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東大を舐めるな、に思う


「東大を舐めるな」というnoteがバズっている、らしい。

「らしい」というのは「下のnote」にそう書いてあったからで、実際にどんだけバズったのかは、よくわかっていない。
noteはホーム画面しか見ないわたしが「下のnote」を見つけたのは、Twitterのフォロワーさんから流れてきたってだけなので。まぁ、なるほどなーとおもって見てたのですが。

で、ちょっと興味を持って「東大 舐め」でnoteを検索してみたんですよ。そしたら、まぁおもしろい。
賛否両論あれど、見事に高学歴のひとのnoteしか出てこない。タイトルをざっと見ただけで、「わたしも東大生だが」「東大を避けた高学歴ですが」みたいなものが。なんだこれは。
そこで、「持たざる者」の視点から書きたくなったので、ちょっと書かせていただきますよ。


わたしがおもうのは、「あたまのよさ」というのは1種類ではない。
「文章の読解力や計算力・知識の類」と「コミュ力や口のうまさ・空気を読むことを含む地頭」との2種類があるとおもっている。

この「あたまのよさ」は別物である。このうち、社会に出て要求される部分って多分に後者の要素が大きいとおもっているのだけど、気付いてないのか意図的なのか、高学歴者に対してはそれを混同して迫るひとがおおい印象がある。「学歴がないけど頭のいいひと」は前者のマイナスを考慮されないのに。「高学歴でなめられるひと」は、ちょっとかわいそうな気もする。

前者の「あたまのよさ」は基礎体力。後者は出力というか、技術である。
野球の投手に例えるなら、前者が球の速さや肩のつよさに身長で、後者はコントロールや変化球、守備のフィールディングのうまさ。
160km/hの球を投げても、ストライクが入らなければ試合には勝てないわけで。みんなコントロールだったり変化球だったりを磨いていくわけだけども、基礎体力の差ってやっぱりでかい。130km/hの球と150km/hの球って、打ちづらさがぜんぜんちがうんだ。

だから、なめるわけではないけど、強靭な肉体を持つひとに対して、怯えて噛みつくという部分や、もどかしく感じてしまうところもあるようにおもう。そうすると、前者と後者が混同される理由もわかる気がしてくる。
球は遅いのにテクニックで活躍するピッチャー、みんなスキでしょ。めっちゃがんばってる。
逆に、才能はあるのに結果につながらない投手にはヤキモキする。「ボールは速ぇーのになにやってんだよ!」って。そうだろう、藤浪晋太郎。おまえのことだよ。がんばってくれよ。来年こそたのむぞ。

やや、おもわずわたしの中の阪神ファンが声を荒げてしまった。申し訳ない。

ただ、社会において「成功」を勝ち取れるのはやっぱり高学歴者がおおい気がする。「成功」ってことばにもいろんな定義があるけども、ここでは社会的に名を成す、財を成す、ということについてだ。
投げてる球はたいしたことないけど、ずっと抑えて勝ち続けられるエースって、そんなにいない。技術さえ身に付けられれば、あっとうてきな身体能力はものすごく有利である。
ただ、「なんだよ150km/hを投げられないやつがうるせぇな!」なんて言ってコントロールを身に付ける練習をしないと、スタンドから罵声が飛んでくるよ、というお話だとおもうのだ。

わたしは130km/hしか投げれない上にコントロールもわるいピッチャーである。そんなのプロになれないでしょう。ドラフト会議で名前を呼ばれるわけがない。
だからいま、なんとか技巧派投手になりたくて、変則フォームで変化球を磨いている。できれば遅くてゆっくり曲がるカーブと、早いスピードでシュッと曲がるシュートがいいかな。まったくタイプのちがう、2種類の球種をマスターしたい。

おかしいな、あたまのよさについて話していたはずが、まったく知性を感じさせない、ただの野球についての文章になってしまった。これが持たざる者のおそろしさである。こわいこわい。

まじめに語ると、努力をする才能であるとか、継続する力、集中力に記憶力が高学歴のひとには備わっていることがおおい気がする。
努力は嘘をつく。やりかたをまちがえたまま、一心不乱にやっていても身にはならない。高学歴のひとは、その「努力」の方法をわかっているから、難関校に受かるわけだ。なかにはそんなの関係ない本物の天才もいるかもしれないけど。
勉強を始めても数分で飽きて落書きをしたり、マンガを読んでしまうひと(わたしのことだ)には、そういうものは備わっていない。物書きで成功しようとおもうと、33歳のいまからこれを習慣づけなくてはならない。これはかなりつらい。
高学歴ならではの苦悩って、わたしにはわからないものが、たぶんたくさんあるとおもうんだけど、がんばってください。あなたの持ってるものって、絶対的に有利なものなんだから。


と、書いたところで、ここからが「持たざる者」の恨みつらみである。
ここまでで半分だ。このままきれいに終わるとおもったら大間違いだ。がっはっは、ざまあみろ。
すみません、うそです。もうちょっとお付き合いください。

元々の「上のnote」にも書いてあるが、学力を身に付けるためには、努力はもちろんのこと、金が、かかるのだ。
中高一貫校で1000万円ちかい出費。高3の1年間で150万。1浪して100万。
彼の人生には1250万円ものお金がかかっている。これ、どんな親が払えるの?って話だ。中高一貫校はちょっと行きすぎにしても、学歴に関する問題は、貧富の問題と切っても切り離せないのだ。

わたしは、あたまがわるい。学歴に関しては非常にコンプレックスがある。大学生活にあこがれと、羨望と、憎悪と諦めがある。おおきな理由が、ここだ。


わたしは、小学生のころに父を亡くした。母と弟3人の5人家族である。
幸い、保険(祖父が比較的よいものをかけてくれていた)や遺族年金のおかげで、生活に困窮するとまではいかなかったが、それでも時には、祖父母に金を借りるなどして、しのいでいた。

母は「学校の授業をしっかり受けていれば、成績は取れる」とおもっていた。わたしの両親は、それで旧帝大に受かっていたのだ。
ただ、中学生のわたしがあまりにも勉強ができなかったため、中3に上がると同時に強制的に塾に入れられたのだった。
塾の効果はてきめんで、志望校はさいごでランクをひとつ落としたものの、中2のころの成績ではありえないくらいレベルの高校に行くことができた。とは言っても、高校の偏差値は52だった。

「ゆとり教育で、学校でやる勉強の量は減っている。いい高校に行きたいならそれ以外でしっかり勉強しないと」
塾で聞いたその言葉は、母を、そして我が家を変えた。
弟たちは中学に上がると同時に塾に行き、特に次男は兄から見てもあり得ないほどの勉強量で、偏差値70を越える名門私学に、奨学金を得て入学した。結果的に、偏差値65を切る高校に入学したのは、兄弟のなかでわたしだけだった。学歴コンプレックスが生まれた瞬間である。

さて、進学したわたしはというと、生来の勉強嫌いが顔を出し、またアルバイトや学校生活をたのしみたかったこともあって、高校ではまったく勉強をせず、結果どんどん落ちこぼれてしまった。

弟2人分の塾代、奨学金を得たとはいえ、それでも高額な私学の学費、食べ盛りの男4人兄弟の食費に、手狭になった家の引越し……わたしが高3になるころには、かんぜんに家計は破綻していた。それでも、自身も高学歴である母は、意欲のある弟たちの芽を摘むことはしたくなかったのだろう、数少ないリソースをそちらに注力していた。それに対して、まったく怒りはない。最大限の効果を得るために、資産を有効に活用する方法としては、それが最適だからだ。

そう、勉強嫌いでだらだら遊んでいたわたしの学費は、なかった。

大学に行く条件は「奨学金を得て、国公立に受かること」だった。だが、今さら予備校に行くお金はすでに我が家にはない。ない袖は振れないのだ。
最後のあがきとして、夏期講習を2教科だけ受けたが、かんぜんに時間の無駄だった。模試を受けて、合格が期待できそうな大学は、学費の高い私大ばかりだった。もちろん浪人なぞ、できるわけもない。受験をすることすら、叶わなかった。


結果、手に職を求めて、介護の専門学校に通うことになった。2年制の専門学校であれば、奨学金さえあればなんとか通うことができる。レベルを落とせば奨学金をもらえる可能性は上がる。わたしの通っていた高校から、その専門学校に入学するのは、初めてだったそうだ。コンプレックスは肥大する。

専門学校に入ってから、祖父が亡くなった。祖父が亡くなっておいてこういうことを言うのは、どうかんがえても非道であるし、情がないと言われても仕方がないが、破綻していた我が家の家計は、正直な話、祖父の遺産のおかげで持ち直したのだ。

弟2人はそれぞれ大学受験に失敗したが、一浪の末、次男は旧帝大に、三男も関東有数の国立大学に進学した。彼らの努力は、大いに実った。
ただ、浪人が許され、その1年の予備校の費用が出たのは、確実に祖父のおかげだった。もしあのタイミングで祖父が亡くならなかったら、とも思うのだ。逆に、亡くなったのがもう少し早ければ、わたしも大学に行けていたはずである。そのようなことは決して願ってはならないと、わかってはいる。

実際、合格が期待できた大学に受かったところで、得るものがあったのか、よい経験になったのかはわからない。行っていないのだから。
ただ、少なくともわたしがなんとなく憧れた「キャンパスライフ」を送ることができたのではないか、という気持ちは消えないのだ。「わたしは、家にお金さえあれば大学生になれたはずだ」というほんとうにつまらない、くだらないちっぽけなプライドを、ずっと持っていたのだ。


だが、結局のところ、「じゃあお前がもっとがんばればよかったんじゃねぇか」という結論にいまは達している。もっと恵まれていた家であれば、兄弟が少なければ、わたしももっとできたはず、という思いはたしかにある。
生まれた家は、選べない。潤沢にお金がある家もあれば、そうでない家もある。決して恵まれたとは言えない我が家で、弟たちは成果を出したのだ。
やらずに落ちこぼれたのは、わたしの勝手である。
名門校に入学した弟たちは、その時点で進学を見据えていた。資金が限られている以上、平凡な高校に入ったわたしがリソースを注入してもらうためには、弟たち以上に勉強に対する意欲を見せていなければならなかったのだ。準備運動すらしていないやつに、立つスタートラインはない。

我が家は「ハードモード」だったのかもしれない。イージーモードにはあこがれる。でも、ベリーハードで生きている人間もいるのだ。
そこにはきっと、また別の苦悩や苦しみがある。わたしとちがって、勉強をしたくてもできなかったひとも、きっといるはずなのだ。そういうひとからみたら、わたしはものすごく甘ちゃんであろう。否定はしない。

ただ、わたしは「コンプレックスで殴る」ことは、もうしたくないとおもう。今さらもう手に入らないものは、手に入らない。
わたしのやりかたで、これからすこしずつ、人生をよくしていきたいのだ。

だから磨くのだ、変化球を。いまに見てろよ。


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