溶けきれなかった角砂糖
唐突に何か書きたくなった。
理由を探してみた。二秒で見つかった。
つくづく、人からの影響を受けやすい人間だと思った。
すぐ右に倣って、何かを成し得たくなる。
僕はとても心配性で、すぐに不安で心がいっぱい、いや二杯になる。
「ブルーに憧れる みどり」
今の僕の現状を表すにはいい例えだと思う。
理想という名で飾った、ほぼ添加物100%の妄想の海の中を泳いでいる変態が僕です。
理想の存在力が強すぎて、今と擦り合わせている。ごちゃ混ぜの妄想チャンプルだ。
これは僕だけかも知れないが、心理テストや性格診断などでアンケートを答えているうちに、本当の自分を決めつけられているような気分になるし、浮き彫りにされるからそれがさも正しいかのように映るのが嫌でそれを避けていたら、結果がよくごちゃ混ぜの妄想チャンプルになっている。だから、あの手のものはあてにしない方が良い。
「もっと出来る“はず”なのに」なんて常に思っている。逆にそう思っているからこそ、全力をいつからか出せなくなった。保険を無意識のうちにかけている。みどり よりもドジでグズだ。
特撮ヒーローの50数話ある中で、一回もフォーカスされないような みどり だ。
憧れのブルーならこういう時、どうするのだろうか。
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情報が頭上を飛び交う昨今。
その量の多さと不必要さに、蚊のようなうっとうしさを覚えはじめている。
少ない方が良かった。
仲の良い人も情報も。
多すぎるのはちょっと気が引けた。
選択肢の少ないなかでの自由の方が、
さぞ生きやすい。
ヨレヨレのジャージを着てるから
コンビニかスーパーにしか行けないような。
キャリーケースがあるからエレベーターを使うような。
気になってる人と食事に行くから、お通しが800円くらいの居酒屋を食べログで調べるような。
微妙に例えがズレてる気もするが、そんな限られてるなかでの方が工夫も凝らせるし、想像力も掻き立てられる。
中学までの僕は
皆が右に行けば右に行き
ジャンプすればジャンプする。
「誰にも嫌われたくない」の一心で生きていた。
常に顧問の先生の顔色
部員の顔色、クラスの顔色
レジで僕の後ろに並んでいる人の顔色
うかがい続けて生きてきた。
僕のことを嫌いだって言う人は少なかったと思う。それもあってか、サッカー部のキャプテンになった。顧問と部員との中間管理職だ。
顧問の意見を尊重すると部員の反感を買い。
部員の意思を尊重すると顧問の反感を買う。
14才にして、板に挟まれた。
「誰にも嫌われたくない」僕にとってこれ程辛いことがあるだろうか。
どっちつかずで居ると両方から嫌われる。
どっちかの意思や意見を通すと絶対にどっちかから嫌われる。
だから、自分の意見を持つようにした。
伝えるようにした。
けど、理想通りにはいかなかった。
皆へ植え付けたいと願っていた印象が、そのまま根強く皆のなかで居座っていたのだ。
顧問にはこっぴどく叱られ、
部員には陰口を言われていた。
だが、悲しいことに慣れたのだ。
すると、もっと悲しいことに顧問や部員が僕の意思を表面上では尊重してくれるようになった
こんなに違和感しかない達成があるのかと
当時の僕は思いました。
そこから僕のことを好きでいてくれる人 と嫌いな人がはっきりと分かれるようになりました。
だか、慣れというのは絶対でそれにも慣れました。
自分という漠然としたものが他人によって具体化されて言ったのです。
「つくづく向いていないな」
と強く思いました。なのに
高校でもサッカー部のキャプテンを努めました
しんどい思いをするのが嫌だったので
やるべき事を分散させて、役割を与えました。
するとチームに統一感が出てきました。
僕がしたことは
「誰よりも先に行動すること」と「気付くこと」
「声を出すこと」この3つだけです。
誰にでもできることを誰よりもやりました。
高校における部活はまあ楽しかったです。
それも中学校の経験があったおかげ。
きちんと栄養になって、僕も成長してました。
「誰からも嫌われたくない」から妥協して、
「一部の信頼」を勝ち得ました。
はなから無理だったんですかね。そんなこと。
頼ること頼られること。
中学のサッカー部の人ら、元気かな。
それもこれも全部限られた自由のなかでの話。
今はリードに繋がれてた犬が野放しにされたような、限りのない自由になった。
背後に迫り来る「責任」から逃げるようにして挑みながら手探りで生きようぞ。
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どうも、お久しぶりでした。
えすかるご、でした。
まとまりがなく、自分でもよくわからん文字の羅列を読んでくれて有難うございました。