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言葉の重みは、どこからやってくるのか

 


「君を一生幸せにする」



この言葉、ドラマなんかで誰しも一度は目にしたことがあるんじゃないかと思う。



私はこの言葉があまり好きじゃない。軽薄に聞こえてしまうから。



長い人生だ。できるかどうかも分からない約束を高らかに宣言することに、軽薄さを感じてしまう。黙って実行することこそが、真に賞賛されるべきなんじゃないのか。



そんなふうに思ってしまう私は、捻くれ者なのかもしれない。



「決意を言葉にすることが、覚悟なんだと思うよ」



君の言葉が頭をよぎる。
そうか、あれは覚悟だったのか。できるかどうかも分からないことを宣言するからこそ、意味があるんだ。決意を言葉にすることは、必ずしも軽薄とは限らないのかもしれない。



しかし、言葉に重みを持たせるには、相応の何かが要るのも事実だ。言葉なんてものは、いくらでもとり繕えるじゃないか。



言葉の重みは、どこに宿るのか。安直に考えるなら、それは 普段の行い なんだろう。



決意を言葉にすることは容易い。しかし、それを実行するのはとても難しい。言葉通りの行いを出来たかどうかで、その人の話す言葉の重みは変わってくる。




「君を一生幸せにするから、結婚して欲しい」なんて言葉を嫌いな理由がはっきりしてきた。私が今まで見てきた、そんな言葉をのたまう連中は、そもそも私には軽薄に見えていたのだ。それは見た目のせいだったのかもしれないし、彼らの日頃の行いのせいかもしれない。




いずれにせよ、彼らの言葉には、全く重みを感じない。




決意を宣言するのなら、それに相応しい日々の蓄積が必要なんだ。蓄積のない覚悟の宣言なんてのは、無礼な行いなのかもしれない。




自戒も込めて。


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