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文化を守るという事

文化を守ることは変化していく文化を受け入れること

「日本の文化を守りたいんです!」
こんな風に熱い思いを他人に示すような行動をし始めたのは、今に始まったことではない。
日本の食文化の代表ともいえる寿司に携わってきた寿司職人として、私は日本という国を代表しているような自負があった。
日本の文化が、放っておいたら衰退してしまうかもしれない。そんな思いが、私を着物を着る行動へと駆り立てた。自分だけでも、行動しなければ、無くなってしまうかもしれないという、不安に襲われたためだ。

日本は現在、少子高齢化が進んでいる。
その上、多様性という言葉が日本全土で踊り狂い、いろいろな生き方を認める動きが盛んである。
しかし同時に、日本の独自の文化を失ってしまう危険性を持っていると言える。江戸時代、鎖国という孤立した文化を営んできた日本にとって、多様性を認めることによって、日本という国が無くなってしまうと強く思っていた。
これには理由があった。
寿司という文化が、異国の地に上陸したとき、日本では魚が高騰し始めたのだ。なぜか。それは、異国でも生で食べる魚のおいしさを知ってしまった人が多く存在したからである。
この原因は、日本の回転すしチェーン店の影響がある。
回転すしチェーンが、海外にも出店し始めたことが、海外の多くの人に受け入れられ、生で食べる習慣がなかった地域でも、生で食べるようになったことが原因である。
これによって、日本ではマグロをはじめ、多くの魚が獲れなくなった。
これが現在の、魚が高騰している原因の一つである。

しかし、こうした考え方は、まったくお門違いであったことを理解する。
日本の文化という、異種独特の感性を持った文化と、異国の文化が合わさることによって、他では類を見ないファッションや食文化が形成されてきているのだ。
そもそも、マグロをはじめとする魚を食べていたのは日本人だけではなかったのだから、魚の高騰によって、日本人がマグロの寿司を食べられなくなることを嘆くことは、少しピントがズレているように感じる。

少し前には、『カリフォルニアロール』というものが有名になった。寿司でありながら、寿司ではない。サーモンやマヨネーズ、カニカマやアボカドなど、これまで寿司には決して入らなかったものを巻き寿司に入れ込むことで、世界的な認知を獲得した。
これによって、良い効果がもたらされたのは、世界だけではなく日本も同じだ。
コンビニなどに売っている、おにぎりなどがいい例だろう。シーチキンおにぎりなど、一昔前にはみかけなかったものが、今や当たり前に売っていることが示すように、結果的に美味しいものを生みだされたというものも、多く存在するのだ。

寿司が世界的に有名になり、日本の国のイメージアップに大きく貢献したことが功績となり、日本は『敗戦国』や『被爆国』という暗いイメージから、『食べ物がおいしい国』『礼儀正しい国』などといった、明るいイメージに変化を遂げたのだ。
100年前には戦争をしていたことなど、忘れてしまったかのようにも見える。

異文化と共に共存することで、新しいものを生みだしているのは、着物も同じだったのだ。私は着物が着たいと兼ねがね思っていた。
着物というものが、日本の建造物に等しいほどの文化遺産だと思っているのは、現代では、着て街を歩く人がほとんど居ないからだ。
無くなっていくものは、守ろうとする。絶滅危惧種に対する考え方と同じである。
「私の力で何とか守りたい」と考えるようになったのだ。

しかし、着物の世界にも、着物警察という人がいて、着物を着て街を歩いていると、「こんな着方は邪道」だの、「着物の着方を知らない」などという人に出くわすことがある。
そんな着物警察に言いたい。
「今は時代が変わったのだ」と。
少し前に、寿司がそうであったように、着物も異文化と混ぜ合わせることで、とてもお洒落なファッションに生まれかわっている。

着物でめんどくさいのは、『襦袢(じゅばん)』と『帯』である。
襦袢はそれこそ、下着のような感覚であるものの、襦袢を着てから着物を着るのは、結構な手間暇がかかる。時間がかかるため、『晴れの日』以外には着ないという人がほとんどだろう。
しかし今は、襦袢の代わりにシャツでいい。なんなら、タートルネックのセーターでも良いのだ。それがおしゃれだったりする。
帯には、革の帯が市販で出ていて、ベルトのように締めるだけで良いというものがあるのだが、これまたカッコいい。
足元は、革のブーツなどを履いても様になる。

日本の文化であったものでも、異文化と交流することによって、新しいものを生みだしていくことが増えている。
個人的には、こうした発想に柔軟なのが、現代の思想の特徴であるように感じている。

着物を着るということによって、
「日本の文化を守る」
ということに貢献したいと思っていても、着物を着ることに対してハードルを感じていたら、結局は衰退してしまう。
それなら、今の私たちが着やすいように変化させて、着続けていくことが、最終的には『守る』ことになるのだと、気付くきっかけとなった。

私たちは、「文化を守る」ということを、もう一度考え直してもいいかもしれない。

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