光る君へと自殺願望とわたしの先生

2年半前にこんな記事を書いた。

そして、この記事の中で触れられている大河ドラマ「光る君へ」がついに始まった。大河ドラマはここ数年よく見ているけれど、この「光る君へ」は特別な思いを持って見てしまう。

不思議なことに、日常のふとした場面でも月野先生を思い出すことがある。

「先生、変な名前の歯医者に通ってたな」

とか、

「よく当たる占いのために、わざわざ千葉県まで行ったんだっけ」  

とか、

「お金を貯めるには一人暮らしはムリって力説してたわ……」

とか、古典の授業と全く関係ないことがどんどん思い出される。月野先生は言い方や性格はキツイけど意外と授業に関係ない話をけっこうしてくれるタイプの先生で(むしろそれも授業のうちと合理的に考えてそう)、月野先生のエピソードトークはかなりたくさんある。

その中でやっぱりたくさん出てきたのは源氏物語の話である。源氏物語というと大学受験に備えて一気に勉強して教養として身につけるか、高校時代にハマって大学で専門的に勉強するかみたいなパターンに分かれる気がする。

わたしはちょっと珍しいパターンだった。源氏物語自体は中学生の時に漫画でも小説でも読んでいて、月野先生と出会った15歳の時にはそれなりに源氏物語への見解も持っていた。
しかし、かと言って熱心な読者というわけでもなく、どちらかと言えば出てくる登場人物を小馬鹿にすらしていた。「なんでみんなこんなに光源氏に執着してるの?捨てられるのが目に見えるのにアホらしい」というのが、わたしが源氏物語に出てくる女性たちへの一貫した感想である。

熱心な読者ではないのだが、源氏物語についてはなぜか気になってしょうがない。
源氏物語について知らない説が出てくると「え、何それ」と気になるし、女房たちとのエピソードも「あそこらへんどうだったっけ……」と何回も確認してしまう。源氏物語について正しい知識がないと恥ずかしい、という謎のプライドがあったのかもしれない。でも、それを抜きにしても源氏物語というのは自分の中で特異な存在で、好きとか嫌いとか、そう簡単な感情で割り切れるものではないのだ。「源氏物語大好き!!」みたいな人はなんかイヤだなぁ……とは思っていたけれど。

だから、月野先生がその「なんかイヤだなぁ……」勢の一人だとは驚いた。え、あなたがですか!?
あの濡れ場と愚痴と怨霊ばっかりの物語が好きなの!?※私見です

「この見るからに竹を割ったような性格の先生がなんで源氏物語が好きなんだろう……。ただの昼メロ好きなのか?」

と、まだ10代のわたしはたいそう失礼なことを月野先生と源氏物語に感じていた。おそらく、わたしは源氏物語に出会うのが早すぎた。優れた文学は読者を待ってくれるというけれど、源氏物語に関してはわたしが勇み足すぎたとしか言いようがない。

月野先生はなんでこんなに源氏物語が好きなのだろう。

それは先生にお世話になった高校の3年間だけでは解けない謎だった。

ただし、月野先生が自殺してしまったという悲しい事実が今更ながらに源氏物語への解像度を上げたように思えてならない。

大河ドラマ「光る君へ」の主人公・まひろ(紫式部)は幼少期から「お前が男だったら」と身分は低いが学識の高い父に幾度となくそう言われて育つ。

藤原道長との恋に身を燃やすが身分差ゆえに結婚はできない。

どんなに賢くても政治センスのない父の娘では宮中ではのし上がれない。

もちろん「光る君へ」はフィクションだけど、源氏物語の奥底に流れる紫式部の人生への諦観はこの10回までにいやというほど見せつけられた。

「仕方ない」「こういうものなんだ」「どうにもできない」

だって女だから。
だって身分が下だから。

「生きていくのは悲しいことばかり」

せっかく好きな人と結ばれた夜にまひろはそう呟く。でも、まひろは生きていく。道長のことが好きだから。やるべきことがあるから。

月野先生はどうして自殺してしまったんだろう……。

人が死にたくなるのは、自分が安心できる場所を汚された時だと思う。せっかく自分の好きな草花を植えて、水をあげて育てた庭を心の拠り所にしていたのに、土足で踏み荒らされたら死にたくなる。少なくともわたしは、死にたいと思うし心のコンディションが悪ければ実行してしまうと思う。

月野先生も心が潔癖な人だった。純粋だと言い換えることもできるけれど、少しの汚れも許さないと言った強い意志が見られるところが潔癖だなと高校生の時から感じていた。言葉がキツいのも、授業が厳しいのも、月野先生にとって古典文学が自分だけの綺麗な庭だったからなのだろう。

「本当は小娘たちなんて入れたくないけど、入りたいならせめて手は洗いなさいよね」というのが月野先生のセオリーなんだろう。月野先生はできない生徒には怒らないけれど、怠ける生徒にはとにかく厳しかった。そして言葉遣い、服装に関しても厳しかった。でもそれは「規則だから」という杓子定規的な指導ではなくて「制服を着ている以上は学校の看板を背負っているのだからきちんとしなさい」という、ぐうの音も出ないほどの正論だった。

きっと、先生は正論しか言えない人だったんだと思う。それは教師という立場がそうさせたのかもしれないけれど、やっぱり先生の気質によるところが大きいのではないだろうか。だから「頭では分かっていてもとめられない」恋心が満載の源氏物語に強く惹かれたんだと思う。

恋ってしょうもない。人生って悲しい。身分も権力もない人間はみじめだ。

10代の頃にさっぱり分からなかった源氏物語。今なら少しだけ月野先生と紫式部の気持ちが分かる気がする。そして、それはとても死の匂いに満ちている。

先生、「光る君へ」の感想を聞かせてください。

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