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友達は100人も“いらない”のか

みんなに好かれたい人はみんなに好かれない

「誰にも嫌われたくない」
こう考えることが悪いことだと思っている人は少ないかもしれません。
なぜなら、この世の中の多くの人は、誰にもきらわれたくないと思っているからです。

「友達100人できるかな」
このフレーズが一時期、話題となリました。
テレビでも、林修先生やタモリなどが、こぞって「友達は100人もいらない」とこの歌に反旗をひるがえしたためです。
林修先生の言うことを要約すると、友達関係のわずらわしさや孤独について話し、「孤独は寂しくない」「考える作業は一人でしかできない」「本を読まない人は孤独が嫌いな人が多い」と指摘したのです。
しかし、ここに隠れていることに注目してみると、「本来、友達がたくさんほしいと言う人が多く存在する」ということです。
私を含め、多くの方は、友達が少ないことを“良くないこと”として捉えているのではないでしょうか。

林修先生がおっしゃるように、友達が多いというのは、非常に煩わしい場面が多くあります。LINEの通知や、アポイントメントだけでも多くの時間を費やすでしょう。だから、携帯電話やスマートフォンを持たないという人も居るくらいです。
面倒な作業が増えることを考えると、どうして友達が多く欲しいのかが理解できなくなります。

しかし、友達というものは、“世間との繋がり”の象徴という考え方ができます。
すぐそこにある世間とのつながりが、友達だとしたら、友達を多く持つということによって、世間と繋がっている実感が得られるということが考えられるのです。
友達も、いろいろな友達が存在します。
医者の道へ進んだ友達もいれば、専業主婦の友達もいます。
それらの友達から情報を共有することによって、世界の広さを感じることができるのです。自分の人生に関わっている世界だけではない、いろいろな人生を知ることができるのです。
これによって、多くの偉人の伝記を読んだような、満足感を得られると考えてみたら、納得できるのではないでしょうか。

例え面倒でも、それらのメリットを感じることができるのだとしたら、友達を多く持っていることに対しても、ネガティブな意見は減りそうな気がします。

そこで、友達が多く欲しいと考えた結果により、「万人に好かれたい」という思想が生まれます。赤の他人だとしても、嫌われるよりも、好かれたいと考えることも、この考え方が当てはまりそうです。
嫌われることは、世間との繋がりが絶たれることとイコールになります。
このように考えたとすると、「万人に好かれたい」という気持ちも理解できるのではないでしょうか。

ではなぜ、「万人に好かれたい」と思うことでは、万人に好かれないのでしょう。
好かれたいと思わないまでも、嫌われたくないと考えている人が世の中には多くいらっしゃいます。嫌われれたくないと考える人が、相手に対して取ると思われる行動の中には、大胆な言動をする人はいないと思います。
なぜなら、大胆な言動というものには、“嫌われる可能性”を秘めているからです。

嫌われる可能性の高い言動は避け、嫌われる可能性の低い言動を選択して、自分の行動に落とし込んでいくと、必然的に“自分を殺して生きる”ことにつながっていきます。
人によって程度は様々ですが、少なからず、自分を殺して相手に接することをしているはずです。相手を失うことが怖いからです。このように、当たり障りのない人になると、「八方美人」と揶揄され、嫌われることにも繋がります。
もちろん、失ってもいいと思えるほどの関係性なら、自我を出していくことも可能でしょうが、相手のことを大切に思えば思うほどに、ありのままの自分を出すことが怖くなるものです。

相手に合わせた言動をしていくことに慣れてしまうと、自分という存在を見失って、疲弊することが増えていきます。
こうした努力によって友達は増えても、自分はLINEやアポイントメントなどに疲れていくのです。

この解決策が、「友達は必要ない」だとするのは、あまりにも極端な選択であるように感じます。
やはり、“世間とのつながり”を失うことは怖いと思います。
私も、林修先生と同じように、“孤独”が寂しいとは思いませんが、これは読書をしているからではなく、『バランス』だと思うのです。
一人の時間と、世間と繋がっている時間のバランスです。

世間を繋がりすぎても疲弊するでしょうし、孤独すぎると今度は寂しく感じると思うのです。
この解消方法は、“自我を出しても繋がってくれる世間を大切にする”ということです。

自分という人間を受け入れてくれる人は、必ず、世の中に一人くらいは居るものです。
そうした、受け入れてくれる世間である、友達を大切にしたらいいのだと思います。
「友達は100人もいらない」という言葉が一人歩きしてしまい、誤解が生じています。
これは、100人もいらないのではなく、「自分に合った友達を持てばいい」のだと思うのです。

それは、1人かもしれないし、2人かもしれない。100人かもしれない。
無理をして、「好かれよう」としては、自分を失ってしまう。
そんなお話だと思うのです。

友達100人いても、いいんです。

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