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国立国際美術館 クリスチャン・ボルタンスキー「Lifetime」展 アーティストトーク記録

このnoteは2019年2月9日、大阪・国立国際美術館におけるクリスチャン・ボルタンスキー「Lifetime」展開催初日に行われたボルタンスキー氏によるアーティストトークの内容を走り書きで残したものです。

このアーティストトークのチケットは当日の10時から先着130名に無料配布されるというものだったのですが、私が会場に1時間30分前に着いた時点で既に行列ができており、40分前には人数のカウントが始まって締め切りになっていました。

その後も続々と人が集まり、おそらく300人以上は会場に入るために大寒波の中、国立国際美術館の周りに集まっていたと思います。

(写真に写っていない場所や私の後ろにも沢山の方が並んでいる)

私は無事アーティストトークに参加することができましたが、多くの方がせっかく朝早くから会場に行ったのにアーティストトークに参加することができなかったと思いますし、実際にSNSではそのような声が多くありました。

そこで、アーティストトークの内容ほぼ全部をメモに残していたので、それを公開します。

アーティストトークはボルタンスキー氏がフランス語で話し、それを通訳の方が日本語で伝えるという形式で行われていました。

会場は撮影や録音が禁止だったので、この内容は通訳の方が話した言葉を走り書きし、帰宅後に記憶を辿りながら構成したものです。そのため、

ボルタンスキー氏によるフランス語

通訳の方による日本語翻訳

私の走り書きによる記録、そこから文章化

と、いう流れで作成されていますので、ディテールの違い、記録ミス、抜けもあります。その点はご了承ください。もしアーティストトークに参加された方で抜けている部分や間違っている箇所がわかる方おられましたら、コメントやメッセージをしていただければ訂正します。

では、ここからがボルタンスキー氏によるアーティストトークの内容となります。

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展示タイトル「Lifetime」は私の一生の時間。本展は会場全体を1つの作品として構成されており、まず1970年に大阪のTV番組で放送された「咳をする男」から始まり、私自身の心臓音のアーカイブと7歳から65歳までの写真が投影される「合間に」を潜り抜けていく。それは私の体内へ入っていくかのようなイメージだ。
(ボルタンスキー氏の発言と国立国際美術館の方の発言をまとめて記述)

私は精神的なトラウマや様々な問題により13歳で学校に行かなくなり、外に出歩くこともなくほとんどの時間を家で過ごすようになった。毎日窓の外の景色を眺めたり、家族の薦めで絵画や粘土でオブジェを作っていた。それを家族に褒められることで私はアーティストになることを決意した。

当時は暴力的な絵を描いていた。例えるならアールブリュット・アウトサイダーアートと呼ばれるようなもので、自分自身の問題を作品で表現していた。それらの制作のおかげで私は18歳になると1人で外を歩けるようになった。これはまさにアートの力による治癒と言えるだろう。

アーティストにとってのクリエイションの瞬間は少ない。ほとんどのアーティストが1つのテーマを繰り返す。年齢によってそれは徐々に変化してゆくがテーマそのものは同じである。自分自身の問題、トラウマを受け入れて回復してゆくための旅のようなものだ。

私にとってのトラウマは第二次世界大戦中、ホロコーストの生き残りである曾祖父母や父から色々な話を聞かされて育ったことにある。恐ろしい体験の話の記憶は私の心に残り、作品に大きな影響を与えた。

私は常に自分に対して疑問提起している。「神」「真理」「セックス(性)」「自然」「何故生きているのか」など多くの人にとっての不変のものについて。それを言葉ではなくビジュアルや感覚によって話している。

アーティストは自分を語るが、多くの成功を積みあげてゆくと自分を他者として語るようになる。アーティストとは「鏡」であり、それを覗くとき、オーディエンスは自分の経験と重ね、そこにいるように見えてくる。芸術を完成させるのはオーディエンスである。私は日本で最初に作品を発表した時(1987年・ICA名古屋)、私の作品は「日本的である」と言われた。アフリカで展示をした時は「アフリカ的である」と言われた。だが、アーティストそのものは個人的であり、不変である。

アーティストにとってのクリエイションの瞬間は少ない。私には3つのクリエイションがあった。
①大人になった時(1970年頃)
②両親の死(1989年頃)
③老人になった時(2014年頃)
(ボルタンスキー氏/通訳による話が年齢と西暦とバラバラだった為、図録に記載されている情報などと照合し、西暦で統一して記述)

私の疑問提起は私に対して、そして見る人に対して繰り返し行っている。その行為は真理を求める事ではない。なぜなら、疑問提起による回答は新たな疑問となり、それが続いてゆくからだ。真理に辿りついたという人に対して私は懸念を抱く。それは真理に到達したという思い込みである。私達は真理という扉を開くための鍵を探しているが、そもそも鍵は存在していない。だがそれでも私たちは鍵を探し続けるのだ。

人は自分の知っている事しか話せず、共通の知識がある事しか伝えることができない。例えば、頭痛の話をしたら多くの人がその痛みを理解できるだろうが、膵臓の痛みの話はおそらくこの会場の多くの人には伝わらないだろう。アーティストとはコーヒーの香りのような多くの人が体験し理解していることを改めて伝えることができるという程度のものだ。

私は文学以上に芸術が好きだ。その理由は「曖昧さ」である。アートとは不正確かつ曖昧であり、見る人が想像できるよう形の定まっていないものだ。(詩は正確であり不正確でもあるので好きだ、とも発言)

私の作品の写真はほとんどがピントがあっていないか写真を大きく拡大したがゆえにボケている。それは見る人が自由に想像できるようにしたかったからだ。曖昧な写真だからそれが自分や親しい人のように見えてくるだろう。

私にとって重要な事はオーディエンスに作品の前に立って鑑賞させることではなく、作品の内側に入り込み、その一部になってもらうことだ。そのためにオーディエンスの五感を使うことを促すよう空間を構成する。それはさながら全体芸術のようなものだ。過去にとても寒い場所で展覧会を行った際、私は会場の暖房を全て切ってもらった。それはオーディエンスにその肌寒さと共に作品を体感して欲しかったからだ。

ヨーロッパ南部の教会ではその多くが扉があいており、中に自由にはいることができる。そこでは上半身裸の男が踊っていたり、奇妙なアクションやセレモニーが行われている。それらが一体なんなのか全くわからないが、宗教上の問題は一旦置いて中に入り、瞑想するように深く考察することはできる。現代の美術館はこういった教会のようにあって欲しい。

私の展覧会は終了後、80~90%の作品は壊している。西洋は物によって伝達を行う文化があるが、東洋では知識によって伝達を行う。古い建物が壊されたとしても、その作り方を知っているものが新たに建て直す。私はさながら楽譜のように作品を残している。やがて私が死んだ時、<クリスチャン・ボルタンスキー、○○指揮、△△楽団による演奏>として奏でられるように。
(ここで日本には神道があることを知っているとも言及)

私の作品「ぼた山」はベルギーの美術館に「ぼた山」をいつか展示する権利として作品のレシピを売却した。私の生きている間や死後、「ぼた山」を他の誰かが制作して展示するだろう。

大阪の展覧会の後、東京→長崎と巡回するが、大阪で作ったものはほぼ全て破棄する。同じ「Lifetime」としてのテーマでも、場所によって内容が変わる。

私の作品は非物質的な存在であってほしい。いわば、神話を作ろうとしているのだ。やがて私が死んで名前を忘れられたとしても、その場所には神話が残る。日本の瀬戸内海にある豊島では「心臓音のアーカイブ」という作品がある。そこでは世界中の人に自分の心臓音を録音してもらい、それを保管している。訪れた誰もがそれを聴くことができる。私の作品がメッカとして巡礼の場となり、自分の心臓音を納めたり、亡くなった家族の心臓音を聞ける場所として存在し、語り継がれて欲しい。重要なのはその神話を知っているかどうかだ。

今回の展示にも出展している「ミステリオス」はパタゴニアで制作したものだが、おそらく現地にはもうなにも残っていない。だが、その場所に住む人々には「昔、クジラと会話しようとした男がいた」という神話が伝承されていくだろう。
(余談:「ミステリオス」は2016年東京都庭園美術館「アニミタス-さざめく亡霊たち」展のインタビューで作品の企画を動かしているとボルタンスキー氏が発言しており、それが実現した作品)

タスマニアに住むコレクターが私の人生を買った。それにより私のアトリエの数箇所に監視カメラが設置され、24時間記録され続けている。その映像がタスマニアに送られてハードディスクに保管されており、いつでも私のアトリエでの行動を見ることができる。
(展示作品「C・Bの人生」としてその映像を抜粋して展示されている)

誰かの人生を見ている人は自分の人生を見れていない。覗いている間、自分の人生は進まないからだ。タスマニアのコレクターは私の人生を買おうとしたが、その映像を見続けることはできない。つまり、失敗したのだ。心臓音によって命を保管しようとしたが、それを聞いたものは不在を知ることになる。死と戦おうとして、命を保存しようとして、私は失敗し続けている。

私は小さな記憶を保存したい。小さな記憶とは個人の記憶だ。たとえば、「あの店の天ぷらは美味い」という他愛もない記憶だ。反対に大きな記憶とは歴史や戦争の記憶だ。その大きな記憶の中にある小さな記憶を残すために私は亡くなったスイス人900人、ポーランドの赤ん坊7000人の写真などを保管している。

私はコントラストについて考えている。小さな記憶は早く忘れ去られる。祖父の事は覚えているかもしれないが、曾祖父やその前の祖先ともなると、もはや覚えてはいないだろう。そういった個人の記憶とそれが持つ儚さとのコントラストが重要だ。

私は祖先に似ているだろう。全てが同じでなくとも、例えば耳は祖父、鼻は曾祖母に似ているといった具合に、祖先の断片のパズルによってできている。外見だけでなく精神・霊的なものも受け継がれているだろう。私達が死に対抗するための手段は自分の中に宿る祖先を抱える事だ。

私は今回アーティストトークとして皆さんに多くの事を言葉で語ったが、本来は語るべきではないだろう。作品について、同じ問題について語ってはいるが、言語が異なり話し方が違うからだ。これからアーティストを目指す人達に私が考えていることを伝えるとするならば、アーティストとは職業ではないということだ。探求することであって仕事ではない。トレーダーやビジネスマンとは違うのだ。

私達はなにもせずに生きるのは難しい。多くの不安に襲われてしまうからだ。安心する為にバタバタとせわしなく動き回るのだ。だが、アーティストはなにもしないことが大切だ。家でただ寝転がっているだけでもいい。やがて訪れるクリエイションや希望を、ただ待つのだ。


(ここで話が一旦終わり、質疑応答に入る。内容に関しては個人の質問ということもあり、記録はしているがここでは省略します。質問内容によって作品の解説が入っていたので、それは本文に一部記述しました)


(質疑応答が終了)

最後にちょっとした小噺を皆さんに。
ユダヤ教と日本の禅は親和性があると思うので、ユダヤ教に伝わる話を。

とある年老いたラビ(ユダヤ教に於いての宗教的指導者であり、学者でもあるような存在)が、死の直前に一番若いラビから質問を受けた。

「生とはなにか」

年老いたラビは答えた。

「生とは泉である」

それを聞いていた多くのラビが共感して称えていたが、質問をした若いラビは首を傾げた。それを見た年老いたラビは、

「あれ?違うのかな?」

そう思ったと同時に年老いたラビは亡くなった。

(多くの拍手と笑いが起こった)

では、せっかくなのでもう一つ短い小噺を。

あるユダヤ人の友人同士2人が50歳になった頃、たまたまニューヨークで再会した。そこでこんな会話になった。

「人生を一言でいうと?」

「よかった」

「それではよくわからないから、二言でいうと?」

「よくなかった」

(再び拍手と笑いに会場が包まれる)

以上です。本日は寒い中沢山のご来場ありがとうございました。


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以上、ボルタンスキー氏によるアーティストトークの内容でした。

私自身、ボルタンスキー氏の作品は最初に瀬戸内海の豊島「心臓音のアーカイブ」で知り、それから2016年の東京都庭園美術館の展示も観にいき、ボルタンスキー氏の作品や考え方に共感し、より多くの方に知ってもらいたいと思っていました。

その想いから今回の展覧会のアーティストトークは最初から全文記録するつもりで準備して挑んでいたので、このように公開することができました。

1人でも多くの方に伝わり、ボルタンスキー氏の存在や作品への想いが伝われば幸いです。






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