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勝利



俺が物心つくころには、父はすでに大酒飲みだった。

父のお気に入りの酒は、4リットルのペットボトルに入った焼酎。
それを、がばがば飲むのだ。
ラベルには父の名前、“ 勝利 (まさとし) ” が印字されていた。


「この間の腕相撲大会あったろ!あれで優勝した記念にって、2丁目の酒屋のじいさんが俺用に作ってくれたんだ!」


ある日、そう言って嬉しそうに両脇に抱えながら帰ってきた。
2丁目の酒屋のじいさんもよくもまあその後も、“ 勝利 ”の酒を作り続けてくれたもんだ。
88の大往生1週間前まで、その酒は店に売られていた。
その後はじいさんの代わりに、ばあさんが店に立った。
ばあさんは、表にはその酒を出さなくなったが、個人的には未だに売ってくれることを母から聞いた。



まだあれは小学生だった。
午前授業だったか、なにかの式だったかで学校からいつもより早く帰ったことがあった。
うちでゲームをやろう!と、友達を何人か連れて。
早くゲームをやりたくて走りながら家に向かった。
すると、車庫の方から、健全な昼間にはふさわしくない下品な笑い声が聞こえてきた。
覗くと、べろべろの酔っ払い集団が、ご丁寧に酒の匂いとともに出迎えてくれたのを覚えている。
あの時の、駄目な大人の典型を見たと言わんばかりに引いた友達の顔は、今でも忘れられない。



これは母から聞かされた話だが、高校受験のため、夜中まで勉強してたときのこと。
眠気に耐えられなくなって、俺はどうやら勉強しながら寝てしまっていたらしい。
いつものごとく酔っ払った父は、


「“ 勝利 ”の酒を飲めば受かんだろ!」

と、寝ている俺に酒を飲ませようとしたらしい。
当然、俺はむせ返った。
気づいた頃には父はすでに居なく、酒浸しになったノートだけが置いてあった。
ノートの端には “ すまん ” とだけ書き残してあった。
ドライヤーで乾かしたが、かすかに酒の匂いは残っていたらしく。
翌日、担任から呼び出しをくらった。



日々、夜中まで勉強していたからか、それとも“ 勝利 ”の酒を飲んだからか、俺が入ったのは第1志望の高校だった。
初めてできた彼女をうちに連れて行ったときのことだ。


「なんだか緊張しちゃう」

と、はにかむ彼女を見てかわいいな、なんて思いながらドアを開けた。
すると、盛大に嘔吐する声と、トイレの扉からはみ出たパンツ一枚の下半身がお出迎えしてくれた。
父は、その日もどうやら朝まで飲んでいたらしい。
その日からしばらく彼女は口を聞いてくれなくなった。



大学生のとき、父が入院した。
健康だけが取り柄の父がだ。
午後の講義を休んで、慌てて病院に駆けつけた。

「足の骨が折れてますね」

酔っ払って階段を踏み外したらしい。
医者からは手術を勧められた。
熊みたいにでかい身体のくせに、手術は怖がる父。
母がなんとか説得し、手術を受けることになった。

ある日、塾でバイトをしていたとき、母から

「お父さんが消えた」

と、メールが届いた。
生徒に小テストを解かせている間に母へ電話をかけた。
どうやら病院から脱走したらしい。
経過も良好で、あとはリハビリあるのみ、と説明を受けた翌日のことだった。


他の先生が代わってくれ、早く上がらせてもらい、母と手分けして捜(さが)した。
病院の中は看護師さんたちが捜してくれて、いなかったらしい。
家にもいなく、電話にも出ない。
まだ松葉杖の段階だ。
そう遠くへは行けないだろう、と家の近所を見て回っていると、公園でおっさんたちがどんちゃん騒ぎをしていた。


少しの期待と嫌な予感とで近づいてみると、一人だけ違和感の塊のような服装の男がいた。
病衣を着たままの父だった。
その隣には、“ 勝利 ”の酒があった。
わざわざ家に取りに行ったらしい。
病院に引きずって連れ帰ったが、強制退院と通告された。

「やっぱ着替えるべきだったか!」

と、父は呑気に笑っていた。



息子が5歳の誕生日を迎えた日のことだ。
お嫁さんもたまには休みなさい、と母がパーティーを開いてくれた。
父は、孫に対して、“ 目に入れても痛くない ” ほどであった。
その日は珍しくいつもより酒を控えていた。
大きなペットボトルに似つかわしくない、小さなグラス。
少しずつ注ぎ、ちびちび飲んでいた。

「じいちゃん、それなに?」
「魔法のお水だよ。これを飲むとどんな勝負にも勝てるんだ」


嫁は久々に家事を休め、俺も久しぶりの休暇だった。
すっかり気を抜いて目を離していたとき、息子がその魔法の水を一口飲んでしまった。
嫁は慌て、吐くように言ったがそんな器用なことができるわけがない。
俺は急いで水を飲まし、少しでもと薄めた。
いつも豪快であっけらかんとしていた父だったが、この時ばかりは青ざめていたのを覚えている。
後日、父が断酒したと、母から電話があった。

「2日間だけどね」

母の大きなため息が聞こえた。




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「親父、最後まで酒酒言ってたな」


ふぅ、と空に向かってたばこの煙を吐いた。
煙突から出る煙とともに青空に溶けていくようだった。


「俺、あの “ 勝利 ”のペットボトル、棺桶に入れてやろうかと思ったよ」

「いつもあれ飲んでたものねぇ」


すっかり腰が曲がって小さくなった母を見下ろした。
真っ白の髪が喪服に映えている。


「まあでも…あれだけの飲んべえだったけど、病気にもならず、ぽっくりだもんな。酒好きは大往生するとか?」

「飲んべえって言ってもねぇ、あの人何にそんな酔ってたのかしらねぇ?」

「…は?いつも “ 勝利 ” 飲んでただろ?」


たった今そう言ったじゃないか。親父が亡くなって、急にボケが始まってしまったのかと心配になる。


「今だから言えるけど、あれ、こ〜んなちょっとしかお酒入ってないのよ」


母はそう言って指で表した。


「嘘だろ…?」

「酒屋の旦那さんが亡くなったあと、奥さんに頼んでカップ酒2つを水で割ってもらってたの。ほら、あの人飲み過ぎちゃうから。奥さんが亡くなってからは、インターネットでも頼めるって嘘ついて、私が割ってたのよ。あんた気づかなかった?」

「気づかなかった…」

「放っとくとあの人あの量のお酒飲んじゃうでしょ?お酒弱いのに…」


どうしようもない飲んべえを夫に持つ、苦労人の妻。
のイメージが昔からあった。
振り回されて、あちこちに頭を下げに行って。
どうして別れないんだろうか。
俺が女だったらとっくに別れてる。
もう愛なんて冷めて、きっと同情でそばにいるんだ。
それか子どものために別れないってやつだ。
そう思っていた。


でも、今思えば、朝まで飲んでいたときも笑って水を渡していた。
吐いたときも、「昨日食べ過ぎたからよ」と胃薬を買いに行っていた。
慣れない松葉杖で遅く歩く父の隣で、「久々にゆっくりデートできるわね」って話していた。


「あの人、今頃ようやく気づいてるんだろうねぇ」
と母は煙を見つめながら笑った。




。*。:゜☆


またちょっと雰囲気変えて書いてみました。

なんか突然浮かんだお話。





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