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イエスが語る夫婦像

離縁と独身

離婚は許されるのか

「何か理由さえあれば、夫が妻を離縁することは許されていますか」

マタイによる福音書『離縁と独身』

ユダヤ地方のファリサイ派の人々がイエスに近づきこう聞いた。

イエスは答えた。

「あなた方は読んだことがないのか。創造主は初めから、人間を男と女とに造り、『それ故、人は父母を離れて自分の妻と結ばれ、二人は一体となる』と仰せになったことを。したがって、彼らはもはや二人ではなく、一体である。それ故、神が合わせたものを、人間が離してはならない」

マタイによる福音書『離縁と独身』

つまりイエスは、すべてを造った神が、男と女に分けて造った以上、『男』と『女』と分けて考えるのではなく、男女を一対として生涯を共にすることが定めなのだと言っているのです。
二人は一つなのだということですね。

そして、聖書の中に書かれている、『十戒』では、「姦淫してはならない」という記述もある。
そのことを踏まえた上で、次のように述べている。

「あなた方に言っておく。非合法な結婚以外の理由で、妻を離縁して他の女を娶るものは、姦淫の罪を犯すことになる」

マタイによる福音書『離縁と独身』

政略結婚や、自分の意志ではなく、結婚せざるを得ないような結婚をしている者は除き、「妻と別れて他の女と一緒になるという者は、姦淫の罪となる」と言っているのです。

これは、現代の芸能ニュースの内容でも似たようなことを聞きますよね。
若い女に走るというのは、日本の江戸時代でも言われていました。
「畳と女房は新しい方が良い」
なんて、完全に姦淫罪成立間違いなさそうですね(笑)

しかし、面白いのはこの後です。

「夫婦関係がそのようなものなら、結婚しない方がましです」

マタイによる福音書『離縁と独身』

イエスの弟子はこう言い放つのです。
コラコラ、なぜ『姦淫前提』なのだ。
聖書を書いたのは、男なのではないか。という私は一つの疑問を持った。
こんな風に、『姦淫を目的』としている男性は今の世にも多い。
そもそも、『姦淫』がしたいのなら、結婚しない方が身のためなので、この「結婚しない方がましです」には、全力で共感する。
しかし、こんな愚かな考えを持った弟子を、面白く描いているのは、聖書を読み物として楽しませようとしていることが伺える。

この言葉を受けて、イエスもとんでもないことを言い放ちます。

「すべての人がこのことを受け入れるわけではない。ただその恵みを与えられた人だけである。生まれき結婚できない者があり、また人から結婚できないようにされた者があるが、天の国のための進んで結婚しない者もある。これを受け入れることができる者は受け入れなさい」

マタイによる福音書『離縁と独身』

「結婚するしないは、個人の自由だから、受け入れることができる人は結婚するといいよ」

そんな感じで語っていますが、その言葉の中に、「生まれつき結婚できない者」と「人から結婚できないようにされた者」という者が登場します。
これはどんな人だろう?と考えました。
普通に考えると、『子孫を残すことができない身体的理由がある者』というように考えられますが、そうでなかった場合は面白いことになります。

「生まれつき結婚できない」というのは、『生まれつき』という以上、身体的理由であると考えられますが、『生まれつき』モテないようなことだとしたら、ちょっと面白い内容になります。
私は、最初に読んだとき、そう思いました。
「え?モテないっていうこと?」
と考えることで、この部分がとても面白い内容と感じました。
「イエス様が、不細工は結婚できないって言ってるわ」
と考えると、とてつもなく印象に残りますし、とてつもなく心に残ります。

もちろん、そんなことをイエス様が言うはずもないのですが、もし、本当に、『不細工』発言だとしたら…

お~、神よ。
そんなことを考えては、ほくそ笑む私の、悪趣味をお許しください。

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