えびなかほ

2000年生まれ 休学2年(既卒) めげずに紡ぐ

えびなかほ

2000年生まれ 休学2年(既卒) めげずに紡ぐ

最近の記事

かざす

私は出かけるとよく写真を撮る。いつからだろう。気づいたらよく撮るようになった。 初めて携帯を持ったのは高校一年生のとき。大多数がiPhoneを持っていたが私は数少ないアンドロイドだった。みんなの輪の中に入れなくて、携帯を買ってもらったわくわくが自分がマイノリティだと気づいた時からじわじわとなんだか後ろめたさを感じるようになった。いいなあ、いいなあ、みんなiPhoneでいいな。ってどこかで思ってた。 そんな話はともかく、高校の時は風景とか全然撮らなかった。風景を撮る状況にほ

    • 青二才

      自分の中で「働く」という行為がものすごく価値のある事と捉えられていると気づく。あと、「世間」というものに対しても。 今日も何もできなかった。という負い目の感情を紐解いてみると、「同級生は皆働いているのに」「若いうちにできることがあるのに」という言葉たちが浮かぶ。noteのプロフィール欄に書くくらい、休学という普通の世界からは外れたことを二年もやっているのに、まだ他人と比べ自分の不足を際立たせ自分を叱ることがやめられない。 でも、これってよく考えてみると、世間と外れることが

      • 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 旧年芸術祭で赴いた地が大変な思いをしていて心苦しい年明けです。みなさんご自愛くださいね。 ただいま卒論まっただなか。noteを開いたら下書きがそこそこ溜まっていました。前向きに更新し続けたいです。本年もよろしくお願いいたします。

        • 走れるうちに走っておく

          2022.11 くらいのこと 久しぶりに終電まで飲んだ。この街の中では都会的な場所で、一軒目、二軒目とまわった。 私鉄終電二分前。ああ、この時間だったらちょっと遠いけどJRまで歩いた方が確実だな。そう思って諦めようとしたら、 「走ったら間に合うよ」とお馴染みの先生に言われた。 ひさびさの飲み会で一軒目からそこそこにハイペースだったため、かなりふわふわして楽しい感じだった。同じように上機嫌な後輩と、若者2人で人気がない街を駆け抜けた。 こんなになるまで食べられないって感

        • 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 旧年芸術祭で赴いた地が大変な思いをしていて心苦しい年明けです。みなさんご自愛くださいね。 ただいま卒論まっただなか。noteを開いたら下書きがそこそこ溜まっていました。前向きに更新し続けたいです。本年もよろしくお願いいたします。

        • 走れるうちに走っておく

          自分も未来ある人間なんだ

          私は大学3年を終えてから休学を2年している。 今は復学して2年遅れの4年生をしている訳だが、大学で出会うみんなは自分に比べるとみんな若くて、キラキラしていて、後輩だけに未来があるように思えてしまう。そういえば、昨年はおもしろい大人に出会う機会が多かった。けどそれに伴って「若くていいね」って言われることも多かった。ちょっと突き放された気持ちになる。たしかに「若い」からできることは多々あると思うけど、「若い」を強調されると、今この「若さ」を私は存分に活かしきれているのだろうか、と

          自分も未来ある人間なんだ

          おいておく

          まただ。みんなにどんどん置いていかれている気がする。 そもそも競ってもないし、スタートラインも一緒なわけではない。 去年くらいに気づいたこと。誰に出会うにしろ、私はその出会った人に教えを乞うていた気がする。これから行く道を導いてもらおうとしていた。それは根本的な自分に対する信用のなさからくるものだ。自分を信じられない。「自信」がない。(今、変換で「自身」と出た。あながち間違っていない。「自身」がない、とも言える。) 特定の人に限らず自分以外の人間全員が自分より偉いと思ってい

          愛されていることを思い出す

          生きてきて何度となく「しんどいなあ」と思い続けて早23年。なんでしんどいのか、原因や関係を自分の言葉で言語化して向き合うようになったのはここ1年くらい。その中で「人と比べて自分は愛されていない」と感じるからしんどいのだと気づいたことがあった。 目の前の苦しさに飲み込まれる。飲み込まれているから冷静になれずに気分が落ち込む。そんな時に、消えない言葉を見て違う場面では自分が愛されていることを思い出す。 友達や大切な人からもらった手紙やアルバムにとても助けられる。自分以外のその

          愛されていることを思い出す

          Ville natale

          ただいまといってらっしゃい 7/15~17に昨年ほぼ一年暮らしていた岩手県陸前高田市広田町に行ってきた。 広田に帰るのは5か月ぶりくらい。暮らしていたときを考えると久々だが離れてから半年も経っておらず、案外まだ自分の中に馴染みがあった。暮らしていた古民家、毎日見ていた田園風景、どんな感情になるかと思ったら「ここにあるものだったな」と意外にも落ち着いていた。 お世話になった友人たちにも再会したが、なんかみんな「お~~~」って感じで全然久々のびっくり感がなかった。全然驚いて

          想いの連なり

          なんとなくFacebookに投稿した気持ちをnoteにもとどめておく 私が先輩にされてもらってきたように、私も後輩に同じことをしたいと思う。先輩に返せることはもちろんお返しする。そして後輩にもすることで先輩にも恩を返しているようにも思う。 ハウスメイトとかなり話し込んだ、とてもいい時間だった。この偶然の関わり合いがじんわり心をあたためる。じわじわとお互いを知っていくおもしろさ、性急さがないのが心地いい。小さな関わりを積み重ねていくシェアハウスだからできることだと思った。

          想いの連なり

          ふつふつと消えず燃えるもの

          友達と長電話をしていたとき、いつものように人生における愛の話になった。 人間誰しも愛妻家であるべきだよね、と溢してふと思う。 「愛妻家」はあるのにどうして「愛夫家」はないのか 久々に気づいてしまった、だから言い続ける。ムカつく。超ムカつく。 なんで「愛妻家」という言葉がないんだろうと考えたときに、「女が男を愛するのが当たり前で、男が女を大切にするのは珍しいからなんじゃないか?」と思った。 こういう考えが思いついたのは育ってきた家庭環境があまりにも家父長制で自分がひね

          ふつふつと消えず燃えるもの

          わたしと関わった人がみんなしあわせであればいいのに

          小学生からの友達から手紙が届いた。そこまで頻繁に連絡をとりあうこともないけど、SNSでつながっていて、連絡しようと思えば、気兼ねなくできる人。2日ほど前に誕生日を迎えていたので、それで便りをくれたのだろうと思った。彼女らしかった。 私があなたにできたことを思い出そうとしても、なにができていたか分からない。ここ数年会うこともできていない。それでもあなたは手紙をくれた。それどころか私に寄り添ってくれた。 わたしのnoteを読んで、これからでも支えたいと言ってくれた。弱さをひら

          わたしと関わった人がみんなしあわせであればいいのに

          私のこと忘れないでね

          私は家族、特に両親と折り合いが悪く今年の4月から家を出ている。私の家は幼いころから父親が怖く、常に大人の機嫌をうかがいながらびくびくして生きなくてはいけない家だった。両親の言い争いの最中はこの世の終わりかと思うくらい怖かった。火に油を注がないようにずっと息をひそめて、ただただ嵐が過ぎるのを待つしかなかった。 苦しかった。家が安心できる場ではなかった。もう限界だと感じて、22年間耐えてきた家族と一緒に生きる、という生活に終止符を打った。 家から離れた人生は楽しかった。シンプ

          私のこと忘れないでね

          あなたに似合うマスキングテープ

          友達が引っ越す。ある期間を過ぎてから(期間中も毎日会っていたわけではないが)特段毎日連絡を取るわけでもなく、タイミングが合えば会うという付き合い方をしていた、一緒にいるのが心地いい友達。 それでも顔を合わせると毎回と言っていいほど話し込んでいた。自分の思考、感情を吐露できる相手だ。そんな人が近所にいるのは大変ありがたい。約束しなくても、ふと会って話ができるのだから。 そんな友達に手紙を書いていた。今までお世話になった感謝と、これからもつながっていたいという想いを込めて。

          あなたに似合うマスキングテープ