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16. 望む未来に近づくための現在のとらえ方

つぐさんに出逢った頃のわたしは、実は心理士として少し行き詰まりを感じていました。

相談を受ける中で、当時は困りごとや問題の解決がクライアントさんのニーズになることが多かったのですが、実際は、問題にばかり焦点を当てていると、なかなかうまくいかないケースが多いのです。


逆に、”こうなりたい”という憧れがあったり、解決像が明確な時に、人は変わりやすい。


ただ、言葉でのやりとりは目に見えない分、未来像を明確にイメージする際に、どうしてもインパクトに欠ける感が否めずにいたのです。


そんな時、”写心”を通して人生を激変させていく人達に出逢い、大きな衝撃を受けることになります。

言葉でのかかわりのみではいまいち変化がパッとしなかった人たちが、撮影で自分の素敵な姿を目にすることで、それはもう、目を見張るほどの変化をしていく。


これには本当に衝撃で、正直、
わたしのやってきたことって、なんだったの、、、?
と思ってしまうこともあったほど、ちょっぴり悔しい思いもしました。笑


でも、その悔しさをはるかに上回ったのは、撮影体験がこんなにも人を変化させていくのだという感動と、その秘密を知りたいという強い好奇心でした。


そして、何よりわたし自身が、撮影を通して大きな変化を実際に体験することになったのです。




当時師事していた心理の師匠も
わたしの撮影での変化にびっくりしていました。
「一体、何があったんや」って。笑


これから変化をしていきたいと思った時に、まずやるべきこと。

それは、現在地とこれから向かう先を明確にすることです。


そして、その時にとても大切なのが、現在地をどのように捉えるか。

そう、どこに向かうかもそうですが、その前にまず、自分の現在の状態をどのように捉えるかで、その先に広がる可能性の見え方は大きく違ってきます。


現状を方向性を持って捉えようとする時、大きくわけて2つのやり方があると思います。


ひとつは、現状を過去の原因に求めるというやり方。

例えば、
”今のわたしがこんな状態なのは、過去の〇〇があったから”
という捉え方で、これは原因論に基づいています。


もうひとつは、現状は未来の目的に基づいていると捉えるやり方。

例えば、
”今のわたしがこのようにしている目的は何だろう?”
という捉え方で、これは目的論に基づいています。


現状を原因論的に捉えるか、それとも目的論的に捉えるか。

どちらがいい、悪いでは、ありません。

しかし、どちらを採用すると、よりその人が望む方向に変化していきやすいか、というと、それは目的論的な立場から現状を捉えた方であるといえるでしょう。


なぜなら、原因論的な立場で現状を解釈しようとすると、どうしても、今のような状態になっている原因を過去に求め、それを解消しようとする方にエネルギーを使うことになるからです。

しかし、実際は、現状のようになっている原因を特定することは難しく、また、特定できたとしても過去のことなのでそれを変えることはできません。

従って、原因論に基づいて現状を捉えると、実際のところ、なかなか人が変化していかない傾向にあるように、実際の経験からも思います。


それでは逆に、どんな時に人は変化していくのか。

それは未来に向かってエネルギーを使っていくことができた時です。

具体的に言うと、例えば
自分がよりよくなっていくイメージができたり
憧れの人やロールモデルのような人が身近にいたりなど

向かいたい先が明確にイメージでき、そこに向けて行動をしはじめた時といえます。



ですが、実際はどうでしょうか。

”目的論”という立場は、少し前に一世を風靡したアドラー心理学の基本前提のうちのひとつでもあります。

しかし、そんな風に目的論がもてはやされる背景には、いかに私たちが普段、原因論的に物事を捉えているか、という事実を逆に物語っていると思います。

そう、ともすれば、私たちは無自覚のうちに、現状の理由を過去に求め、そこで意識される問題を解消しようとすることに、エネルギーを注ぎがちです。


だからこそ、現状をより望む方に変化させていこうと思った時に、意識的に未来を志向し、そこにエネルギーを向けていくことが必要なのです。




つぐさんが以前、自分の撮影について
”過去・現在・未来を写し出す写心撮影”
という表現をしていたことがあります。


そして、
これから未来に向かっていくものでもあるし
過去の解釈を変えていくものでもある
という風にも。


こんな言葉が出てくるところからしても、彼のやっていることの本質は、写真撮影というより、撮影という体験を通して人の心の深くに働きかけ、大きな変容を促していく、”心へのアプローチ”のように思えるのです。

そして、撮影を通して、その人が自分の少し先の未来を垣間見る体験をすることや、あるいは現在・過去の自分に対する解釈を変更することによって、大きく変化を遂げていく。


(そもそもなぜ、過去への解釈を変更するような写心や、未来を写し出す写心を撮ることができるのか、そここそがすごいところだと思うのですが)


そんな、その人が自分の生き方と向き合う機会になることを意図して、彼は撮影をし続けているのだな、と。


つぐさんの人を見る時のスタンスには、信念ともいえるような一貫したものを感じます。


それは、
その人の過去や今がどうかではなく、
今をどう捉え、これからどうしていくか
を、重要視しているということ。


それはつまり、一貫した目的論的立場をとり、未来志向に基づいて人と関わっているということでもあると思います。


わたしは、彼が、特にそんなことを学んだわけでもないのに、当たり前のようにそのような立場で人と関わっていることに、静かな衝撃を受けました。


でも、話を聴いていると、そうであること(未来志向でいること)は、彼からするとごく当たり前のようです。

なぜそのようにできるのかを尋ねてみると、
とってもシンプルなんだよ、
という言葉の後に、こんな風に説明してくれました。


その方法だと
”現在”や”今”に臨場感が出るんだよね。

結局人は、
臨場感の高い方に現実が動かされるからさ。


これを聴いた時に、彼の、人が変化する本質をよく捉え、捉えているだけではなく実際に変化を起こす働きかけもしているという、そのやっていることの質の高さに、改めて感服したのでした。


今年も、つぐさんをお招きして撮影会を開催したいと思っています。
また、ご案内いたしますね♪


◆課題◆
今がどうであるか
これまでがどうだったか
は、一旦おいておいて、
自分がどこに向かいたいか、どうなっていきたいかをイメージしてみよう。


つづく。


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この記事は連載形式になっています。
最初からお読みいただくと、これからの記事も、より楽しんでいただけると思います♪


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