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映画時評『ほかげ』

私は岡山在住でして、岡山のミニシアターはシネマクレール一択なわけですが、12月3日、そこに塚本晋也監督が舞台挨拶、トークショーに来ていたようです。しかし予定が重なり見にいけず、見事に機会を逃す。今年は『ザ・キラー』も見逃すし、映画運悪めかもしれぬ。

あらすじ

終戦まもない日本、半焼けになった居酒屋で売春をして働く「女」のもとに、空襲で家族を亡くし、盗みをしている「戦災孤児」の少年と、かつて国語の教師をしていた「復員兵」の青年が居着く。
三人は仮初の家族を演じるが、「復員兵」の青年が闇市の銃声を聞いたとたん、恐怖をきたし怯え始める、日常はあっさりと崩壊した。

キャストとスタッフ

監督塚本晋也。前前作『野火』から明確にテーマを変更し、ダイレクトな戦争体験、その記憶を継承する映画を作り始めていって、『ほかげ』『斬、』に続く3作目の映画という感じです。

この直近の過去2作のパンフレットが劇場で売られていたりしたので、『ほかげ』を合わせたこの3作はグループという感じ。

主演は趣里さんです。朝ドラ見てないのですが、『ほかげ』では冒頭から犯されるので、朝ドラの爽やかさというものは一切ないのでしょう。びっくりするかも。童顔で身長も低いせいか、すごく幼く見えて、なのに色気があるという、何歳なのか見てるときにわからず、混乱しました。

戦災孤児で、趣里演じる「女」から「坊や」と呼ばれる少年を演じるのは、塚尾桜雅
この映画主要人物は四人で、最終的にはこの「坊や」の物語として収束していきます。
戦争と少年の物語なのかなぁ……と思うと『太陽の帝国』とか『異端の鳥』とか浮かんでくる。子供が戦争をくぐり抜けていくことで、希望が繋がれるという構図になっているのですね。

かつて国語の教師だった「復員兵」を演じるのは河野宏紀。監督としてもデビューしていて、評価されてるんですってね。
PTSDに侵されていて、闇市から聞こえてくる銃声を聞いただけで、震え上がってうずくまってしまうのですが、女と坊やの二人と遊んでいるときに急になるので、日常らしきものが一瞬で崩れ去って現実を露呈させる残酷さみたいなものにヒリヒリさせられます。

テキ屋の男は森山未來。映画の前半はある種、居酒屋だけの密室劇なのですが、後半では坊やとテキ屋のロードムービーとも言える外側の物語に切り替わります。「復員兵」の方が被害者として存在するなら、「テキ屋の男」は加害者、無辜の人々を殺してしまった罪悪感に苦しむ存在としてあるのかも。
川魚を熊のごとく手づかみで捕まえて「おっしゃああああああああ!!!」と叫ぶシーンが忘れられません。

音楽は石川忠さんで、塚本監督と初期からタッグを組んでいましたが、『斬、』のときに亡くなられ、今回も『斬、』と同じく、残された音源を元に劇伴をつけたようです。『鉄男』とかだとインダストリアルで荒々しいですが、『ほかげ』の音楽は繊細でした。

レビュー

最初に思ったのは、前半部が半焼けの居酒屋の中のみで展開するところで、密室劇のようになっているのですが、「女」はこの居酒屋の中から一歩も外に出ません。(一回、すぐ近くの井戸に水を汲みにいくシーンがありますが)
「女」の体が、この居酒屋と同化しているような印象です。

そして「坊や」と「復員兵」は、この娼婦である「女」がいる居酒屋に居着くことになり、二人は昼間、稼ぐために外に出かけていきます。(何をしているのかは見せない)
家と女、狩りと男といったような、元型的とも言えそうな構造が見える気がします。
結局、女は病に臥せり、男は狩りなどしていなかったことがわかるのですが。

半焼けの居酒屋というのが、手前がカウンター席みたいになっていて、奥に寝泊まりする座敷があって、その座敷の襖の奥にさらに部屋があるという作りになっていて、カウンターと座敷に壁がなく、つながっている。一望できるようになっている。そういう部屋のレイヤーが「女」の心理とも結びついていて、奥へ行くごとに深層が明るみに出ていくというのが面白いですよね。
初めはカウンターで相手をし、やがて座敷で寝食を共にし、最後はふすまの奥に「坊や」を招き入れ「女」の死んだ夫の写真、過去を目撃することになる。

居酒屋には焼け跡があり、くたびれている。これが「女」と、その他大勢の戦禍に見舞われた人々の病める心の風景なのだと思います。
そこへさらに、焼け野原になった街の光景が座敷のなかに広がり始め、幻視の光景まで見えてきて、唐突に座敷=日常と、焼け野原=巨大な戦禍が重ね合わせられるというアナロジーが示されます。日常の全てが戦争の傷跡であり、心の中には荒廃した風景があるのだ、というようなイメージは、ことさら鮮烈に突き刺さる。
舞台のこうした使い方は本当に見事です。

作中の重要なアイテムとして、「坊や」の持つ拳銃があるのですが、この拳銃というアイテムもすごく画面の中で存在感があって、『斬、』における刀と同様の重みがある。
拳銃には4発の弾丸があり、うち3発は「テキ屋の男」が、戦地で上官だった男への復讐として使います。
1発の弾丸を残して「坊や」は居酒屋に帰り着くのですが、その時には「女」は梅毒だろうか? 病に臥せっていて、「坊や」にうつるといけないからと追い払います。
そのあと、「坊や」が闇市を歩いていると、銃声が聞こえエンディングとなる。
明確ではないけど「女」が自分を撃ったのかもしれない。意味深に1発だけ残ってるもん。どう思います?

映画を見終わったとき、いや見る前から、塚本監督ほど信頼できる存在はないと思っていました。
『野火』からそうですが、とても真摯な映画です。
知りもしない映画をくさすのは、本当はいけないのですが、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」という、戦時中にタイムスリップした女子高生が、特攻隊員のイケメンと知り合いになるという映画が、多分いまやっています。その裏に「ほかげ」がある。
別にどんな映画や小説を作っても、それでいいんですけどねぇ……。

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