最後のセリフには新しい心情を見つけた気がする。絶望でもなければ、希望でもない。スッキリに近い感じだろうか。
 こんな小説を書きたいと思った。

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